第58話 ゴブリン人形の縫製ミスと、母の呪い
フラッペが去った後の店内には、嵐が過ぎ去った後のような静寂が戻っていた。
私は床に散らばったゴブリン人形の残骸――ポチの魂を移し替えた後に残った、ただの汚れた外装――を拾い上げた。
薄汚れた麻布、安っぽい綿。
そして何の意味もない呪文が刻まれた羊皮紙の切れ端。
これらは全て、アイリスが息子に与えた『歪んだ愛情』の残滓だわ。
「お嬢様、それは捨ててしまいましょう。見ているだけで胸が悪くなります」
ケイナが箒を持って近づいてくる。
彼女の言う通り、これはゴミだ。
けれど、プロの服飾人として、私はこのゴミの中に隠された『縫製ミス』を見逃すわけにはいかないの。
「待ってケイナ。これ、ただの暴走呪いじゃないわ」
私は銀の針を取り出し、残骸の縫い目を一つずつ解いていった。
表面的には雑な縫製に見えるけれど、その裏側には極細の魔力糸が幾重にも絡み合い、複雑怪奇な紋様を描いている。
これは、特定の血統……つまりフロンティア家の人間だけを標的とした、遅効性の『衰弱呪い』だわ。
「……やっぱりね。
アイリスは、フラッペを強くしたかったんじゃない。
彼を通じて、この家の人間全員を道連れにするつもりだったのよ」
私は呪いの核心部分に触れ、その構造を読み取った。
そこには、深い深い絶望と、金に対する執着、そして『喪失への恐怖』が刻み込まれていた。
(……貧乏。薬が買えない。妹が死ぬ。母が死ぬ。……お金がないと、また奪われる)
呪いの糸から流れ込んでくる、アイリスの過去の記憶。
貧乏騎士爵の娘として生まれ、金がないせいで家族を失った少女の慟哭。
彼女がリックザクに近づいたのは、途中から愛だけじゃなくなった。
彼が持つと信じていた財産と地位。
それによって得られる『安心』を求めていたのね。
「……哀れな人。
過去の貧乏に縛られて、今ある幸せすら見えなくなってるなんて」
私はため息をついた。
彼女は、自分が被害者だと思い込むことで、加害者になっている自分を正当化している。
リックザクも同じだ。
幼少期のネグレクトとシゴキによって歪んだ彼は、アイリスという『理解者』に依存し、彼女の言うこと全てを信じることでしか自分を保てない。
まさに、共依存の地獄絵図ね。
「でも、同情はしないわ。貴女たちがしたことは、私の人生を、そしてフラッペの心を壊そうとしたことだもの」
私は針を突き立て、呪いの核を物理的に粉砕した。
黒い霧が霧散し、残骸はただの布切れに戻る。
これで、フラッペにかかっていた呪いの影響は消えたはず。
あとは、元凶である二人をどう料理するかだわ。
「ディーノ、いる?」
「へいよ。全部聞いてたぜ」
影からディーノが姿を現す。
彼は真剣な表情で、私の手にある布切れを見つめていた。
「アイリスの過去、思ったより重いな。貧乏が人を狂わせるってのは、俺たちもよく知ってる話だけどよ」
「ええ。だからこそ、許せないのよ。
彼女は過去を言い訳にして、未来ある子供たちを食い物にしている。
それは、私が一番嫌いな『甘え』だわ」
私は立ち上がり、窓の外を見据えた。
本館の方角から、不穏な魔力の揺らぎを感じる。
アイリスが、私の生存と、フラッペの離反を知り、最後の賭けに出ようとしている気配だ。
「彼女、焦ってるわね。
母方の実家……侯爵家に、ネグレクトの事実がバレるのを恐れている」
「ああ。俺の調べじゃ、近日中に侯爵家から視察団が来るって話だ。アイリスにとっちゃ、死刑宣告みたいなもんだな」
「だから、彼女は動く。私を消すために、なりふり構わずね。……いいわ、受けて立とうじゃない」
私は不敵に笑った。
彼女が隠し持っている『最後の切り札』。
それを引きずり出し、衆人環視の中で叩き潰す。
それが、私の用意した『全裸の王様』へのプロローグよ。
「ディーノ、準備はいい? 今夜は少し忙しくなるわよ」
「望むところだ。姐さんのシナリオ通り、完璧な脇役を演じてやるよ」
私たちは視線を交わし、ニヤリと笑った。
舞台は整った。
さあ、最後のダンスを始めましょうか。
++++++++
私は呪いの残滓が染み付いた布切れを、丁寧に漂白し、アイロンをかけて真っ直ぐに伸ばした。
そして、そこに金色のインクで招待状の文面を書き込んでいく。
宛先は『フロンティア子爵夫人 アイリス様』。
内容は『当店自慢の新作ドレス発表会へのご招待』だわ。
「お嬢様、そんなものを送って、彼女が来るでしょうか? 私なら、罠だと警戒して近づきませんが……」
ケイナが首をかしげる。
確かに、普通の神経なら来ないでしょうね。
でも、アイリスは違う。
彼女は今、金と権威に飢えている。
そして何より、『私に負けた』という事実を認めたくないプライドが、彼女の判断力を曇らせているはずよ。
「来るわよ。
彼女にとって、ドレスは鎧であり、自分を守るための盾だもの。
私が作った『世界一美しいドレス』を見せつけられたら、悔しさで見に来ずにはいられないはずだわ」
私は招待状に、微量の『挑発』の魔法を付与した。
これを読んだ瞬間、アイリスの中にある劣等感と虚栄心が刺激され、冷静な判断ができなくなるようにね。
「ディーノ、これを本館の郵便受けに入れてきて。誰にも見られないようにね」
「了解。毒蛇の巣に手紙を届ける郵便配達員か。悪くない役回りだ」
ディーノが影のように消えた後、私は工房の窓から本館の方角を見つめた。
そこには、今にも爆発しそうなドス黒い瘴気が渦巻いている。
魔導を展開し、薄っすらと肉眼では見えない糸を視覚を乗せて放つ。
アイリスの焦燥と、リックザクの狂気。
二つの歪んだ感情が混ざり合い、破滅へと向かっているのが見えるわ。
一方、本館のサロンでは、アイリスがヒステリックに叫んでいた。
「どうして! どうしてあの子ばかりが上手くいくの! 私がどれだけ苦労してこの地位を手に入れたと思っているの!」
彼女は手近な花瓶を床に叩きつけ、爪を噛む。
その横で、リックザクが虚ろな目で剣を磨いていた。
彼の手には、無数の古傷がある。
幼少期のシゴキ、イジメ、そして誰にも認められなかった孤独の証。
「……アイリス、泣くな。俺が守ってやる。俺が強ければ、誰にも文句は言わせないんだ」
「そうよ、あなた! 貴方は強いわ! あの店を燃やしてしまいなさい! そうすれば、全て元通りになるわ!」
アイリスがリックザクに縋り付く。
彼女は最初に出会った以前のように夫を愛しているのではない。
自分の地位を守るための『暴力装置』として利用しているだけだ。
けれど、リックザクにとって、彼女の言葉は絶対の命令であり、唯一の救いなのだ。
「ああ、分かった。燃やそう。俺たちの邪魔をする奴は、みんな灰にしてやる」
リックザクが立ち上がり、剣を帯びる。
その背中は、かつて私を守ってくれるはずだった父親のものではなく、ただの壊れた人形のそれだった。
「……来るわね」
私は離れの結界強度を上げた。
物理的な襲撃、それも実の父親による放火。
最悪のシナリオだけれど、これもまた『演出』の一部。
彼らが暴れれば暴れるほど、その罪は重くなり、私の正当性は高まっていく。
「ケイナ、消火器の準備よ。
ボヤ騒ぎくらいで済ませてあげるのが、せめてもの情けね。」
私はケイナに水魔法を封じた魔石で動く魔導具を用意させる。
「はい! いつでもいけます!」
「ショウちゃん、あんたはアイリスの動きを見張ってて。彼女が逃げ出そうとしたら、足を掬ってやりなさい」
『心得た。あの女の絶望面、特等席で拝ませてもらうとしよう』
準備は整った。
さあ、いらっしゃい、お父様。
貴方のその歪んだ愛情という名の暴力、私が全身全霊で受け止めて、綺麗さっぱりお直ししてあげるから!




