第47話 利権の糸を縫い合わせる契約、そして明かされる辺境の闇
ディーノが街道の魔獣を一撃で葬り去ったというニュースは、瞬く間に王都の商業界を駆け巡った。
『フロンティア・テキスタイル』は、単なる流行りの服屋ではなく、独自の武力と魔法技術を持つ新興勢力として認識され始めたのだ。
その効果は絶大だったわ。
「ストレイ様! やりましたな! あの魔獣退治のおかげで、街道の通行料がタダ同然になりましたぞ!」
ロドリが満面の笑みで工房に飛び込んできた。
彼の手には、分厚い契約書の束が握られている。
「冒険者ギルドも騎士団も、貴女の技術に興味津々です。今なら、どんな条件でも通りそうですな」
「あら、それは重畳。
じゃあ、遠慮なく要求させてもらうわね」
私は契約書を受け取り、ペンを走らせた。
イマクサ地方への物流ルートの確保、関税の免除、そして現地で採れる魔石と薬草の優先買取権。
これらは全て、私がイマクサを『お直し』するために必要なライフラインだ。
「……ふむ。少々強気な条件ですが、今の貴女の勢いなら文句を言う者はいないでしょう。ここにサインをいただければ、ゲイス商会の全物流網をお貸しします」
「ええ、喜んで。
……ただし、一つだけ条件を追加させて」
私はペンの手を止め、ロドリを見据えた。
「イマクサの『現状』についての詳細なレポート。
父が隠していた、本当の数字が知りたいの」
ロドリの表情が曇る。
彼は懐から、封蝋された一通の封筒を取り出した。
それは、表の帳簿には載らない、裏の情報網から得た極秘資料だ。
「……覚悟しておいてください。そこに書かれているのは、地獄の風景ですよ」
私は封を切った。
中には、現地の協力者が命がけで集めた、イマクサの惨状を伝える写真と手記が入っていた。
痩せ細った子供たちが、泥水を啜っている姿。
『パンギュウ教』の祭壇に、なけなしの食料を捧げる村人たち。
そして、異民族の反乱軍が放った火矢によって、村が焼かれている光景。
「……ッ。これは……」
想像以上だった。
父の悪政と詐欺被害だけでなく、宗教対立と民族紛争まで絡み合っている。
行政は完全に機能不全に陥り、法も秩序も存在しない無法地帯。
それが、亡き母が愛したイマクサの今の姿だった。
「特に深刻なのが、この『パンギュウ教』です。彼らは『ふくらし粉』を使ったパンを奇跡の食料として配り、信者を増やしています。しかし、その粉には中毒性のある薬物が混入されているという噂も……」
「薬物ですって?
許せないわね。
人の弱みにつけ込んで、食い物にするなんて」
私は拳を握りしめた。
服飾デザイナーとして、そして何より一人の人間として、こんな歪んだ構造は見過ごせない。
汚れた服を着せられ、心を病んでいく人々。
彼らを救うには、ただ食料を送るだけじゃ足りない。
この腐りきった社会システムそのものを、根底からリフォームする必要がある。
「ロドリさん。
契約は成立よ。
ただし、私たちの目的は利益追求だけじゃない。
イマクサを、人間が人間らしく生きられる場所に作り変える。
それが、フロンティア・テキスタイルの使命よ」
「……承知しました。私も商人として、泥舟に乗った以上は最後までお供しますよ。それに、平和になればケッターももっと盛り上がりますからな」
ロドリがニカっと笑う。
不純な動機だけど、今はそれが頼もしいわ。
「よし、方針は決まったわね。
ディーノ、ケイナ、ショウちゃん! 作戦会議よ!」
私は主要メンバーを招集した。
テーブルの上にイマクサの地図を広げ、それぞれの役割を割り振っていく。
「ディーノは引き続き現地情報の収集と、反乱軍への接触を。彼らを取り込めば、大きな戦力になるわ」
「了解。血の気の多い連中だが、話せば分かる……かもしれねえな」
「ケイナは物資のパッキングと、現地での配給ルートの確保。
パンギュウ教に対抗するために、私たちが『本物のパン』と服を配るのよ」
「はい! 美味しいパンと温かい服があれば、皆さんの目も覚めるはずです!」
「そして私は……この混沌とした状況を、一つの『巨大なショー』として演出する。ケッター大会を起爆剤にして、イマクサの空気を一気に入れ替えてやるわ」
私は地図の中心に、赤いペンで印をつけた。
そこは、イマクサの中央広場。
かつて母が愛した、美しい海が見える場所。
「見てなさい、バルバロス公爵。
そしてパンギュウ教の教祖様。
貴方たちが作った地獄を、私が最高の楽園に塗り替えてあげるから!」
私の宣言と共に、工房の空気が熱を帯びた。
契約書にサインをし、印鑑を押す。
その乾いた音が、イマクサ解放戦線の開始を告げる号砲となったわ。
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イマクサへの陸路はロドリの商会とディーノの裏工作で確保できそうだけれど、海路はまだ手つかずだったわ。
イマクサは半島に位置していて、海からのアクセスが生命線になる。
そこを抑えられれば、バルバロス公爵の包囲網を完全に無力化できるはず。
「ねえロドリさん。王都に、『元・海賊』が潜伏してるって噂、聞いたことない?」
私が尋ねると、ロドリは目を丸くして、声を潜めた。
「……まさか、『隻眼の鮫』こと、バルガス船長のことですか? 彼は数年前に海軍に追われて引退し、今は港湾区で酒場をやっていると聞きましたが……。気難しい男ですよ? 金で動くような相手じゃありません」
「金で動かないなら、夢で釣ればいいのよ。案内して」
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私たちは夜の港湾区へと向かった。
潮の香りとアルコールの匂いが混ざり合う、荒くれ者たちの溜まり場。
その一角に、古びた看板を掲げる酒場『鮫のあぎと』があった。
店に入ると、カウンターの奥で巨大な男がグラスを磨いていた。
左目には眼帯、腕には無数の傷跡。
全身から発する威圧感は、ただの店主のものではない。
「いらっしゃい。……なんだ、お嬢ちゃん。ミルクでも飲みに来たのか?」
バルガスが低い声で嗤う。
店内の客たちが一斉にこちらを見て、下卑た笑い声を上げた。
私は動じることなく、カウンターの席に座り、一枚の地図を広げた。
「ミルクはいらないわ。
欲しいのは、貴方の船と、その腕よ」
「……ほう? 俺に喧嘩を売りに来たのか?」
今にも人を殺しそうな雙眼でジロリとストレイを睨むが、ニコリと笑う。
「いいえ、商談よ。
貴方、海が恋しくない?
陸の上でグラスを磨くだけの人生なんて、退屈で死にそうでしょう?」
私の挑発に、バルガスの目が鋭く光った。
彼はグラスを叩きつけ、身を乗り出してきた。
「小娘が、知った風な口を……! 俺はもう海賊じゃねえ! 海軍に追われるのは御免だ!」
「海賊をやれとは言ってないわ。
私が作るのは『正規の商船団』よ!
貴方には、その船団長になってもらいたいの。
運び出すのは略奪品じゃなくて、未来を切り開くための資材と希望よ」
私はイマクサの海図を指差した。
そこには、かつて彼が暴れ回っていた海域が記されている。
「イマクサの海は今、公爵の艦隊に封鎖されているわ。
でも、貴方なら抜け道を知っているはず。違って?」
「……公爵だと? あの古狸か。あいつには昔、部下を売られた借りがある」
バルガスの表情が変わった。
復讐心と、海への渇望。
その二つの火種が、彼の中でくすぶり始めている。
「私と組めば、公爵に一泡吹かせることができるわ。
それに、私の魔法糸で貴方の船を『最強の高速船』にリフォームしてあげる。
海軍の追撃なんて、あくびが出るほど遅く感じるようになるわよ」
「魔法で、船を……?」
「ええ。摩擦ゼロの船底、風を孕む魔導帆、そして絶対に沈まない構造強化。どう? 乗ってみたくない?」
私は彼に手を差し出した。
バルガスはしばらく私の目を見つめ、やがてニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
「……面白え。乗ったぜ、お嬢ちゃん。いや、ボス」
彼が私の手を握り返した瞬間、酒場中がどよめいた。
伝説の海賊が、再び海へ戻る。
そのニュースは、陸路の開通以上に、イマクサの人々を勇気づけるはずだわ。
「契約成立ね。
さあ、忙しくなるわよ!
船の改修と、乗組員の招集! 明日の夜明けには出航できるように準備して!」
「アイアイサー! 野郎ども、聞け! 俺たちはまた海に出るぞ! 今度の獲物はデカいぞォ!」
バルガスの号令に、店内の客たち、元海賊の仲間たちが歓声を上げて立ち上がる。
陸と海、両方のルートを手に入れたフロンティア・テキスタイル。
私たちの包囲網は、確実にバルバロス公爵の首を絞め始めている。
「待ってなさいイマクサ。
海風に乗って、最高の『お直し』を届けてあげるから!」




