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第4話 世界を構成する「バイアス」と「テクスチャ」


 離れに戻った私は、さっそくケイナに命じて、納戸の奥に押し込まれていたガラクタをすべて床にぶちまけさせた。


 埃を被った古い刺繍枠、錆びた裁断ばさみ、そして色の褪せた糸屑の山。

 ストレイがかつて、わずかな慰めとして触れていた道具たちは、今や私の最強の武器に見える。


 四十二歳のおばさんが培った執念は、どんなゴミ山からでも利益という名のダイヤモンドを見つけ出すのよ。


 リサイクルショップで百円の古着を掘り出し、リメイクして五千円で売っていたあの頃の嗅覚が、今ここで役立つとは思わなかったわ。


 「お嬢様、そんな汚れた糸をどうなさるのですか?

 私が新しいものを、いえ、本館に交渉して……」


 「いいのよケイナ。

 あいつらに頭を下げても、出てくるのは嫌みと毒入りの紅茶くらいなものでしょ。

 それに、私にはこれがただの糸屑には見えないの」


 私は人差し指を一本、スッと空中に突き立てた。

 再び魔導を呼び出し、概念を視覚化、世界の構成を覗く。

 意識を研ぎ澄ませると、この世界の空気が単なる透明な空間ではなく、緻密に編み上げられた巨大な布地のように見えてくる。


 これが私の魔法の正体。


 この世界を形作る『バイアス』――つまり斜めの歪みと、そこに刻まれた『テクスチャ』という名の質感。


 一流の魔法使いは、きっと難しい数式や詠唱を使ってこの布地にハサミを入れるのだろうけれど、私に言わせればそんなのは『にわかの仕業』ね。


 世界の仕組みに使われている『にわかの仕業』でなく、世界を読み解き、概念を擦りかえていく私の魔法。


 「いい? ケイナ。

 この世界の仕組みは、案外単純なのよ。

 縦糸が因果で、横糸が現象。

 その交点にちょっとだけ指を引っかけて、ピッと弾けば……ほら」


 私は指先から銀色の魔力糸を紡ぎ出し、空中に浮遊する微細な埃に絡めた。


 ただの埃が、私の魔力という染料を吸い込んで、真珠のような光沢を放ち始める。

 バイアスに沿って魔力を流せば、物質は反発し、テクスチャを書き換えれば、強度は何倍にも跳ね上がる。


 詠唱で世界に奇跡を起こすと思っている魔法使いは出来ない改変。


 服飾専門学校時代、生地の裏表すら分からなかった私を叩き直してくれたあの鬼講師に比べれば、世界の理を縫い直すなんて、型紙なしでエプロンを作るくらい簡単なことだわ。


 「……お嬢様、光が、お嬢様の指先から魔法のドレスのように溢れて……」


 ケイナがうっとりと目を輝かせる。


 かつて『ワイワイ放送』で、百均のレースを組み合わせてパーティードレスに見せる『イベント配信』をしていた時の、イツメンたちの驚きと同じ反応ね。

 あの頃は十円の投げ銭に必死だったけれど、今は自分の命と、この健気なマネージャーの未来がかかっている。


 気合の入れ方が違うわよ。


 私は床に落ちていた、今にも千切れそうな木綿の糸を手に取った。


 魔導を解放し、概念を視覚で捉えて構成していく。

 現実化させる構成過程に魔力の『撚り』を加え、強固な魔法回路を構築していく。


 イメージするのは、筋肉の動きを補助し、重力を軽減する、最強のサポーター。


 病弱なストレイの体力を補うためには、内側からの治療だけじゃ足りない。

 外側から骨格そのものを有機的に補強する、パワードスーツならぬ『パワード下着』が必要なのよ。

 いわゆる、究極の補正下着、コルセットね。


 「さて、まずはこのボロ糸を、龍のヒゲよりも丈夫な魔法繊維に仕立て直してあげるわ。見てなさい、これが本物の『にわか』……いえ、通りすがりの服屋の底力よ」


 私は錆びたはさみを手に取り、概念を視覚で歪めて固定化し、空気の織り目をザクリと切り裂いた。


 新しい衣装の仮縫いは、もう始まっている。

 この細い体を、鋼鉄よりも強靭で、羽毛よりも軽い『最強の肉体』に作り変えるための最初の一歩だ。


++++++++


 私は手元にある朽ち果てた木綿糸に、魔導で作り出された銀色の魔力糸をらせん状に巻き付けていった。

 ただ巻き付けるのではない。


 服飾の専門家として糸の撚り目一つ一つに対して、私の魔力を『芯』として打ち込み、物質的なテクスチャを根本から変質させていく。


 服飾の世界では生地の『地直し』が基本中の基本だけれど、魔導が作り出す魔法の世界だって同じことだわ。

 歪んだ織り目を正して、そこに適切なテンションをかけてあげれば、ただの糸屑だって実は、神話級の魔導具に化ける。


 「お嬢様、その糸……まるで生き物のように光って。

 そんな綺麗なもの、今まで見たことがありません」


 ケイナが驚愕の声を漏らすのも無理はない。

 私の手の中にあるのは、もはや木綿糸ではなく、純粋な魔力そのものを編み上げた、しなやかで強靭な『因果の鎖』だ。


 私はそれを使い、自分の寝間着の裏地に、直接刺繍を施し始めた。


 イメージするのは、人体の筋肉図。

 それもただの解剖図じゃない。


 舞台の上で全盛期のジャイ子を演じるために、一分間に百回のステップを踏んでも動じなかった、あの頃の私の筋肉の躍動感。


 弱り切ったストレイの体は、神経の伝達がブチブチに切れた粗悪な生地のようなものだわ。

 なら、その回路を外側から刺繍で補って、強制的に『最高級のシルク』の動きをさせてあげればいい。


 「いい、ケイナ。

 魔法なんていうのはね、にわかで十分なのよ。

 この世界で通じる難しい理屈なんて、後から学者が勝手に肉付けすればいい。

 私たちは今、この瞬間に『動ける体』があればそれでいいんだから」


 残念ながら、チートとは偉大だが(私も含む)


 魔導で視覚、構成した魔力糸。

 私は迷いなく、自分の脇腹から脚の付け根にかけて、不可視の魔力糸で機能的なステッチを刻み込んでいった。

 一針通すたびに、震えていた膝に力が宿る。

 二針通すたびに、濁っていた肺の奥が軽くなる。

 これは身体強化の魔法というよりも、自分という存在そのものを『お直し』する作業に近かった。


 最後のひと針を止めると、私の体の中に一本の芯が通ったような、圧倒的な充足感が突き抜けた。


 私はベッドから飛び降りるようにして着地した。

 昨日までの重りはどこにもない。

 羽が生えたように軽い身体。

 全盛期の、それも二十代の頃のバイタリティが、今の私の指先まで満ち溢れている。


 「……お嬢様?

 今、宙を舞ったように見えましたが。

 お身体は、もうよろしいのですか?」


 「よろしいも何も、絶好調よ。

 見てなさい、今の私ならバナナの皮を十枚並べられても、全部完璧に回避して、そのままバク転して見せるわ」


 私は自分の拳を握り、ニヤリと笑った。

 かつて『ワイワイ放送』で、誰も見ていない深夜に酔っ払いながら『死ぬほど動けるジャイ子』として投げ銭を期待しダンシングイベントを行った。


 汗だく3時間のパンチラ付きダンシングイベント配信で四十路が手にしたの『650円』投げ銭なり。

 「下着が見えてるぞ!」って言われながら逆立ちしたり全力ダンスを披露した、あの頃のキレが戻ってきている。

 イツメンたちが見ていたら、きっとコメント欄を『草』で埋め尽くしてくれたでしょうね。いや草は良いから三十円でいいから銭投げて。


 窓の外に目を向けると、相変わらず本館からは虚飾の明かりが漏れている。

 あそこにいる連中は、まだ知らない。


 自分たちが毒殺しようとした病弱令嬢が、その中身が百戦錬磨の女芸人と融合し、詰め替えられ、さらに魔法の力で『物理的にも最強』に仕立て直されたなんて。


 「さて、ケイナ。

 リフォームの第一段階は終了よ。

 次はいよいよ、あのお義母様から届けられる、毒入りの栄養剤――あの汚いスープを、最高に『美味しく』お直ししてやりましょうか」


 私は銀色の髪をかき上げ、不敵な笑みを浮かべた。


 私の第二の人生の舞台は、まだ始まったばかり。


 観客は一人でも、演者が私である以上、中途半端な幕引きなんて許されないわよ。



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