第36話 深夜のパッキング、思い出はポケットの中に
深夜の本館は、まるで墓場のように静まり返っていた。
昼間の喧騒が嘘のように、父とアイリスは疲れ果てて泥のように眠っている。
彼らの枕元には、空になった酒瓶と、破り捨てられた督促状が散らばっていたわ。
「……寝顔だけは平和そうね。夢の中では、まだ大領主様のつもりかしら」
私は彼らの寝室を素通りし、屋敷の奥へと進んだ。
私の後ろには、巨大な布袋を担いだケイナと、闇に溶け込んだショウちゃんが続いている。
今夜の目的は、この屋敷に残された『最後の価値』を回収すること。
借金取りに持っていかれるくらいなら、私が有効活用してあげるのが、せめてもの親孝行ってものでしょう?
「お嬢様、指先が……あちらの壁を指しています! 応接間の壁に、隠し金庫の反応があります!」
ケイナが小声で叫び、指差す。
彼女の指には、私と繋がった極細の魔法糸が巻き付けられており、それがダウジングロッドのように宝のありかを示しているのだ。
彼女の目は、今やすっかり『お宝ハンター』の輝きを帯びているわね。
私の教育の賜物だわ。
「でかしたわケイナ。ショウちゃん、解錠お願い」
『心得た』
ショウちゃんが影を伸ばし、金庫の鍵穴に侵入させる。
カチリ、という音と共に扉が開き、中から眩い光が溢れ出した。
そこには、父が隠し持っていた裏金と、アイリスがこっそり買い集めた宝石の数々が眠っていた。
「あらあら、こんなに溜め込んでいたなんて。
借金の返済に充てればいいのに、強欲な人たちね」
私は呆れながらも、手早く宝石を鑑定していく。
大半は贋作や安物だったけれど、中には本物の魔石や、歴史的価値のあるアンティークも混ざっていた。
私はそれらを仕分けし、価値あるものだけを魔法の布へと放り込んでいく。
「さて、小物はこれくらいにして。次は大物よ」
私は広間へと移動し、壁に掛けられた巨大な肖像画や、重厚なオーク材のテーブルを見上げた。
これらはフロンティア家の歴史そのものであり、同時に市場で高値で取引される『ヴィンテージ家具』でもある。
「これを運ぶのは骨が折れそうですね……。ディーノさんを呼べばよかったでしょうか?」
「必要ないわ。私には『魔法糸』があるもの」
私は魔導を展開し概念を視覚化して指先から極細の影銀糸を放ち、家具全体を蜘蛛の巣のように絡め取った。
イメージするのは、服飾にも便利な布団圧縮袋の原理。
空間ごと対象を包み込み、中の空気を抜くようにして、物理的なサイズを極限まで縮小させる。
圧縮パッキング、『コンプレッション・パック!』
私が指を鳴らすと、巨大なテーブルが音もなく収縮し、瞬く間に手のひらサイズのマッチ箱へと変わった。
概念の再構築、質量保存の法則を無視したこの魔法こそ、私が編み出した服飾系『収納チート』の真骨頂よ。
「す、すごいです! あんなに大きかったテーブルが、こんなに小さく!」
「ええ、便利でしょ? これならポケットに入れて持ち運べるし、いつでも好きな時に取り出して使えるわ。まさに『持ち運べる豪邸』ね」
私は小さくなった家具を次々とポケットに放り込んでいった。
肖像画も、シャンデリアも、父が愛用していたロッキングチェアも。
全てが私の掌の上で転がされ、ただの『アイテム』として回収されていく。
「……ふふっ。
これでお父様が起きたら、腰を抜かすでしょうね。
自分が座る椅子さえなくなっているんだから」
「お嬢様、あそこに!」
ケイナが指差したのは、暖炉の上に飾られた一本の剣だった。
それは、フロンティア家に代々伝わる『守護の剣』。
かつて父が戦場で振るい、武勲を立てたという名剣だ。
「……懐かしいわね。
昔はよく、これを磨く手伝いをさせられたわ」
私は剣を手に取り、その冷たい感触を確かめた。
刀身は錆びつき、刃こぼれも酷い。
父の堕落を象徴するかのような、無残な姿。
けれど、その奥底にはまだ微かに、かつての栄光の輝きが残っているようにも見えた。
「どうしますか? これも持っていきますか?」
「……ええ、もらうわ。
このまま朽ち果てさせるには惜しいもの。
私がリフォームして、新しい持ち主に渡してあげる」
私は剣を布で包み、丁寧にパッキングした。
これは金のためじゃない。
かつて誇り高かった父への、最後の手向けよ。
「よし、あらかた回収したわね。……ん? ショウちゃん、何をしてるの?」
ふと見ると、ショウちゃんが床の隅で何かをカリカリと引っ掻いていた。
そこは、誰も気にも留めないような、埃の溜まった床板の隙間。
けれど、彼の鋭い感覚は、そこに隠された『何か』を嗅ぎ取っていたのだ。
『……ここだ。微かだが、古い魔力の匂いがする。それも、貴様の母と同じ匂いだ』
「母様の……?」
私は駆け寄り、床板を剥がした。
そこには、小さな木箱が隠されていた。
開けてみると、中には一冊の日記帳と、古びたロケットペンダントが入っていた。
「これは……母様の日記?」
ページをめくると、そこには母の几帳面な文字で、日々の出来事や私への愛情、そして……父への複雑な想いが綴られていた。
『あの方が変わってしまったのは、私のせいかもしれない』
『もっと強くならなければ。あの子を守るために』
「……馬鹿な人。
……ほんと、ダメンズウォーカー。
全部背負い込んで、勝手に苦しんで」
私は涙をこらえ、日記帳を胸に抱いた。
これは、どんな財宝よりも価値のある『遺産』だわ。
アイリスには絶対に見つけられなかった、母と私だけの絆。
「行きましょう、ケイナ。
もう、ここには何も残っていないわ」
私は立ち上がり、空っぽになった広間を見渡した。
虚飾の象徴だった調度品は消え、残されたのは冷たい石の壁だけ。
それが、今のフロンティア家の本当の姿。
「さようなら、私の生家。……いいえ、ただの『箱』ね」
私は踵を返し、夜明け前の闇へと溶け込んでいった。
ポケットの中には、未来への希望と思い出が詰まっている。
それで十分よ。
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離れに戻った私たちは、戦利品の整理を始めた。
テーブルの上に広げられた圧縮済みの宝石や家具は、見るだけで目が眩むような量だ。
これで当面の生活費どころか、王都で店を開くための資金も十分すぎるほど確保できたわ。
「すごいですね……。これだけのものがあれば、本当にお城だって買えそうです」
ケイナがため息をつく。
彼女の手には、私が渡した母の日記が握られている。
彼女にとっても、それは大切な思い出の欠片なのだ。
「お城なんていらないわ。
必要なのは、私たちが自由に生きるための『舞台』だけ。
……さて、あとは夜が明けるのを待つだけね」
私は窓辺に座り、東の空を眺めた。
もうすぐ、運命の朝が来る。
父とアイリスが目覚め、空っぽになった屋敷を見て絶望する瞬間。
それを想像するだけで、胸がすくような思いがする……はずだった。
バンッ!
突然、離れの扉が乱暴に開かれた。
飛び込んできたのは、息を切らせたディーノだ。
彼の顔は煤で汚れ、焦げ臭い匂いを漂わせている。
「大変だ姐さん! 本館が燃えてる!」
「は?
何言ってるのよ。
寝言は寝て言いなさい」
「マジだって! あのオッサン、狂っちまった! 自分で屋敷に火を放ちやがったんだ!」
私は弾かれたように立ち上がり、窓の外を見た。
本館の方角から、黒煙と赤い炎が立ち昇っている。
嘘でしょ?
あの見栄っ張りの父が、自分の城を自分で燃やすなんて。
「……借金苦に耐えかねて、心中でもするつもりかしら。馬鹿な男」
私は冷たく吐き捨てたが、その足は既に動き出していた。
心中なんて勝手だけど、私の『最高のオチ』を邪魔されるのは許せない。
それに、あの中にはまだ、私が回収しきれていない『最後の役者』が残っているかもしれない。
「行くわよ! ディーノ、消火の準備! ケイナはここで待機!」
私たちは炎に包まれた本館へと駆け出した。
熱波が肌を焦がし、崩れ落ちる柱が道を塞ぐ。
私は魔法糸で瓦礫を弾き飛ばし、最短距離で火元へと向かった。
そこは、父の書斎だった。
燃え盛る部屋の中心で、父は狂ったように笑いながら、残った書類を火にくべていた。
「燃えろ! 全部燃えてしまえ! 借金も、屈辱も、何もかも!」
「……お父様!」
私が叫ぶと、父は虚ろな目でこちらを振り向いた。
その顔には、もう正気の色は残っていない。
「お前か……ストレイ。お前も燃えに来たのか? そうだ、みんなで死ねば怖くない。ここは俺たちの墓場だ!」
父が私に掴みかかろうとするが、ディーノが割って入り、彼を取り押さえた。
「落ち着けオッサン! 死ぬなら一人で勝手に死ね! 姐さんを巻き込むな!」
「離せ! 離せぇぇぇ!」
暴れる父を横目に、私は部屋の隅で縮こまっているアイリスを見つけた。
彼女は恐怖で腰を抜かし、煙に巻かれて咳き込んでいる。
その手には、私が贈った『呪いのドレス』が握りしめられていた。
「助けて……! 死にたくない……! まだ、このドレスを着てないのよ……!」
「……はぁ。本当に、救いようのない人たちね」
私は呆れながらも、銀の針を構えた。
ここで彼らを見捨てるのは簡単だ。
けれど、それではただの『悲劇』で終わってしまう。
私が描くのは、もっと滑稽で、もっと痛快な『喜劇』なのよ。
「ショウちゃん、影のドームで炎を遮断して! ディーノ、その二人を担いで外へ放り出しなさい!」
『承知した!』
「了解! 重てえなチクショウ!」
ショウちゃんが影を広げ、私たちを炎から守る結界を作る。
その隙に、ディーノが父とアイリスを抱え上げ、窓から庭へと飛び出した。
私もそれに続き、燃え落ちる屋敷を背に脱出する。
ドォォォン!
背後で屋根が崩落し、火の粉が舞い散る。
芝生の上に放り出された父とアイリスは、煤まみれになりながら呆然と炎を見上げていた。
「ああ……私の家が……私の財産が……」
「……終わった。何もかも……」
絶望する二人を見下ろし、私はドレスの煤を払いながら言った。
「終わってないわよ。これから始まるの。
家も金も失ったあなたたちが、どうやって生きていくのか。
その無様なダンスを、特等席で見せてもらうんだから」
私は彼らに背を向け、離れへと歩き出した。
夜明けの光が、黒煙の向こうから差し込んでくる。
それは、古い時代の終わりと、新しい時代の始まりを告げる、残酷なまでに美しい光だったわ。




