第33話 最悪の舞台、最高の相方
王都の華やかな目抜き通りから一本裏に入り、さらに石畳の下へと続く重い鉄格子を開けると、そこにはこの世の全ての不浄を煮詰めたような饐えた臭いが充満していた。
地下水道。
王都の排水を一手に引き受ける巨大な迷宮であり、同時に犯罪者や魔物が巣食う無法地帯。
そして今夜、私たちが『お直し』すべきターゲット、詐欺組織『黄金の天秤』のアジトがある場所だわ。
「うへぇ、キツイな。この臭い、三日風呂に入ってないオッサンの靴下と腐った野菜を混ぜて煮込んだみたいだぜ」
ディーノが鼻をつまみ、顔をしかめる。
彼の着ている暗殺服は私がリフォームした『防汚・消臭』機能付きのはずだけれど、さすがに精神的なダメージまでは防げないみたいね。
「我慢なさい。売れない芸人時代、ドサ回りで泊まった安宿のトイレよりはマシでしょ? あの時はネズミとゴキブリが運動会してたじゃない」
「勘弁してくれよ姐さん。あれは思い出したくもないトラウマだ。……でもまあ、確かに『最悪』の基準がバグってる俺たちにゃ、住めば都かもしれねえな」
ディーノは苦笑いしながら、腰に差した短剣の柄に手をかけた。
その瞬間、彼の纏う空気が変わり、お調子者の元芸人から歴戦の暗殺者へとシフトする。
この切り替えの速さだけは、私が教えたわけでもないのに一級品だわ。
「俺が先行する。罠の解除と索敵は任せろ。姐さんは後ろから、あの化け物じみた糸で援護してくれりゃいい」
「了解。でも言っておくけど、私の糸は『化け物』じゃなくて『芸術』よ。そこんとこ間違えないでね」
私はドレスの裾を少し持ち上げ、汚泥の流れる通路へと足を踏み入れた。
もちろん、私の足元には常に『摩擦係数制御』と『撥水結界』が展開されているから、汚水が一滴たりとも肌に触れることはない。
まるでレッドカーペットの上を歩くように優雅に、私はディーノの背中を追った。
地下水道の構造は複雑怪奇で、地図がなければ数分で遭難すること間違いなしだわ。
けれど、私たちには最強のナビゲーターがいる。
私の影からぬらりと顔を出したショウちゃんが、鼻を鳴らして進行方向を示した。
『右だ。微かだが、人の気配と……大量の金貨の匂いがする』
「金貨の匂いって、あんた犬だったの? まあいいわ、案内よろしく」
ショウちゃんの先導で、私たちは迷宮の奥へと進んでいく。
時折、物陰から巨大なドブネズミやスライムのような下級魔物が飛び出してくるけれど、それらは全てディーノの短剣が音もなく処理していった。
彼の動きには無駄がなく、流れるように敵の急所を貫き、次の瞬間にはもう剣を納めている。
「へえ、やるじゃない。あの頃、ツッコミのタイミングが半拍遅いって怒鳴り散らしたのが嘘みたい」
「うるせえな。こちとら命懸けで『間』を学んだんだよ。殺しの現場じゃ、半拍の遅れが死に直結するからな」
ディーノは軽口を叩きながらも、油断なく周囲を警戒している。
その背中を見ていると、不思議な安心感があった。
前世では頼りなかった相方が、異世界という過酷な環境で揉まれて、いつの間にか私を守れるだけの強さを身につけていたなんて。
ちょっとだけ、見直してあげてもいいかもしれないわね。
「……止まれ。何かいる」
ディーノが鋭く囁き、手を挙げて制止した。
その視線の先、通路の曲がり角に、不自然な影が揺らめいている。
魔導を展開し魔力視覚で確認すると、そこには人間ではない、もっと質の悪い何かが待ち構えているのが分かった。
「ゴーレムね。それも、泥と汚物で構成された『ダスト・ゴーレム』。物理攻撃が効きにくい厄介な相手よ」
私の言葉が終わるか終わらないかのうちに、泥人形が姿を現した。
身長は二メートルを超え、全身からヘドロを滴らせながら、鈍重な足取りでこちらに向かってくる。
その体内に埋め込まれた魔石が、赤く明滅して攻撃態勢に入ったことを告げている。
「物理無効かよ。俺の短剣じゃ分が悪いな。姐さん、出番だぜ」
「ええ、任せて。あんな汚いもの、私の視界に入れるだけで不愉快だわ。即刻『クリーニング』が必要ね」
私は魔導の帯域を解放し銀の針を構え、影銀の糸を指先に絡ませた。
イメージするのは、泥汚れを落とすための強力な洗浄魔法。
そして、形を保てないほどに泥に混ざった繊維、そして泥全体の分子構造自体をを分解する、強制的な『解体』。
「いい? ディーノ。
私が合図したら、あいつの核を狙って。泥を剥がしてあげるから」
「了解。最高のパス、頼むぜ」
私が糸を放つと同時に、ディーノが地面を蹴った。
二人の影が交差し、地下水道という最悪の舞台で、最高のコンビネーションが幕を開ける。
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ダスト・ゴーレムが汚泥の腕を振り上げた瞬間、私は銀の針を一閃させた。
放たれた影銀の糸は、空中で幾何学模様を描きながら拡散し、ゴーレムの全身を包み込む『洗濯ネット』のように展開されたわ。
「因果律のウォッシュ・強制脱水モード!」
私が指を鳴らすと、ネットが一気に収縮した。
泥人形の構成要素である水分と汚物が、物理的な圧力を受けて搾り出され、バラバラと崩れ落ちていく。
物理攻撃が効かないなら、その『物理』を維持している構造そのものを破壊してしまえばいい。
服のシミ抜きと同じで、汚れの元を絶てば生地は脆くなるものよ。
「今よ、ディーノ!」
「へいよッ!」
泥が剥がれ落ち、赤く輝く魔石が露わになったその一瞬。
ディーノは壁を蹴って加速し、私の作った糸の道を足場にして、ゴーレムの懐へと飛び込んだ。
彼の短剣が閃光のように走り、魔石を正確に貫く。
カィィン!
硬質な音が響き、魔石が粉々に砕け散った。
ゴーレムは断末魔のような音を立てて崩壊し、ただの泥の山へと還っていく。
ディーノは華麗に着地し、くるくると短剣を回して鞘に納めた。
「ふぅ、一丁上がり。相変わらず姐さんのサポートは完璧すぎて怖いくらいだぜ」
「あら、あんたこそ。昔はツッコミのタイミングがワンテンポ遅れてたのに、随分と腕を上げたじゃない」
「だから殺しの現場と漫才を一緒にするなっての。……さて、邪魔者は消えた。この先が本丸だな」
私たちは泥の山を跨ぎ、さらに奥へと進んだ。
通路の先には、重厚な鉄の扉があり、その向こうから微かな話し声と、金貨が擦れ合う音が聞こえてくる。
ショウちゃんが「ここだ」と鼻を鳴らした。
私は扉の前に立ち、魔力視覚で内部を探った。
中には数十人の男たち。
そして、部屋の中央には山と積まれた金銀財宝。
間違いない、ここが詐欺組織『黄金の天秤』の金庫であり、作戦司令室だわ。
「どうする? 正面突破か?」
ディーノが小声で尋ねる。
私は首を横に振り、悪戯っぽく笑った。
「まさか。正面から入るのは主役の特権だけど、今回は『サプライズゲスト』として登場したいの。派手にいきましょう」
私は扉の蝶番に魔法糸を巻き付け、一気に引き抜いた。
ドォーン! という轟音と共に、鉄の扉が内側へと倒れ込む。
土煙が舞い上がる中、私はショウちゃんの影で生成したスポットライトを背負い、ディーノを従えて堂々と部屋の中へ踏み込んだ。
「こんばんは、紳士諸君! 今夜のスペシャルショーへようこそ! 主催者は私、フロンティア・テキスタイル代表、ストレイよ!」
部屋の中にいた男たちが、一斉にこちらを振り返り、呆気にとられた顔をする。
その中には、先日店に来た幹部のガストン、釈放済みの姿もあった。
彼は私を見るなり、「ひっ、悪魔だ!」と叫んで机の下に潜り込んだ。
「な、何だ貴様らは! ここをどこだと思っている!」
リーダー格の男が立ち上がり、剣を抜く。
けれど、その剣先は恐怖で震えていた。
無理もないわね。
泥だらけの地下水道に、深紅のドレスを着た美少女と、凄腕の暗殺者が現れたんだもの。
常識で考えれば、頭がおかしいとしか思えないでしょう。
「ここ? ええと、確か『皆で領主さん』とかいうふざけた寸劇の舞台裏よね? 残念だけど、その公演は打ち切りが決まったの。脚本家である私の意向でね」
私は魔導を展開し概念を視覚化して指先で空中に文字を描いた。
それは『契約破棄』と『資産凍結』を示す古代ルーン文字。
部屋の中にある全ての金貨と書類が、私の魔法に反応して震え始めた。
「ふざけるな! やれ、殺せ! こいつらを生かして帰すな!」
リーダーの号令で、男たちが一斉に襲いかかってくる。
けれど、私とディーノは顔を見合わせ、ニヤリと笑った。
「へっ、数だけは多いな。でもよ、こちとら修羅場の数が違うんだよ!」
「そうね。モブキャラが何人束になっても、主役の輝きは消せないのよ。さあ、フィナーレといきましょうか!」
ディーノが影のように走り出し、私は銀の針を構えた。
地下の密室で繰り広げられる、一方的で痛快な『お掃除』の時間。
これが私たちの、新しい生存戦略の狼煙だわ。




