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第62話 アイリスの疑惑、不吉な娘の影と深夜の独り言


 かつては絹のドレスを纏い、宝石に囲まれていた私が、今や泥と煤にまみれた作業着を着て、瓦礫の山と格闘している。


 これは悪夢だわ。


 そう信じたくて、私は何度も自分の頬をつねったけれど、痛みと疲労だけが現実として突き刺さってくる。


 「……おい、アイリス。手が止まってるぞ。ノルマが終わらなきゃ、今日の飯抜きだ」


 夫のリックザクが、掠れた声で私を急かす。

 彼もまた、かつての覇気を失い、ただ黙々と石を運ぶだけの肉体労働者になり下がっていた。

 その背中を見るたびに、私は怒りと絶望で胸が張り裂けそうになる。


 (どうしてこうなったの? 私たちは、ただ幸せになりたかっただけなのに)


 私の脳裏に、幼い頃の記憶が蘇る。

 寒さと飢えに震え、薬も買えずに死んでいった妹の手の冷たさ。

 貴族学校で受けた蔑みと嘲笑。

 「貧乏人はゴミだ」と言い捨てられたあの日の屈辱。


 だから私は誓ったの。

 金と権力を手に入れて、誰にも見下されない人生を送ると。

 リックザクを利用し、前妻の娘を追い出し、フロンティア家を乗っ取ったのも、全てはその誓いを守るためだった。


 あの頃のストレイは、ただの弱々しい小娘だった。

 私の顔色を伺い、何を言っても「はい、お義母様」と震えるだけの、都合のいい人形。

 毒を盛って衰弱させても、文句一つ言わずに死んでいくはずだったのに。


 「……全部、あの日からよ」


 私は離れの方角を睨みつけた。

 あの子が毒で死にかけたあの日。

 目覚めた彼女は、まるで別人のように変貌していた。

 傲慢で、図太くて、そして底知れない力を秘めた『怪物』に。

 あの日から、私の歯車は全て狂い始めたのよ。


 「あの子は魔女よ。人間じゃないわ。本当のストレイは死んで、悪魔が乗り移ったに違いないわ」


 私は石を投げ捨て、作業の手を止めた。

 このまま隷属して終わるなんて御免だわ。

 必ず正体を暴いてやる。


 そして、ストレイの母の実家――侯爵家に、「あの子は偽物だ、家を乗っ取ろうとしている魔女だ」と告発してやるのよ。


 そうすれば、侯爵家は激怒して彼女を排除し、正当な血筋であるフラッペを当主に据えるはず。

 そうすれば、私は『当主の母』として返り咲ける。


+++++++


 その夜。


 私は監視の目を盗み、こっそりと離れの裏手へと忍び込んだ。

 昼間の労働で身体は悲鳴を上げていたけれど、執念が私を突き動かす。

 窓の隙間から、中の様子を覗き見る。


 そこには、机に向かって何かをブツブツと呟いているストレイの姿があった。

 彼女の前には、掌サイズの奇妙な光を放つ板が置かれている。


 あれは……以前、彼女の店で見た『会員証』と同じ素材でできているようだが、もっと厚みがあり、表面に文字が浮かび上がっている。


 『……よし、今日のログインボーナス回収完了。連続アクセス30日目、ボーナスポイント10Pゲット』


 「ろぐいん? ぽいんと? ……何の呪文かしら?」


 私は耳を澄ませた。

 彼女が話している言葉は、この国の言葉ではない。


 異界の言語だわ。

 やっぱり、あの子は悪魔と契約しているに違いない。


 『次はサイトの更新ね。着メロの新作は……「魔獣の咆哮リミックス」。うん、これなら冒険者に受けるわね』


 ストレイはニヤニヤしながら、板を指で操作している。

 その板からは、ピコピコという電子音のような奇妙な音が鳴り響いていた。


 (……何なの、あれは。通信機? でも、誰と話しているの?)


 彼女が操作しているのは、ケースとスノッツティが開発した『魔導端末』のプロトタイプだった。


 離れの地下に設置された『魔導サーバー』を通じて、会員証を持つ顧客たちと魔力的なネットワークを構築しているのだ。


 まだ原始的なテキスト通信と、簡易的な魔力音の送受信しかできないけれど、それは間違いなくこの世界における『インターネット』の夜明けだった。


 『ふふっ。掲示板も盛り上がってるわね。「ストレイ様の新作ドレス、マジ神!」……あら、嬉しいこと書いてくれるじゃない。個別末端ではまだ不可能なのに店まで来て書き込んでくれるなんて、あの頃のイツメンの熱を感じるわね』


 ストレイは画面を見つめ、満足げに頷いている。

 その顔は、昼間に見せる冷徹な支配者の顔とは違い、どこか卑俗で、そして楽しげだった。


 (……掲示板? 神? やっぱり、怪しい宗教の儀式だわ! 多くの人間を洗脳して、魔力を吸い上げているに違いない!)


 私は戦慄した。

 彼女がやっていることは、ただの商売じゃない。


 人の心を操り、世界を支配するための恐ろしい実験なのだわ。

 そして、あの光る板こそが、その元凶。


 「……見つけたわ。あの子の弱点」


 私は確信した。

 あの板を奪えば、ストレイの洗脳魔法は解ける。

 そして、その板を証拠として侯爵家に突きつければ、私の勝利は確定するはずよ。


 「待っていなさい、ストレイ。そのふざけた魔導具、私が暴いてあげるから」


 私は音を立てないように後ずさりし、闇の中へと消えた。

 久しぶりに、胸の奥で野心の炎が燃え上がるのを感じたわ。


 私はまだ負けていない。


 貧乏のどん底から這い上がった私を、舐めないことね。


++++++++


 翌日。


 私はリックザクの目を盗み、作業着の下に短剣を隠し持って、再び離れの裏手へと向かった。


 狙うは、ストレイが肌身離さず持っているあの『魔導具』。

 あれさえ手に入れば、私の逆転劇が始まるはずだわ。


 「見てなさい。あの澄ました顔を、恐怖で歪ませてやるんだから」


 私は茂みに身を潜め、機会を伺った。

 ストレイは今、店の方へ出かけていて留守だ。

 離れにはケイナと、あの生意気な銀狐しかいないはず。

 今がチャンスよ。


 私は結界の隙間、昨日見つけた綻びを抜け、庭へと侵入した。

 静かに、音を立てずに。

 かつて貧乏生活で培った『盗み食い』のスキルが、こんなところで役に立つなんて皮肉ね。


 その時。

 背後でカサリと音がした。


 「ひっ!?」


 振り返ると、そこには一匹の犬がいた。

 いや、犬じゃない。


 継ぎ接ぎだらけの布で作られた、古びたぬいぐるみだ。

 フラッペがいつも大事そうに抱えていた、あの薄汚いオモチャ。


 「……ポチ? なんでこんなところに」


 私は舌打ちをした。

 フラッペが置き忘れたのかしら。

 邪魔ね。蹴飛ばしてやろうかと思ったその瞬間、人形がギギギと音を立てて動き出した。


 「グルルルゥ……!」


 低い唸り声を上げ、人形が私を睨みつける。

 その瞳には、知性のある光が宿っていた。

 まさか、動くの?

 ストレイが改造したのね!


 「き、来ないで! 私はこの家の主なのよ! ただのオモチャ風情が!」


 私は短剣を抜いて威嚇した。

 しかし、人形は怯むどころか、嬉しそうに尻尾を振った。


 「わんっ!」


 次の瞬間、人形が弾丸のように飛びかかってきた。

 攻撃される!


 私は悲鳴を上げて身構えたが、人形は私を襲うのではなく、足元にじゃれついてきた。

 泥だらけの布の足で、私の作業着を擦りまくり、顔を舐めようと飛び跳ねる。


 「い、嫌ぁぁぁ! 汚い! 離れなさい!」


 「わんわんっ! (遊んで! 遊んで!)」


 ポチは完全に私を『遊び相手』だと認識しているようだった。

 その力は意外に強く、私はバランスを崩して泥の中に倒れ込んだ。

 そこへポチが馬乗りになり、泥まみれの体で私を押しつぶす。


 「ぐえっ……! 重い……! 誰か、誰か助けて!」


 泥水を飲み込みそうになりながら、私は必死にもがいた。

 これが、私がフラッペに与えた『最強の兵器』の成れの果てだというの?

 こんなふざけた姿に変えられるなんて、屈辱だわ!


 「あらあら。庭が騒がしいと思ったら、大きなお客様がいらしてたのね」


 冷ややかな声が降ってきた。

 見上げると、そこには日傘を差したストレイが、ゴミを見るような目で見下ろしていた。

 隣ではディーノが「傑作だな」と腹を抱えて笑っている。


 「ス、ストレイ……! この化け物をどけなさい!」


 「化け物? 失礼ね。彼はポチ。フラッペの大切な友達で、この店の『警備主任』よ。不審者を見つけると、熱烈に歓迎するように躾けてあるの」


 ストレイが指を鳴らすと、ポチは名残惜しそうに私から離れ、彼女の足元でお座りをした。

 私は泥だらけの体で這い上がり、憎悪を込めて彼女を睨んだ。


 「……よくも、よくも私をこんな目に! 覚えてなさい! 貴女の秘密は握ったわ! あの『板』を使って、人々を洗脳していること、全部侯爵家にバラしてやる!」


 私が叫ぶと、ストレイはきょとんとした顔をして、それから吹き出した。


 「洗脳? あははっ! お義母様、想像力が豊かねえ。あれはただの『通信機』よ。遠くの人とおしゃべりするための道具」


 「嘘よ! あんな禍々しい魔力を放つものが、ただの道具なわけがない! あれは悪魔の契約書だわ!」


 「……はぁ。説明するのも面倒ね。まあいいわ、侯爵家に言いつけたいならどうぞ? ただし、その前に鏡を見た方がいいわよ」


 ストレイが手鏡を投げ渡してくる。

 私はそれを受け取り、自分の顔を映した。


 そこには、泥と涙で化粧が崩れ、髪はボサボサ、服は泥まみれという、見るも無残な老婆が映っていた。


 「ひっ……! い、嫌ぁぁぁ!」


 「それが今の貴女よ。そんな姿で侯爵家に乗り込んで、誰が貴女の言葉を信じると思う? 『狂った女が戯言を言っている』としか思われないわよ」


 ストレイの言葉が、私の心臓に突き刺さる。

 そう、私はもう『フロンティア子爵夫人』ではない。

 ただの、惨めな下働き。

 誰も私を助けてはくれない。


 「……殺してやる。いつか必ず、殺してやるから!」


 私は鏡を投げ捨て、泣きながら逃げ出した。


 背後でストレイが「またいらしてね、泥棒猫さん」と笑う声が聞こえた。

 悔しい。悔しい!

 でも、今は逃げるしかない。


 いつか必ず、あの子を地獄に突き落とすその日まで、私は泥水を啜ってでも生き延びてやるわ!



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