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第60話 崩壊する家と、芽吹く新たな希望


 アイリスとリックザクの失脚劇から数日後。


 王都の『フロンティア・テキスタイル』は、相変わらずの盛況ぶりを見せていた。

 けれど、その賑やかな店内の片隅で、一人だけこの世の終わりのような顔をしている少年がいた。


 弟のフラッペだ。


 彼は親の罪と借金を背負わされ、実質的に家を追い出された形となり、行くあてもなく私の店に転がり込んできたのだ。


 まあ、私としても彼を見捨てるほど薄情じゃないし、何より『更生』させるという約束があるからね。


 「おいフラッペ!

 何ボーッとしてるの!

 お客様がいらっしゃったわよ、挨拶!」


 私がカウンターから怒鳴ると、フラッペはビクッと肩を震わせ、慌てて入り口に向かって頭を下げた。


 「い、いらっしゃいませぇ……」


 その声は蚊の鳴くように小さく、視線は床に泳いでいる。

 彼が着ているのは、私が用意した見習い用の作業着だ。


 かつての高級子供服とは違い、泥汚れが目立つ無骨なデザインだが、機能性だけは一級品よ。


 「……あら、これがあのフロンティア家の跡取り息子? 随分と落ちぶれたものね」


 来店したのは、王都の貴族学校に通う子供たちのグループだった。


 彼らはフラッペの顔を見るなり、クスクスと意地の悪い笑い声を上げた。

 どうやら、フラッペの家の事情はすでに社交界の噂になっているらしい。


 「やあフラッペ君。今日はゴミ拾いのバイトかな? それとも、姉上に土下座して雇ってもらったのかい?」


 リーダー格の少年が、わざとらしくフラッペの肩を小突く。


 フラッペは顔を真っ赤にして拳を握りしめたが、言い返すことはできなかった。

 親の威光を失った今の彼には、反論するだけの力が残っていないのだ。


 「……う、うるさい。僕は、ここで働いてるんだ。お前らなんかに……」


 「働いてる? 嘘だろう。お前みたいな我儘お坊ちゃんに、まともな仕事ができるわけないじゃないか」


 少年たちは嘲笑を続ける。


 その言葉の刃は、フラッペの未熟な心に深く突き刺さっていた。

 悔しさと惨めさで、彼の目から涙がこぼれそうになる。


 (……さて、どうするフラッペ。ここで泣いて逃げ出すか、それとも立ち向かうか)


 私はカウンターの奥から、冷ややかにその様子を観察していた。


 助けるのは簡単だ。

 私が一喝すれば、あの程度の子供たちはすぐに散るだろう。

 でも、それでは彼のためにならない。

 これは、彼が自分の足で立つための『通過儀礼』なのだから。


 「おい、何か面白いことやってみろよ。あんな奇抜な服を作る姉貴を持ったんだ、お前も何か『見世物』ができるんだろ?」


 少年の一人が、フラッペの足元に商品を投げつけた。

 それは、店で一番安い端切れのハンカチだった。


 「……やめろよ。商品を粗末にするな」


 フラッペが小さな声で呟き、ハンカチを拾おうとする。

 その瞬間、少年が足を出し、フラッペを転ばせようとした。


 あっ、危ない!

 ケイナが悲鳴を上げそうになったけれど、私はそれを手で制した。

 見ていなさい。

 彼の中には、まだあの『ポチ』との約束が残っているはずよ。


 フラッペは躓き、派手に転倒した――かに見えた。

 しかし、彼は倒れる寸前で手を付き、見事な受け身を取って回転し、そのまま立ち上がったのだ。


 その動きは、かつて私が彼の人形に仕掛けた『バナナの皮トラップ』で鍛えられた反射神経によるものだった。


 「……おっと、危ない危ない。床が滑りやすくなってましてね」


 フラッペは顔を引きつらせながらも、必死に平静を装って言った。

 その姿に、少年たちは一瞬呆気にとられたが、すぐにまた笑い出した。


 「あはは! なんだその動き! サーカスかよ!」

 「傑作だ! もう一回やってみろよ!」


 爆笑の渦。

 普通なら恥ずかしくて耐えられない状況だ。

 けれど、フラッペは逃げなかった。

 彼は笑われることに耐え、唇を噛みしめながらも、ハンカチを拾い上げて埃を払った。


 「……笑いたければ笑えばいい。でも、この店のものを馬鹿にするな。これは、姉上が作った最高の商品なんだ」


 その言葉を聞いた瞬間、私の胸の奥が少しだけ熱くなった。

 あんなに我儘だった彼が、商品を、そして私を庇おうとしている。

 少しは成長したじゃない。


 「……ふん、生意気な。行こうぜ、こんな店つまんないや」


 少年たちは興味を失ったように店を出て行った。

 残されたフラッペは、その場にへたり込み、堪えていた涙を流し始めた。


 「……くそっ、くそぉぉぉ! 悔しいよぉ!」


 私はカウンターを出て、彼の隣にしゃがみ込んだ。

 そして、一枚のハンカチ、彼が守ったものを差し出した。


 「よく耐えたわね。合格よ」


 「……姉上。僕、格好悪かったよね。笑われて、何も言い返せなくて……」


 「格好悪くなんてないわ。笑われることは、恥ずかしいことじゃないの。むしろ、笑いを武器にできる人間が一番強いのよ」


 私は彼の手を取り、無理やり立たせた。


 「いい? お客を楽しませるのは商売の基本。あんたは今日、彼らを笑わせて、店の商品を守った。それは立派な『仕事』よ」


 「……仕事?」


 「ええ。だから自信を持ちなさい。

 あんたには、人を笑顔にする才能があるわ」


 私がウィンクすると、フラッペは呆気に取られた顔をして、やがて涙混じりに小さく笑った。


 「……変な慰め方。でも、ありがとう」


 彼の笑顔は、まだ弱々しいけれど、以前のような歪んだ色は消えていた。

 これでいい。

 彼のリフォームも、順調に進んでいるわね。


 「さあ、仕事に戻るわよ! 泣いてる暇があったら、床を磨きなさい! 次の客が滑らないようにね!

 客前で滑るのは最悪なのよ!」


 「は、はいっ! 今すぐやります!」


 フラッペが元気よく返事をする。

 その背中を見ながら、私は確信した。


 この子はもう大丈夫。


 いつかきっと、自分の足で人生という舞台を歩いていけるはずだわ。


++++++++


 店での仕事にも少しずつ慣れてきたフラッペだけれど、彼には一つだけ、絶対に譲れない日課があった。


 それは、毎朝店を開ける前に、愛犬ポチの魂が入ったぬいぐるみに「おはよう」の挨拶とブラッシングをすること。


 彼にとって、ポチはただのオモチャではなく、唯一の家族であり、心の支えなのだ。


 ところがある朝、店の裏口からフラッペの悲痛な叫び声が聞こえてきた。


 「ない! ないよ! ポチがいない!」


 私が駆けつけると、フラッペは顔面蒼白で、ポチの定位置だった棚の前で立ち尽くしていた。

 そこにあるはずのぬいぐるみが、跡形もなく消えている。


 「どうしたの、フラッペ。どこかに置き忘れたんじゃない?」


 「そんなことない! 昨日の夜、ちゃんとここに置いて、おやすみって言ったんだ! 誰かに盗まれたんだ!」


 彼は半狂乱になって店中を探し回り始めた。

 商品の山をひっくり返し、カウンターの下を這いずり回り、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら名前を呼び続ける。


 「ポチ! 出てきてくれよ! 頼むから!」


 その姿は、かつて私がバナナの皮で死ぬ直前に見た走馬灯の中の自分――売れない焦りに押しつぶされそうになっていた自分と重なって見えた。


 大切なものを失う恐怖。

 それは、子供の小さな心には重すぎる荷物だわ。


 「落ち着きなさい、フラッペ。この店には私の結界があるのよ。外部からの侵入者はありえないわ」


 私は彼を宥めながら、魔力視覚で店内の反応を探った。

 すると、天井の梁の上から、微かな魔力の揺らぎと、クスクスという笑い声のような波動が伝わってきた。


 (……なるほど。犯人はあいつね)


 私は天井を見上げ、鋭い声で呼びかけた。


 「ショウちゃん、降りてきなさい。悪戯が過ぎるわよ」


 『……チッ。バレたか』


 影の中から、銀狐のショウちゃんが姿を現した。

 その口には、しっかりとポチのぬいぐるみがくわえられている。


 「ああっ! ポチ!」


 フラッペが叫ぶ。

 ショウちゃんは悪びれる様子もなく、ふわりと床に着地し、ポチをフラッペの足元にポイと放り投げた。


 『勘違いするな。吾輩はただ、この小僧の「警戒心」をテストしてやっただけだ。大事なものを無防備に放置するなど、守護者失格だからな』


 「う、うるさい! 返せ! 僕のポチだぞ!」


 フラッペはポチを抱きしめ、ショウちゃんに掴みかかろうとする。

 しかし、ショウちゃんはひらりと身をかわし、フラッペの頭の上にポンと前足を乗せた。


 『遅い。そんな鈍い動きでは、二度と守れんぞ。……精進せよ、小僧』


 ショウちゃんは念話でそう言い残し、再び影の中へと消えていった。

 残されたフラッペは、悔しそうに拳を握りしめている。


 「くそっ……! あのキツネ、いつか絶対にギャフンと言わせてやる!」


 「ふふっ。いい目標ができたじゃない」


 私は微笑ましく二人を見守った。

 ショウちゃんなりの、不器用な激励ね。

 フラッペも、ただ守られるだけの存在から、守るために強くなろうとする意志が芽生え始めている。


 「姉上、見ててよ。僕、もっと強くなるから。ポチも、店も、絶対に僕が守ってみせる!」


 フラッペがポチを背負い、モップを構える。

 その姿は、まるで小さな騎士のようだわ。


 「ええ、期待してるわよ。……それじゃあ、今日の開店準備、頼んだわよ!」


 「はいっ! いらっしゃいませー!」


 店内に、元気な声が響き渡る。

 かつてのクソガキはもういない。


 そこには、フロンティア・テキスタイルの頼もしいマスコットボーイが誕生していた。


 こうして、店内のコメディショーは幕を閉じた。


 けれど、物語はまだ終わらない。


 私の元には、新たな『綻び』の予兆が届き始めていたからだ。





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