第57話 店に響くクソガキの絶叫と、歪な人形
大賢者のお墨付きを得て、店はますます繁盛していた。
そんなある日の午後、平穏な空気を引き裂くように、入り口のドアが乱暴に蹴り開けられた。
「おい! ここに姉上がいるって聞いたぞ! 出てこい、この穀潰し!」
店内に響き渡る甲高い声。
現れたのは、見覚えのある生意気な顔をした少年、フラッペだ。
彼は不釣り合いに高価な服を着崩し、手には古びたゴブリンの人形を握りしめている。その背後には、困惑した顔の従者が二人、オロオロと立っていた。
「あら、いらっしゃいませ。随分と元気なお客様ね」
私がカウンターから声をかけると、フラッペは私を睨みつけた。
その瞳には、子供特有の純粋な悪意と、歪んだ教育によって植え付けられた選民意識が混ざり合っている。
「やっぱり生きてたのか! お前のせいで、僕の家はめちゃくちゃだ! 母上は毎日ヒステリーを起こすし、父上は酒浸りだ! 全部お前のせいだぞ!」
「人のせいにしないでくれる?
それは全部、貴方の両親自身の行いが招いた結果よ。
それに、ここは私の店。
営業妨害をするなら、お引き取り願うわ」
私が冷静に諭すと、フラッペは顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
「うるさい! 僕は次期当主だぞ! こんな店、僕の命令一つで潰せるんだ!」
彼は手に持っていたゴブリン人形を振り上げた。
その人形は、薄汚れた布切れで作られた粗末なものだったが、妙に生々しい質感を持っていた。
魔力視覚で見ると、その内部には不釣り合いなほど高密度の魔石が埋め込まれているのが分かる。
(……何あれ。ただのオモチャじゃないわね)
「いけ、ゴブリン! この店をめちゃくちゃにしてやれ!」
フラッペが叫ぶと、人形の手足がギギギと音を立てて動き出した。
関節がありえない方向に曲がり、虚ろな目玉が赤く発光する。
それはまるで、呪いのビデオに出てくる悪霊のようだったわ。
「キャアアッ! 何あれ!?」
「化け物だ!」
店内の客たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
ケイナが咄嗟に客を庇い、ディーノが短剣を抜いて前に出る。
「ちっ、ガキの遊びにしちゃタチが悪いぜ。姐さん、やるか?」
「待って。あの人形、何かがおかしいわ」
私はディーノを制した。
人形の動きは確かに狂暴だけれど、どこかぎこちなく、何かに操られているというよりは、内部の何かが暴走しているように見える。
そして何より、フラッペ自身がその人形の動きに怯えているのが見て取れた。
「う、うわっ! なんだよこいつ、言うことを聞け!」
フラッペが叫ぶが、人形は制御を離れ、手当たり次第に商品を薙ぎ払い始めた。
陳列棚が倒れ、高価なドレスが床に散らばる。
私の大切な商品が!
「……いい度胸ね。私のお店で暴れるなんて、ただじゃ済まさないわよ」
私は銀の針を構え、カウンターを飛び越えた。
狙うは人形の四肢。
魔力の糸で関節を縫い止め、その動きを物理的に封じる。
「ショウちゃん、サポート!」
『承知した!』
ショウちゃんが影を伸ばし、人形の足元を拘束する。
その隙に、私は針を閃かせた。
シュッ、シュッ!
空気を切り裂く音が響き、見えない糸が人形の手足を絡め取る。
「ギギッ……ガガッ……!」
人形は奇声を上げながらも、その場に縫い付けられたように動きを止めた。
私はフラッペの前に立ち、彼を見下ろした。
「さあ、説明してもらいましょうか。この危険なオモチャ、誰に貰ったの?」
「ひっ……! し、知らない! 母上がくれたんだ! 『これがあれば強くなれる』って!」
「アイリスが……?」
なるほどね。
自分の手を汚さずに、息子を使って私を排除しようとしたのか、あるいは息子ごと始末しようとしたのか。
どちらにせよ、母親失格だわ。
「可哀想な子。親に利用されていることにも気づかないなんて」
私は人形に近づき、その内部構造を解析し始めた。
そこには、私の想像を超える、悪意に満ちた術式が刻まれていたわ。
++++++++
私は動かなくなった人形に指を触れ、その内部に渦巻く魔力の流れを読み解いた。
そこにあったのは、単なる『暴走』のプログラムだけではない。
もっと深く、ドロリとした感情の澱のようなものが、人形の核となる魔石にこびりついていた。
「……これは、怨念? いいえ、もっと悲しい感情ね」
魔石の中から聞こえてくるのは、助けを求める小さな声。
そして、誰かを守ろうとして果たせなかった、無念の咆哮。
私はハッとして、フラッペの方を見た。
彼は床にへたり込み、ガタガタと震えながら人形を見つめている。
その瞳には、現在の恐怖だけでなく、過去のトラウマが映し出されているようだった。
「フラッペ、答えなさい。
この人形の核に使われている魔石、どこで手に入れたの?」
「……し、知らない! 森で拾ったんだ! あの時、僕を助けてくれた犬が……死んだ場所に落ちてたんだ!」
彼の言葉で、全てのピースが繋がった。
かつて彼が森で魔獣に襲われた時、身を挺して守ってくれた野良犬。
その犬の命が尽きた場所で拾った魔石には、犬の魂の欠片が宿っていたのだ。
フラッペはそれを無意識に感じ取り、人形の中に入れて『復活』させようとしたのかもしれない。
けれど、アイリスはその純粋な願いを歪め、『攻撃本能』だけを増幅させる呪いをかけた。
(……なんて悪趣味な。子供の罪悪感を利用して、兵器に仕立て上げるなんて)
私の胸の奥で、静かな怒りが燃え上がる。
アイリスもまた、かつて貧困と喪失に苦しんだ過去を持つはず。
守りたいものを守れなかった絶望を知っているはずなのに、どうして自分の息子に同じ思いをさせようとするの?
「……動け! 動いてくれよ! 僕を守ってくれるんじゃなかったのかよ!」
フラッペが泣き叫ぶ。
その声は、我儘な貴族の令息ではなく、ただの無力な少年のものだった。
彼は人形を壊したかったわけじゃない。
ただ、失った『守護者』を取り戻したかっただけなのだ。
「いいわ、フラッペ。その願い、私が引き受けた」
私は銀の針を構え、魔導を展開し人形の胸に突き立てた。
狙うは、アイリスが施した『暴走』の術式のみ。
犬の魂を傷つけないよう、慎重に、かつ大胆に、黒い呪いの糸を切り裂いていく。
「ショウちゃん、力を貸して!
この子の迷える魂を、正しい形に導いてあげるの!」
『フン、世話の焼ける姉弟だ。だが、その心意気は嫌いではない』
ショウちゃんが影を伸ばし、人形を包み込む。
私はその影の中で、魔力糸を高速で編み上げた。
歪んだ関節を直し、千切れた布地を補強し、禍々しいカオを、勇猛で忠実な番犬の姿へと縫い直していく。
「オペ終了! 蘇りなさい!」
私が針を引き抜くと、人形がカッと目を見開いた。
その瞳から赤い光が消え、代わりに温かな琥珀色の輝きが宿る。
ゴブリンの醜悪な姿は消え去り、そこにはパッチワークで出来た、愛嬌のある『犬のぬいぐるみ』が立っていた。
「わんっ!」
人形が一声吠え、フラッペの元へと駆け寄る。
そして、彼の頬を布製の舌でペロリと舐めた。
「……え? お前……ポチ、なのか?」
フラッペが呆然と呟く。
人形は嬉しそうに尻尾を振り、彼の腕の中に飛び込んだ。
その温もりは、かつて彼が失ったものそのものだったはずだ。
「……う、うわぁぁぁん! ごめんよ、ごめんよぉぉ!」
フラッペは人目も憚らず、人形を抱きしめて号泣した。
その姿を見て、店内の客たちも、ケイナも、もらい泣きしている。
ディーノだけが「やれやれ」と肩をすくめていたけれど、その目は優しかった。
「……さて、感動の再会はそこまでよ」
私は涙を拭い、フラッペの前に立った。
彼はビクリとして私を見上げる。
「勘違いしないで。
私はあんたを許したわけじゃないわ。
店を荒らした賠償金、きっちり請求させてもらうからね」
「……は、はい。お小遣い、全部払います……」
「それと、その人形。ポチって言うの?
彼を二度と悲しませないこと。
それが、あんたに課せられた『飼い主』としての責任よ」
「うん……! 絶対に、大切にする!」
フラッペが力強く頷く。
その顔には、もう以前のような卑屈な色はなかった。
彼は立ち上がり、私に深々と頭を下げた。
「姉上……ありがとう。そして、ごめんなさい」
「……ふん。分かればいいのよ」
私はそっけなく答えたけれど、口元が緩むのを止められなかった。
壊れた関係も、歪んだ心も、正しい手順で縫い直せば、いつかは元に戻る。
あるいは、以前よりも強く、美しい形に生まれ変わるのかもしれない。
「さあ、帰んなさい。アイリスが心配するわよ。……まあ、あっちには別の意味で心配事があるでしょうけどね」
フラッペはポチを抱えて店を出て行った。
その背中は、来た時よりも少しだけ大きく見えたわ。
「さて、一件落着ね。みんな、掃除を再開するわよ!」
私は手を叩き、日常を取り戻した。
けれど、心の中には新たな決意が芽生えていた。
アイリス。
貴女の歪んだ愛情が、子供たちをどれだけ傷つけてきたか。
その罪、私がきっちりと『お直し』してあげる。
覚悟していなさい。




