第27話 『にわかでごめん』の防御陣
夜明け前の白々と明けゆく空のテクスチャが、澱んだ本館の影を不気味に浮かび上がらせているけれど。
今の私の胸にあるのは未知の恐怖ではなく、ようやく整い始めた『舞台セット』をどう完璧に撤収させるかというプロデューサーとしての冷徹な計算だけだわ。
彼は私のデコイを抱き、闇の中へと消えていった。
その手つきはどこまでも恭しく、まるで聖女の遺骸を扱っているかのよう。
遠ざかる背中を見送りながら、私は指先に触れる。
魔導から湧き出さいた魔力の余韻がまだ微かに残っている。
それを愛おしむように、私は優しく指を滑らせた。
彼はあのお人好しな性格のまま、この過酷な異世界で暗殺貴族の使い走りとして、不慣れな殺しのステップを踏まされ続けてきたのでしょう。
けれど、これからは私の『相方』として、最高に難解で最高に痛快な大芝居のメインキャストを務めてもらうことになるのだから、これくらいの苦労は笑い話のネタにでもしてもらうわ。
「さてケイナ、感傷に浸っている時間は一秒も無いのよ。
お義母様が私の『死』を確信してシャンパンの栓を抜いている間に、私たちはこの離れにある価値あるもの全てをパッキングして、いつでもこの鳥籠を捨てて羽ばたける準備を終わらせなければいけないんだから」
私の言葉に、今や強気な共犯者としての自覚を深めたケイナは力強く頷き、本館から『回収』してきた美術品や魔導具を、私が編み出した空間圧縮の術式を組み込んだ特製の『パッキング布』へと、魔法のような手際で次々と包み込み始めたわ。
けれど、アイリスのような感情で動く三流の悪役ならいざ知らず、彼女が雇った掃除屋の元締めや、本館に巣食う狡猾な連中が、このあまりにも出来過ぎた『死』をいつまでも疑わずにいてくれるほど、この世界の舞台も甘くはないはず。
必ず、『確認』に来る。
プロであればあるほど、自分の目で見たもの以外は信じない。
この部屋の四隅に仕掛けるのは、正統派の魔導師を絶望させるための異端の回路。
ヒントをくれたのは、『にわかが!』と前世で私を罵倒した鉄道オタクたちよ。
彼らのような専門家こそ、理解不能な矛盾に直面すれば自ら思考の迷宮に沈んでいく。 かつての苦い経験が、今、最高に悪趣味な魔導として結実するのよ。
(構造への異常なこだわりは、時に魔法という理を凌駕する……例えば、この魔法回路の接続点をあえて鉄道のレール構造のような『熱膨張による隙間』を持たせた設計にすれば、正統派の魔導師たちはその非効率さに絶叫して、解読することさえ諦めるはずだわ)
かつての屈辱から学んだのよ。
専門家の裏をかくには、知識の『本質』を少しだけズラせばいい。
私は影銀糸を操り、離れのテラスから境界線までを網羅していく。
張り巡らされたのは、目に見えない魔導産のテグス。
これこそが、正統派には決して解けない、私だけの『にわか式』トラップよ。
それは魔導具技師のアルフォンスが見れば「こんな構造、ありえない!」と泡を吹いて倒れるような、魔法学の常識をあざ笑うかのような滅茶苦茶な理論の継ぎ接ぎだけれど、その実、一歩足を踏み入れれば因果律の摩擦係数がゼロになり、どんな凄腕の追手も無様に滑って転ぶ、バナナの皮よりも凶悪な防御陣。
「ただの乗り鉄……いえ、通りすがりの服屋が作った、ちょっとした仕掛けよ。さあ、誰が最初に見事な転倒を見せてくれるのかしらね」
私は銀狐のショウちゃんの背を撫で、影銀糸の供給を安定させながら、本館から漂ってくるアイリスの『浅ましい歓喜』の気配を冷ややかに見据えた。
彼女は今頃、ディーノが持ち帰った血塗られたブローチを見て、狂喜乱舞しているに違いないわ。
そして、その喜びが最高潮に達した時こそ、彼女の理性が最も脆くなる瞬間。
私はその隙を見逃さず、彼女の心に直接訴えかけるような、とびきりの演出を用意しているの。
「お嬢様、この糸の配置……なんだか見ていて目が回りそうです。でも、すごく綺麗。まるで星空の地図みたいです」
ケイナが感嘆の声を漏らしながら、私が指示した場所に杭を打ち込んでいく。
彼女の手際は、もはや素人のメイドのそれではない。
私の思考を先読みするように、的確なタイミングで糸を渡し、杭を固定していくその姿は、熟練の保線作業員……いえ、優秀な魔導技師の助手そのものだわ。
「ありがとうケイナ。
あんた、意外とこういう細かい作業向いてるかもね。
将来は魔導鉄道の整備士にでもなる?」
「えっ、鉄道……? よく分かりませんが、車輪がついた乗り物は好きです! 馬車とか、いつか運転してみたいです!」
目を輝かせるケイナを見て、私は苦笑いしながらも、彼女の新たな才能の芽を感じ取っていた。
ケイナ・トーノ、乗り物好きのメイド。それは、これから始まる逃亡生活において、予想以上に強力な武器になるかもしれない。
来るであろう彼らを『おもてなし』するために最後の杭を打ち込み、全ての糸を接続した瞬間、庭全体が淡い銀色の光に包まれた。
それはすぐに収束し、肉眼では何も見えなくなったけれど、魔力視覚を通して見れば、そこには鉄壁の迷宮が出現しているのが分かった。
「お嬢様、光ってます!」
「ええ。ひとまず。
これなら、こないだ来た王宮の筆頭魔導師が来たとしても、完全に攻略するのに三日は少なくともかかるはずだわ。」
物理的な侵入者は摩擦ゼロで転び続けて、魔力的な侵入者は複雑怪奇な解けない回路の中で迷子になる。
まさに『にわか』の恐ろしさを詰め込んだ、最強の初見殺しトラップね。
「よし、完成。
これでここは、世界で一番安全な『引き込み線』になったわ。
誰にも邪魔されず、好きなだけ次の旅の準備ができる」
私は満足げに頷き、足元で興味深そうに魔導で合成した糸で作られた結界の匂いを嗅いでいるショウちゃんを撫でた。
彼もまた、この結界の居心地の良さを気に入ったらしい。
尻尾を振って、結界の継ぎ目に魔力付与をしてくれている。
「さあ、戻りましょう。
ディーノからの吉報が届くまで、優雅にティータイムと洒落込むわよ」
私たちは離れに戻り、再び温かい紅茶を淹れた。
窓の外では、本館の明かりが慌ただしく明滅しているのが見える。
おそらく、ディーノが到着し、私の『死』を報告している頃合いだろう。
アイリスの歓喜の悲鳴が聞こえてきそうなほど、夜の空気は澄んでいた。
私はカップを傾けながら、心の中でディーノにエールを送った。
頼んだわよ、相棒。
あんたのその情けない演技で、世界を騙してやりなさい。
++++++++
本館の方から響いてくるアイリスの耳障りな高笑いは、まるで安物の笛を吹き鳴らしているかのような軽薄さに満ちていて、深夜の静寂をこれ以上ないほど下品なテクスチャで塗り潰しながら私の耳に届いてきたわ。
彼女はディーノが差し出した影銀糸の『証拠』という名の偽物を、喉から手が出るほど欲しがっていた勝利の味として貪り食ったのでしょうけれど。
その背後で影のように控えている掃除屋の幹部……筋の通った殺気を放つその『本物のプロ』だけは、この出来過ぎた幕引きに拭い去れない違和感を覚えているのが空気の揺らぎで伝わってくる。
(……来たわね。
やっぱり、疑い深い観客ほど最前列でアラ探しをしたがるものよ)
庭の境界線を越え、私の『にわか仕込み』の魔導のテグスが張り巡らされたエリアに、その幹部が慎重な足取りで踏み込む。
瞬間、私は影銀糸のコルセットを通じて彼の魔力が私の仕掛けた『レールの隙間』に吸い込まれていく感触を指先で楽しんでいたの。
彼の動作や視線を糸を通して感じていると、おそらくプロの暗殺者として、あらゆる結界や魔導回路を解読する訓練を受けてきたのでしょう。
けれど、鉄道の線路が夏場の熱膨張を逃がすためにあえて設けている『遊間』という構造を魔法に応用した私の設計は、効率と完璧な接続を求める正統派の魔術師にとって、理解不能な設計ミスそのものに見えるはず。
「……何だ、この構造は。回路が繋がっていない箇所がいくつもある、ただの素人の稚拙なパッチワークか、それとも」
暗闇の中で幹部が困惑の声を漏らし、その『隙間』を強引に魔力で埋めて回路を正常化しようと手を伸ばした。
その瞬間、溜め込まれていた魔力が膨張した熱の逃げ場を失って、まるで脱線事故のような衝撃と共に彼の術式を内側から爆発させた。
ドォォン!
深夜の静寂を破る轟音と共に、プロの掃除屋が無様に後方へ吹き飛んだ。
自分の魔力に焼かれて悲鳴を上げる彼を余所に、私は離れの扉を静かに開け、月光を背負いながら最高の演出と共に舞台の中央へと躍り出たわ。
そこへ、爆発音を聞きつけて本館から飛び出してきたアイリスが、護衛を引き連れて駆けつけてきた。
彼女は勝利の余韻も消え失せ、目の前の惨状と、そして何より『死んだはずの私』が五体満足で立っている姿を見て、幽霊でも見たかのように絶叫した。
「ひっ、ひぃぃぃ! ス、ストレイ!? なんで、なんであんたがそこに立っているのよ! 死んだはずでしょう!?」
「あらお義母様、こんな深夜に大勢で押しかけてくるなんて、よっぽど私の安否が心配だったのかしら。あいにくですが、その方は私の庭の『お直し』が気に入らなかったみたいで、少しだけ世界に拒絶されてしまったようね」
私は慌てふためく義母を冷めた目で眺めながら鈴を転がすような声で応じ、ドレスの裾を優雅に摘んでカーテシーを披露した。
『綺麗なジャイ子の歌』の応用で、ドレスの表面に認知阻害の魔力ステッチを施し、今の私が彼女にとって逆らえないほど高貴な存在であると錯覚させる。
腰を抜かして震えるアイリスは、かつての病弱な面影をかなぐり捨てて『格上の聖女』のような威圧感を放って立つ私を視認し、言葉にならない悲鳴を上げながら地面を這いずり回っている。
「お義母様、これまで私の至らなさのせいでご迷惑をかけたお詫びよ。
これは私の持てる技術の全てを注ぎ込んだ、着るだけで貴女をこの世で最も美しく見せる『感謝のドレス』。
どうかこれを受け取って、今夜の不作法な振る舞いを水に流してくださらない?」
私はあらかじめ用意しておいた一着のドレスを、恭しく差し出した。
(蜜をどうぞ。 あなたのスープと違って私の毒は、舌を魅了する毒なのよ)
それは、本館から回収した「最高級の絹」を使い、私が夜なべして丁寧に仕立て上げた逸品のドレスだ。
見た目は王妃が着ても遜色ないほどの豪華さと気品を兼ね備えているけれど、その裏地には特定のメロディで全ての糸が解ける仕掛けを施した、悪趣味極まりない『呪い』の衣装。
恐怖と錯覚で理性を失ったアイリスには、それが天から差し伸べられた救いの糸のように見えたに違いないわ。
彼女は震える手でドレスを受け取り、それを胸に抱きしめると、縋るような目で私を見上げた。
「こ、これを着れば……私は、もっと美しくなれるの? 誰よりも、高貴になれるの?」
「ええ、もちろんですわ。そのドレスは貴女のためにあつらえた特別製。貴女の真の美しさを、骨の髄まで引き出してくれますわ」
(骨まで晒すことになるけどね)
私は心の中で毒づきながら、表面上は慈愛に満ちた聖女の微笑みを崩さない。
アイリスは私の言葉に操られるように、ドレスを抱えて立ち上がり、ふらふらと本館の方へと戻っていった。
自爆した掃除屋の幹部など見向きもしない。
彼女の頭の中は今、このドレスを着て社交界の華になるという妄想で埋め尽くされているはずよ。
「……ふふっ。
単純な人。
自分を飾ることしか考えていないから、中身の腐敗に気づかないのよ」
私は冷ややかに見送りながら、脳内で幕を下ろした。
これから始まる『全裸の王様』という名の世紀の茶番劇に向けて、最高にパンチの効いた次のページを捲る準備は整った。
庭に残された掃除屋の幹部は、ディーノが戻ってきたら処理してもらいましょう。
今はただ、静かな夜明けを楽しみながら、私の新しいブランドの立ち上げを祝うとしましょうか。
「ケイナ、ショウちゃん。戻りましょう。今夜は祝杯よ」
私は離れへと戻る足取りを早めた。
その背中には、確かな勝利の予感が輝いていたわ。




