第3話 【記憶融合】42歳のバイタリティ復活
翌朝、私は人生で最高にスッキリとした目覚めを迎えた。
といっても、物理的な環境は相変わらず、ネグレクトの象徴のようなボロい離れだけれど。
昨夜、私が魔法糸でリフォームしたばかりの毛布が、吸い付くような肌触りで私の体を包み込んでいる。
この温もりだけは、前世で使っていた安物の布団とは比べ物にならない極上の質感だ。
ほんと服飾専門学校で『繊維の仕組み』とか『編込み技法』とかの知識が何の為に存在するのか?
わし機織り職人成るんちゃうんやでって。
とうぜん卒業するためダケにあると思ってた自分を叱ってやりたい気分だ。
服飾専門学校の訳のわからない繊維や布の様々な「織り込み知識」は『転生』で必要なんだよって、今も通っているだろう服飾専門学校の名も知らぬ後輩たちに異世界パイセンとして伝えてあげたいわ。
「……生きてるわね、私」
天井のシミを見上げながら笑いそうに成るけど、私は銀髪の少女、ストレイとしての自分を改めて受け入れた。
昨日の今日で、四十二歳のおばさん芸人と十四歳の病弱令嬢の記憶が完全に一つに溶け合っている。
ストレイとしての『怯え』や『悲しみ』は、民子としての『図太さ』『反骨心』と『心』に上書きされて、今はもう、不思議な万能感すらあった。
四十二年間蓄積された人生の汚れを、バナナの皮が全部持っていってくれたのかもしれない。
今の私は、新品の布地のように真っ白で、それでいて中身は熟練の仕立て屋のような狡猾さを備えている。
まさに、最強のハイブリッド炭素素材の誕生ってわけね。
「お嬢様、お目覚めですか! 今、お白湯を持ってまいります!」
パタパタと小走りでやってきたケイナを見て、私は思わず噴き出しそうになった。
彼女が着ているのは、昨夜私が魔法糸で『お直し』したメイド服だ。
元は煤けた安物の布地だったはずなのに、今は上質な光沢を放ち、彼女の体のラインに完璧にフィットしている。
単にサイズを合わせただけじゃない。
歩くたびに汚れを弾き、常にアイロンをかけた直後のようなパリッとした質感を保つ『セルフクリーニング機能』付きだ。
もちろん概念でホルムアルデヒドを使用した『気相加工法』を魔導で視覚構成し繊維のセルロース分子間に『架橋反応』を起こさせるイメージで、分子の動きを抑え形態を維持させることによってシワを防いでいる。
まじありがとう。
なんか役に立たないと思っていた服飾知識。
それにしてもボロ屋敷のメイドにしては、あまりにも身なりが良すぎて、逆に不気味なほどの輝きを放っている。
「ケイナ、似合ってるじゃない。
その服を着てる間は、あなたは私の第一マネージャーよ。
背筋を伸ばしなさい」
「まねーじゃー……ですか?
よく分かりませんが、このお洋服を着ていると、不思議と勇気が湧いてくる気がします!」
純粋なケイナの笑顔に、少しだけ心が痛む。
この子は、ストレイが一番辛かった時期に、自分の食事を削ってまで私を生かそうとしてくれた。
芸人っていうのはね、恩義にはうるさいのよ。
売れない頃に一杯のラーメンを奢ってくれた先輩、そして過疎配信の『ワイワイ放送』で三十円、五十円の投げ銭を投げ続けてくれたイツメンたち。
そういう人たちのために、私は舞台に立ち続けてきた。
今、私の観客はこのケイナ一人だけ。
でも、彼女を笑顔にできない女が、世界を縫い直すなんて大口叩けるわけがない。
私はベッドから立ち上がると、窓の外に目を向けた。
そこには、整備された庭園の向こうに、豪華な本館がそびえ立っている。
目覚める前の記憶と前世の記憶と照らし合わせて、漏れ聞こえる噂を総合すると彼らは投資詐欺『皆で領主さん』に引っかかって火の車のはずなのに、何事もなかったのように、見栄を張って豪華絢爛に飾り立て暮らしているようだ。
まさに虚飾の城。
私の記憶の中にある父リックザクは、脳筋の剛剣士で、後妻であるアイリスの言うことをすべて真実だと信じ込んでいる。
アイリスが「ストレイは病気で、誰にも会いたがっていない」と言えば、それを疑いもしないほどに。
目覚める前は、それが悲しくて心が壊れる寸前だったわ。
今?
ただただ脳みそまで筋肉でできているんじゃないかと反吐が出そうになるわ。
「さて、まずはこの体の性能テストといきましょうか。
ケイナ、私ちょっとお散歩してくるわ」
「ええっ!? お嬢様、外は危険です! もし旦那様や奥様に見つかったら……」
「見つからなきゃいいんでしょ?
それに、今の私は昨日までの私じゃない。」
(バナナの皮で一度死んだ女を、甘く見ないことね)
私はニヤリと笑い、指先を動かした。
魔導を呼びだし、概念を視覚化し、繊維を構成する。
空気中に漂う魔力の糸を、流れるような手つきで自分の服の裾に編み込んでいく。
光の屈折を歪め、周囲の景色に溶け込ませる『迷彩の刺繍』だ。
前世で『綺麗なジャイ子の歌』のネタをする時に使っていた、「ブスと美人の差は認知の歪み!」という理論を、魔法として具現化したもの。
なぜか私が使っていた『歌ネタ』の構成って概念化しやすいのよね。
おそらく、これもチートよね。
服飾の「補正技術」と、魔法の「認識阻害」を掛け合わせた、私だけのオリジナルスキル。
「えっ、お嬢様? お姿が、消えて……?」
「消えたんじゃないわ。
背景と同化しただけ。
カメレオンみたいなものよ」
高位の隠密魔法を、ただの『テクスチャの調整』として使いこなす私の姿に、ケイナはまたしても腰を抜かしていた。
ごめんねケイナ、これからの私はもっとあんたを驚かせることになるわよ。
私は軽やかな足取りで、離れの扉を開けた。
外の空気は冷たいけれど、私の体は内側から燃えるような活力に満ちていた。
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空気の織り目を少しだけずらして自分の輪郭を背景に溶け込ませる。
服飾専門学校時代に嫌というほど叩き込まれた色見本を使った『色彩理論』と『補色の関係』を魔法に応用すれば『隠密魔法』なんていう大層な名前をつけなくても、ただの風景への同化に過ぎない。
私は息を潜めながらカビ臭い離れを脱出し整備された庭園の影を縫うようにして本館へと近づいた。
足元の芝生の感触が、昨日までの弱々しい足取りとは違って、しっかりと地面を捉えているのがわかる。
かつての私として目覚める前のストレイとしての記憶が疼く。
この豪奢な石造りの建物の中で彼女は常に透明な存在として扱われ、理由もわからず継母の冷めた視線に晒され続けてきた。
本館の窓から漏れる明かりは暖かそうな色をしているけれど、その実態は領民から吸い上げた血税を投資詐欺『皆で領主さん』で溶かし今だけ膨らませた残り香だ。
脳筋の父親は今日も今日とて妻のアイリスに「君の言う通り投資をして正解だったよ」なんて、おめでたい台詞を吐いているのかもしれない。
「……あいたたた。あのおっさん、本当に救いようがないわね」
私は本館の勝手口の隙間から滑り込み中の様子を伺った。
廊下を歩く使用人たちの制服は、どれも一流の仕立てだけれど私には見える。
その繊維の端々から漂う『綻び』と歪んだ魔力の流れが。
本物の金持ちならまだしも虚飾で固めたフロンティア家の家計は、すでにボロ雑巾のようにボロボロだ。
見栄を張るために、安い生地を無理やり高級に見せかけているのが丸わかりだわ。
広間の方から甲高い笑い声が聞こえてきた。
継母アイリスだ。
彼女は父が結婚する前から付き合っていた女で父の無知をいいことに今やこの家の実権を完全に握っている。
実母には、本当に男を見る目だけは無かった。
いわゆる『だめんず・うぉ〜か〜』だ。
いるんだよねー、特に純粋培養されすぎて、同じ女芸人でもいたなー。
私? ひっぱ叩くよ?
「あらあ、あなた。
そんなに厳しい顔をしないで。
ストレイの容体は相変わらずよ。
あの子はきっとお母様に会いたくて心が弱っているのね。
私たちが無理に会いに行けばあの子の負担になるわ」
「……そうか。アイリス、お前がそう言うなら間違いない。
すまないな、いつもあの子の面倒を任せきりで。
俺は剣しか能がない男だからな」
父リックザクの重厚な声が響く。
剣の腕だけは一流だった剛剣士。
けれど、それも昔のはなしでその中身は女の甘い嘘をすべて真実だと信じ込むおバカなタレント以下の脳みそ。
私は壁の影で小さく舌打ちをした。
死にかけた娘の様子を見に来るどころか、詐欺師の片棒を担いでいる女の言葉を鵜呑みにして晩酌を楽しんでいるなんて。
『……いいわ、お父様。その筋肉だるまの脳みそを、いつか私が綺麗さっぱりクリーニングしてあげる』
ふと、階下から子供の騒ぐ声が聞こえてきた。
義弟のフラッペだ。
彼はゴブリンの小さな人形を相手に剣を振り回し「死ね死ね! 汚いモンスターめ!」と叫びながら人形をバラバラに解体している。
その歪んだ教育の成果を見て私は、合わさる前の四十二歳の大人として猛烈に不愉快な気分になった。
おもちゃは壊すものじゃない、愛でるものよ。
あんな風に育てられたら、将来ろくな大人にならないわね。
『ワイワイ放送』の配信中、イツメンの誰かが言っていた。
「民子さん、世の中には縫い直せないものもあるんだよ」って。
でも概念を視覚化できる今の私なら言える。
糸が切れているなら、結べばいいし、布が腐っているなら切り取って新しい布を継げばいい。
この世界の因果という名の布地を、私は私のやり方で仕立て直してみせる。
私は再び姿をくらませ、離れへと戻る足取りを早めた。
今の私に必要なのは、この弱りきった体力を底上げするための『補正』だ。
十四歳の美少女の皮を被った四十二歳のおばさんは、暗闇の中で静かに爪を研ぐ。
舞台袖での準備はもう終わり。
大体の現状把握は完了ね。
概ね予想通りってとこかしら。
次からは本格的な衣装合わせ――魔法のリフォームの始まりよ。
まずは、このひ弱な体を物理的に強化するための、「魔法のコルセット」の開発から始めましょうか。
私の芸人魂を支えるには、もっと強靭な土台が必要だからね。




