第28話 死に損ないの帰還と、汚れなきブランドの産声
アイリスが腰を抜かしたまま『呪いのドレス』を抱えて逃げ帰った後、離れの庭には不気味な静寂が戻っていた。
自爆した掃除屋の幹部は、黒焦げになりながらもまだ微かに息をしているようだったけれど、私は彼に止めを刺すような無粋な真似はしなかったわ。
生かしておいた方が、私の『怪物性』を組織に伝える良い証人になるもの。
(さて、ここからはディーノの出番ね。あいつ、上手く立ち回れるかしら)
私は離れの窓辺に立ち、東の空が白み始めるのを眺めながら、遠く離れた暗殺組織のアジトにいるはずの相方を覗き見る為に魔導を展開し概念を視覚し、細く長く魔糸を伸ばしていった。
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その頃、王都の地下深くに広がる迷宮のような下水道の一角、暗殺貴族『シャドウ・ブレイド』の隠れ家では、一人の男が命懸けの演技を披露していた。
(いた。 ディーノだ。)
彼は私が作った精巧なデコイの一部である血まみれの髪の束と、焼け焦げたドレスの切れ端を握りしめ、組織の幹部たちの前で膝をついていた。
「ほ、報告します……! ターゲットであるストレイ・フロンティアは……あいつは、人間じゃありませんでした!」
ディーノの声は震え、全身からは冷や汗が噴き出している。
それは演技半分、そして短くない期間、所属した組織の重圧に対する本能的な恐怖半分といったところだろう。
(なかなかの名演技じゃない)
彼の前には、顔を隠した数人の幹部と、さらにその奥に控える『組織の長』と思しき人物の影があった。
「人間ではない、だと? ディーノ、貴様は失敗した言い訳を考えに来たのか?」
幹部の一人が冷ややかな声を浴びせる。
ディーノは激しく首を振り、わざとらしく咳き込んで見せた。
口元から垂れる血糊に見える私が調合したトマトベースの特製シロップが、彼の言葉に説得力を持たせる。
「違います! 俺は……俺はあいつと刺し違える覚悟で挑みました! でも、あいつの操る銀色の糸は、物理攻撃も魔法もすべて無効化して……! 幹部のガルシア様も、あいつの結界に触れただけで消し飛んだんです!」
「何だと? ガルシアが?」
場がざわめいた。
(ガルシアというのは、先ほど私の庭で自爆したあの不運な男のことね)
彼が戻らないという事実は、ディーノの言葉を裏付ける決定的な証拠になる。
「俺は……俺は隙を見て、奴の心臓に毒の刃を突き立てました。奴は悲鳴を上げて倒れ、そのまま光の粒子になって消滅したんです……! これが、その時に回収した奴の一部です!」
ディーノはデコイの残骸を差し出した。
幹部たちはそれを魔力鑑定にかけ、そこに残る私の魔力反応と、確かに『死』の概念が付与されていることを確認したはずだ。
私の『お直し』技術は、物質の定義さえも一時的に書き換えることができる。
今の彼らには、それが間違いなくストレイ・フロンティアの死骸の一部に見えているわ。
「……ふむ。確かに、強大な魔力の残滓を感じる。ガルシアを屠るほどの手練れだったとはな」
奥に座っていた『長』が、低く重い声で呟いた。
彼はディーノを見下ろし、興味深そうに目を細める。
「だが、貴様が生きて戻ったのは奇跡だな。その首の呪印、消えているようだが?」
その言葉に、周囲の空気が凍りついた。
ディーノの心臓が一瞬止まる音が、ここ離れにまで聞こえてきそうだったわ。
けれど、彼は私が授けた台本通り、顔色一つ変えずに答えた。
「はい。奴の最期の反撃で、俺の魔力回路ごと焼き切られました。命拾いはしましたが、俺はもう……魔力を練ることも、影を操ることもできません。暗殺者としては、廃品です」
それは真っ赤な嘘だ。
私が彼のめだつ呪印を魔導の魔糸でリフォームした際、魔力回路を『隠蔽』する術式も組み込んでおいたの。
外から見れば魔力が枯渇したただの一般人に見えるけれど、実際には以前よりも効率よく魔力を循環させることができるわ。
(さぁ。 どうかしら?)
「廃品、か。……まあ良い。あの『化け物』を始末した功績は認めてやろう。貴様は今日をもって組織を放免とする。二度と我々の前に顔を見せるな」
「は、はい……! ありがとうございます……!」
ディーノは地面に額をこすりつけ、感謝の言葉を並べ立てた。
内心では「やったぜ!」とガッツポーズをしているのが手に取るように分かるわ。
こうして彼は、命を狙われることなく、堂々と組織から足を洗うことに成功したのよ。
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一方、離れでは。
私は朝日を浴びながら、ケイナと共に『次の一手』の準備を進めていた。
アイリスは私が死んだと思っている。
あるいは、死んだことにしたいと思っている。
暗殺組織も、私を脅威と認識しつつも、一応の決着がついたと判断したはず。
つまり、今の私は誰からも干渉されない『透明な存在』という事。
この自由な時間こそが、最大の武器になる。
「ケイナ、昨日のドレスの評判はどうだった?」
「すごいですお嬢様!
昨日の騒ぎを見ていた使用人たちの間で、お嬢様が『光の精霊』みたいだったって噂になってます!」
「精霊ねえ。
まあ、魔女と呼ばれるよりはマシかしら。
さて、今日からは本格的に『ブランド』の立ち上げよ」
私は工房のテーブルに、一枚の大きな羊皮紙を広げた。
そこに描かれているのは、私が考案した新しい服飾ブランドのロゴマーク。
メジャーとドレスに王冠、母の形見のハサミと銀の針に通るショウちゃんの糸が魔導で魔糸と合成されブルーに輝き、前世の英語で【Threads of Destiny】(運命の糸)の単語を組み合わせた、シンプルかつ力強いデザインだ。
「名付けて『フロンティア・テキスタイル』
コンセプトは『世界をお直しする服』よ」
「お直し、ですか?
破れた服を直すお店ということですか?」
「違うわ。人々の常識や、生活そのものをリフォームするの。
例えば……これを見て」
私は試作中の白いドレスをケイナに見せた。
一見すると普通の綿のドレスだけれど、その表面には私が開発した『絶対防汚』のテクスチャが施されている。
「これは『汚れないドレス』。泥水がかかっても、ワインをこぼしても、一瞬で弾き飛ばして染み一つ残さない。
貴族の奥様方が喉から手が出るほど欲しがる機能よ」
「ええっ!?
そ、そんな夢のような服が……!」
「夢じゃないわ、技術よ。
さあケイナ、貴女がこのブランドの最初のモデルになるの。
このドレスを着て、街一番の大通りを歩いてきてちょうだい。
私が演出する『奇跡』を、王都中の人間に見せつけるのよ」
私はニヤリと笑い、ケイナの背中を押した。
彼女は不安そうにしながらも、新しいドレスに袖を通すと、その着心地の良さに表情を輝かせた。
さあ、反撃の狼煙は上がった。
ストレイ・フロンティアは死んだ。
そして今、稀代の天才服飾デザイナー『ストレイ』が誕生するのよ。
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鏡の前で呆然と立ち尽くすケイナを眺めながら私は、テーブルの上に置かれた使い古しの花瓶から、澱んだ泥水をひたひたに含んだ汚水を手に取って、一切の躊躇なくその純白のドレスへとぶちまけたわ。
「ひっ……お、お嬢様!?」
ケイナが悲鳴を上げ、反射的に身を竦めたけれど、その瞬間に起きた現象はこの世界の常識という名の型紙を根本から切り裂くような、あまりにも鮮やかな拒絶だったの。
ドレスに触れた汚水は、まるで灼熱の鉄板に落ちた水滴のように弾け飛び、繊維の表面を滑るようにして一滴の染みも残さず床へと流れ落ちていったわ。
白絹の光沢は濁るどころか、汚れを振り払った反動でより一層の輝きを増し、そこには『汚れる』という概念そのものが最初から存在しなかったかのような、傲慢なまでの清浄さが維持されていた。
「見て、ケイナ。
これが私の『お直し』した世界のテクスチャよ。
鉄道の車体が雨風に晒されても輝きを失わないように、私はこの布地に魔導の概念から『異物を定着させる暇を与えない』という強烈なバイアスを縫い込んだの」
足元でそれを見ていたショウちゃんが「なうっ!?」と、狐とも猫ともつかない驚愕の声を上げ、ふさふさの尻尾を垂直に立ててドレスの裾をクンクンと嗅いでいる。
(何? ショウちゃんも鉄道に興味があるのかしら? )
『影銀糸』の供給源である彼でさえ、自分の糸がこれほどまでに理不尽な『機能性』を付与されるとは思っていなかったでしょうね。
前世で私が着ていた、使い古しの『ジャイ子』のコスプレ衣装は、汗を吸えば重くなり、舞台の埃を吸えばくすんでいった。
売れない芸人の悲哀は、その衣装の『汚れ』にこそ宿っていたけれど、今の私にはそんな情緒的な汚れなんて一ミリも必要ないのよ。
「このドレスは、持ち主のプライドを物理的に守り抜く盾になるわ。
どんなに汚い言葉を浴びせられようと、泥を塗られようと、この服を着ている限り貴女は常に『正解』の姿でいられるんだから」
「お嬢様! 凄いです!」
私はケイナの肩を優しく叩く。
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次の工程である『空間パッキング』の術式を確認している頃。
本館の自室に逃げ帰ったアイリスは、恐怖で震える手で私が贈った『感謝のドレス』を広げていたはずよ。
「予測が外れるわけがないから、魔導で確認も必要ないわね」
彼女は、自分が殺そうとした娘が実は高位の魔術師だったという事実に恐怖を抱きつつも、そのドレスが放つ圧倒的な『美』と、着るだけで周囲を屈服させる『聖女の威圧感』の誘惑に、抗うことなんて出来やしない。
ルッキズムの化身のような彼女にとって、他者を圧倒できる衣装は、毒入りの林檎よりも甘美な破滅の果実なのだから。
(お義母様、そのドレスの裏地にはね、特定の周波数……つまり、私が歌う『綺麗なジャイ子の歌』のサビに合わせて、全ての縫合糸が分子レベルで結合を解除するように仕込んであるのよ)
彼女は今、鏡の前でそのドレスを身体に合わせ、社交界のライバルたちを叩きのめす自分の姿を妄想して、下卑た笑みを浮かべていることでしょう。
自分が手に入れたものが、自分を全裸で処刑台に立たせるための『衣装』だとも知らずに。
私は、離れにある貴重な美術品を魔法糸で次々と圧縮し、マッチ箱ほどのサイズにしてトランクへ詰め込みながら、窓から見える朝焼けに向かって静かに宣言したわ。
「さて、第一幕の『刺客編』はこれでお開き。
次は、この汚れなきブランドを引っ提げて、マーケットという名の戦場に殴り込みをかけるとしましょうか」
影銀糸が私の指先でチリリと鳴り、これから始まる『フロンティア・ブランド』の爆発的な胎動を予感させるように、深夜の静寂を鋭く切り裂いたわ。
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その時、離れの窓枠にカタリと小さな音が響いた。
私が振り返ると、そこには朝日を背負い、行きとは違って清々しい笑顔を浮かべたディーノが立っていた。
彼の首筋からは呪印が消え、全身からは組織の束縛から解放された自由な魔力が立ち昇っている。
「よう、姐さん。
ただいま。
言われた通り、最高の演技で組織を煙に巻いてきたぜ」
「お帰りなさい、ディーノ。
早かったわね。
で、どうだった?
私の『死体』の出来栄えは」
(彼の口から直接に聞いてあげて、結果を確認してあげないとね)
「最高だったよ。
あいつら、完全に信じ込んでたぜ。
『ストレイ・フロンティアは光となって消滅した』ってな。
俺もついでに『魔力回路を焼かれた廃人』ってことになって、晴れて自由の身だ」
ディーノは窓枠を軽やかに飛び越え、部屋の中へと入ってきた。
その動きには、かつてのような迷いはなく、私の相棒としての自信が満ち溢れている。
「そう、それは重畳。
じゃあ、早速次の仕事に取り掛かってもらおうかしら」
私はテーブルの上に広げた羊皮紙――『フロンティア・テキスタイル』の事業計画書を指差した。
「ディーノ、あんたにはこのブランドの『営業部長』になってもらうわ。
裏社会のコネクションを使って、素材の独自ルートを開拓してきてちょうだい」
「へっ、また人使いが荒いこって。でもまあ、暗殺者よりは性に合ってるかもな」
ディーノは計画書を覗き込み、そこに書かれた桁違いの利益予想に目を丸くした。
そして、ニヤリと悪戯小僧のような笑みを浮かべる。
「面白え。やってやろうじゃねえか。
この世界を、俺たちの色に染め上げてやるよ」
朝日が私たち二人と、一匹の銀狐、そして一人のメイドを照らし出す。
役者は揃った。
舞台の幕は上がり、ここからは私たちのオンステージよ。
さあ、世界よ。
私たちが仕掛ける『お直し』の魔法に、ひれ伏すがいいわ。




