第39話 独立宣言、私はもう『フロンティア家の娘』じゃない
『ケイナの涙』で祝杯を挙げた翌朝、私は二日酔い……ではなく、少しばかりの気怠さと共に目覚めた。
窓から差し込む王都の朝日は眩しく、空き瓶の山が昨夜の宴の痕跡を容赦なく照らし出している。
けれど、私の心はかつてないほど澄み渡っていたわ。
「おはようございます、お嬢様。お加減はいかがですか?」
ケイナが爽やかな笑顔で、濃いめのコーヒーと焼きたてのクロワッサンを運んでくる。
彼女はもう完全に『舞台監督』の顔つきだわ。
昨夜あれだけ飲んだのに、一ミリも乱れていない制服の着こなし。
プロ意識の塊ね。
「おはようケイナ。気分は最高よ。まるで、長年背負っていた重い荷物をようやく下ろしたみたい」
私はコーヒーを啜りながら、窓の外を見下ろした。
通りの向こうでは、早起きのパン屋の煙や、市場へ向かう人々の活気が溢れている。
『フロンティア・テキスタイル』の評判は日増しに高まり、今や王都で最も注目されるブランドの一つになりつつある。
「ねえケイナ。私、決めたわ」
「何をですか?」
「私はもう、あの泥舟……父と継母が支配するフロンティア家の娘じゃない。私は、母の血と意志を継ぐ、新しいフロンティア家の当主として生きる」
私は静かに、けれど力強く宣言した。
本館が燃え落ち、父たちが没落したあの夜、私は物理的に家を捨てた。
けれど、家名まで捨ててしまえば、母が遺してくれた大切な領地『イマクサ』を守る権利まで失ってしまう。
だから私は、名前を捨てるのではなく、その『定義』を書き換えることにしたの。
「お嬢様……! それはつまり、旦那様と縁を切って、ご自身で家を興すということですか?」
「ええ。法的には『分家独立』か、あるいは父の廃嫡を申し立てて私が当主になるか。どちらにせよ、あんな詐欺師の操り人形の下にいるつもりはないわ」
私は立ち上がり、クローゼットから新しいドレスを取り出した。
それは、貴族の伝統的なデザインを大胆にアレンジした、機能性と美しさを極限まで追求した一着。
『独立』の意志を込めて作った、私の勝負服だわ。
「さあ、着替えましょう。今日は大事なお客様が来る予感がするの」
私の予感は、往々にして当たるものよ。
昼過ぎ、店の前の行列がざわめき始めた。
人波を割って現れたのは、王宮の紋章を掲げた一台の馬車。
降りてきたのは、以前離れを訪れたあの監察官だった。
「……やはり、ここにいらしたか。ストレイ・フロンティア嬢」
監察官は店に入ると、帽子を取って深々と一礼した。
その態度は、犯罪者に対するものではなく、敬意を表すべき相手へのそれだった。
「ご無沙汰しております、監察官様。
私の店へようこそ。
今日は公務ですか?
それとも、新しいコートの注文かしら?」
「両方だと言いたいところだが、今日は公務だ。……貴女に、王宮からの『招致状』を届けに来た」
彼が差し出した封筒には、王家の封蝋が押されていた。
店内の客たちが息を呑む気配がする。
王宮からの招致。
それは、私の存在が国に認められた証であり、同時に新たなトラブルの火種でもある。
「内容は?」
「貴女の生存と、その特異な魔導技術についての聴取だ。……表向きはな。実際には、国王陛下が貴女の作る『服』に興味を持たれているのだよ」
「あら、光栄ね。陛下もお目が高いわ」
私は封筒を受け取り、その場で開封した。
中には、丁寧な筆致で書かれた招待状が入っていた。
『来たる建国記念式典にて、貴殿の技術を披露されたし』
「……なるほど。単なるお茶会じゃなくて、公式の場でのデモンストレーションをご所望ってわけね」
これはチャンスだわ。
王宮という最高の檜舞台で、私のブランドを世界中にアピールできる絶好の機会。
同時に、私を亡き者にしようとした連中――アイリスや、その背後にいるバルバロス公爵に対する、強烈なカウンターパンチにもなる。
そして何より、国王陛下の前で私の実力を示せば、父を廃して私が当主になる正当性を認めさせることもできる。
「分かりました。謹んでお受けします。……ただし、条件が一つ」
「条件?」
「私のショーは、私のルールでやらせてもらうわ。
演出、衣装、モデル。全て私が決める。文句は言わせない」
監察官は苦笑し、肩をすくめた。
「……貴女らしい。いいだろう、陛下にはそう伝えておく。だが、くれぐれも騒ぎは起こさないように頼むよ」
「善処するわ。
でも、最高のショーには多少の『サプライズ』が付き物でしょう?」
私は不敵に笑い、監察官と握手を交わした。
彼が去った後、店内は歓声に包まれた。
「あの店主、王宮に呼ばれたってよ!」
「すげえ! 次の流行は間違いなくここから生まれるぞ!」
客たちの興奮が、そのまま売上へと直結していく。
「やったわね、姐さん! 王宮デビューかよ!」
ディーノが背中を叩いてくる。
ケイナも感極まってハンカチを目に当てている。
「まだ早いわよ。これは始まりに過ぎない。王宮でのショーを成功させて初めて、私たちは本物の『一流』になれるの」
私は皆を見渡し、力強く宣言した。
「準備にかかるわよ!
ターゲットは国王陛下、そして世界の常識!
私たちの『お直し』で、この国の歴史を塗り替えてやるんだから!」
「「「おーっ!!」」」
三人と一匹の声が重なり、新たな目標へ向けて動き出す。
独立宣言は済んだ。
次は、実力行使の時間よ。
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王宮でのショー開催が決まり、私は工房に籠もりきりになっていた。
今回のテーマは伝統の再構築『ネオ・クラシック』
『革命』なんて過激な言葉を使えば、頭の固い貴族たちに警戒されるだけだわ。
だから私は、あくまで「古き良き伝統を尊重しつつ、現代の魔導技術でそれを補強する」という建前を用意した。
中身は、従来の常識を根底から覆す、超機能性ドレスなんだけどね。
「お嬢様、大変です! 取引先の問屋から、急に絹糸の納品を断られました!」
ケイナが青い顔をして飛び込んできた。
見れば、彼女の手には何通ものキャンセル通知が握られている。
絹糸だけでなく、染料、ボタン、レースに至るまで、主要な素材の供給が軒並みストップしている。
「……あら、手が早いわね。バルバロス公爵かしら」
私はペンを止め、眉をひそめた。
王宮に呼ばれたことで、私の存在が公爵の耳に入ったのだろう。
彼は私が生きていることを知り、表舞台に出るのを阻止しようと圧力をかけてきたのだ。
「どうしましょう、お嬢様。これではドレスが完成しません!」
「落ち着きなさい、ケイナ。こんなこともあろうかと、裏の手は打ってあるわ」
私は、大枚を払って設置した縦型に置いたベッドほどの大きさがある有線通信用の魔導具を起動し、ロドリを呼び出した。
画面の向こうで、ロドリはニヤニヤと笑っている。
「なるほど、ストレイ様。お困りのようですねえ」
「ええ、困ってるフリをしてあげてるのよ。
……例のルート、準備はできてる?」
「もちろんです。公爵が表の流通を止めることは想定内。我々ゲイス商会は、裏の闇市から最高級の素材を調達済みですよ。値段は少々張りますがね」
「ふん、足元を見るわね。
いいわ、言い値で買う。
その代わり、この妨害工作の証拠も一緒につけてちょうだい」
「お安い御用です。公爵の手下が問屋を脅している現場、バッチリ魔導カメラに収めてありますよ」
ロドリとの通信を切ると、私は不敵に笑った。
素材は確保できた。
おまけに、公爵の悪事の証拠まで手に入った。
これをどう料理してやろうかしら。
「ディーノ、出番よ。街の噂好きたちに、ある情報を流してきて」
「へいよ。どんなネタだ?」
「『隣国の公爵が、王宮のショーを妨害するために国内の流通を操作している』。そして、『それに負けず、ストレイ・フロンティアは王国の伝統を守るために伝説のドレスを完成させようとしている』……ってね」
「なるほど。愛国心を煽って、世間の同情を引くってわけか」
「それだけじゃないわ。公爵の妨害を逆手に取って、ショーの注目度を上げるの。彼が邪魔すればするほど、私のドレスの価値は上がっていくんだから」
ディーノはニヤリと笑い、影の中へと消えていった。
数日後、王都は私の噂で持ちきりになっていた。
「あのフロンティア令嬢が、他国の圧力に屈せずドレスを作っているらしい」
「なんて健気なんだ」
「我々の文化を守ろうとしてくれている!」
市民の期待は最高潮に達し、王宮のチケットはプラチナ化しているという。
「……くくっ。
ざまあみろですわ、バルバロス。
貴方の悪意は、全部私の宣伝費に変わったわよ」
私は完成したドレスをマネキンに着せ、その仕上がりを確認した。
深紅のベルベットに、漆黒の影銀糸が複雑な紋様を描いている。
見る角度によって色を変え、まるで生きているかのように脈動する『生きたドレス』。
これこそが、私の最高傑作。
「ケイナ、ショウちゃん。準備はいい? 明日は決戦よ」
「はい、お嬢様! 私、モデルとして恥じないよう、精一杯歩きます!」
『フン、吾輩の糸を使ったのだ。失敗などありえん』
私たちは顔を見合わせ、力強く頷いた。
王宮のホール、煌びやかなシャンデリアの下。
そこが、私の独立を宣言する最高の舞台になる。
待っていなさい、国王陛下。
そして、影でコソコソしているバルバロス公爵。
私の『お直し』で、この国の歴史ごと、綺麗に洗濯してあげるから!




