第26話 呪いの首輪と、真紅の身代わり
「同じよ。
不要なものを取り除いて、必要なものを足す。
それがお直しの基本でしょ?
さあ、じっとしてなさい。
あんたのその首輪、もっとお洒落なチョーカーに変えてあげるわ」
私は銀の針を構え、ディーノの首筋に刻まれた禍々しい刺青へと切っ先を向けた。
彼は一瞬だけ身を竦めたけれど、私の瞳を見て覚悟を決めたのか、大人しく首を差し出してくる。
その信頼が少しこそばゆくて、私は口角を上げた。
「痛くないわよ。
ただ、ちょっとだけ魂がくすぐったくなるかもしれないけどね」
私は魔導からの魔素を流した針先に、ショウちゃんから借りた影銀糸を通した。
影銀糸は、魔導で概念を再構築するまでもなく初めから物理的な干渉だけでなく、因果や呪いといった概念的な『縛り』に魔導で作った魔糸よりも、より細かく干渉できる特性を持っている。
組織がディーノにかけた呪いは、彼の心臓とリンクして、裏切りを検知した瞬間に魔力を暴走させるという悪質なものだわ。
まるで、どこかで見た出来の悪いコルセットで無理やりウエストを締め上げているような、美しくない構造ね。
「いい? ディーノ。
呪いの本質は『契約』よ。あんたの命を対価に、服従を買っている。
なら、その対価の支払い先を、別の場所へ『付け替え』てしまえばいいの」
私は魔導から魔素を供給しながら針を滑らせ、刺青の模様に沿って細かく『影銀糸』を縫い込んでいった。
既存の術式を破壊する危険を犯すのではなく、その上から新しい回路を被せる『オーバーレイ』の技法。
組織への信号はそのまま生かしつつ、心臓への自爆命令だけを遮断し、代わりに私の魔力でバイパスを作る。
つまり、組織はディーノを支配しているつもりでも、実際の手綱を握っているのは私になるってわけ。
「……うぐっ、熱っ……! なんだこれ、首ん中を熱い何かが走り回ってる……!」
「我慢しなさい。今、あんたの命綱を太く頑丈なものに交換してるんだから」
数分後、私が最後の結び目を作り終えると、ディーノの首筋にあった黒い紋章が、一瞬だけ銀色に輝いてから肌の色に馴染んで消えた。
見た目は何も変わらないけれど、その内側の構造は劇的にリフォームされている。
「はぁ、はぁ……。終わった、のか? なんか、急に肩が軽くなった気がする」
ディーノが恐る恐る自分の首に触れる。
心臓を締め付けていた圧迫感が消え、代わりに私の魔力が静かに脈打っているのを感じているはずだわ。
「ええ、完了よ。
これで組織があんたを遠隔操作しようとしても、その命令は全部私のところでフィルタリングされるわ。
あんたはもう、誰の飼い犬でもない。私の『相方』よ」
「相方……か。へっ、響きがいいねぇ。
ブラック企業の社畜から、売れない芸人の相方に転職か。
出世したんだか落ちぶれたんだか分からねえけど、気分は悪くないぜ」
ディーノは清々しい顔で笑い、私に向かって手を差し出した。
私もその手を握り返し、何年かぶりの、そして異世界で初めての握手を交わす。
ガサガサした男の手の感触が、ここが夢ではなく現実であることを教えてくれた。
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「さて、感動の再会はこのくらいにして。本題に入りましょうか」
私は手を離し、テーブルの上に視線を移した。
そこには、先ほどまで彼が着ていたボロボロの暗殺服と、私が用意した裁縫道具が並んでいる。
「あんたがここに来た目的は、私を殺してその証拠を持ち帰ること。でしょ?」
「ああ。失敗すれば俺が殺される……はずだったけど、その呪いは姐さんが解いてくれた。なら、俺はこのままトンズラしてもいいんじゃねえか?」
「甘いわね。
あなた、転生して心もティーンエイジャーになってしまったの?
組織を敵に回して逃げ切れるほど、この世界は優しくないわ。
それに、アイリスを野放しにしておくなんて、私のプライドが許さない」
私は裁縫箱から、鮮やかな真紅の布を取り出した。
それは、以前私がリフォームしたドレスの余り布だけれど、ただの端切れじゃない。
私の魔力をたっぷりと吸い込み、形状記憶の性質を持った特殊な生地だわ。
「逃げるんじゃないの。
あんたは予定通り、任務を達成して凱旋するのよ。
ストレイ・フロンティアを『殺しました』っていう、完璧な嘘の報告を持ってね」
「はあ? 嘘って言っても、死体がなけりゃアイリスは信じねえぞ。
まさか、誰か適当な奴を殺して身代わりにするつもりか?」
ディーノが顔をしかめる。
彼は腐っても元・芸人。
無益な殺生を好むような男じゃない。
その反応を見て、私は満足げに頷いた。
「まさか。そんな野蛮なこと、美学に反するわ。
死体が必要なら、作ればいいだけの話よ。
……ショウちゃん、出番よ。
影を貸して」
私の呼びかけに応じ、影の中から銀狐のショウがぬらりと姿を現した。
彼は「やれやれ」といった風情で尻尾を一振りし、大量の影を床に吐き出した。
私はその影を芯材にして、真紅の布を巻き付け、銀の針で高速に縫合していく。
「見てなさい。これが、服飾技術と魔法の融合。
究極の『ぬいぐるみ』作りよ」
「へぇ。
さっきの魔導とかいう『服飾魔法』とか、あっちの裁縫マニアの技は、転生で持ち込めたんだな。」
私の指先が踊るたびに、布と影が絡み合い、人の形を成していく。
骨格、筋肉、皮膚の質感。
全てを私の記憶にある「14歳のストレイ」のデータ通りに再現する。
仕上げに、私の髪の毛を数本混ぜ込み、魔力波長を偽装すれば……。
「……完成。どう? 私に見えるかしら?」
そこには、胸を鮮血(に見える染料)で染め、苦悶の表情を浮かべて息絶えている、私そっくりの死体が横たわっていた。
あまりの精巧さに、作った本人ですら少し背筋が寒くなるレベルだわ。
「うわぁ……。
マジかよ、これ。
配信で変な服作ってたからソレだけだと思ってたけど。
触っても温かいし、脈まで打ってる気がするぞ。
姐さん、あんた前世で一体どんな修行積んだんだよ」
ディーノがドン引きしながらデコイの頬をつつく。
その指先が震えているのは、恐怖からか、それとも感動からか。
「人生経験よ。
さあ、これを持って行って。
アイリスには『相討ち覚悟で殺した』って伝えなさい。
あんた自身もボロボロの演技をして、同情を誘うのを忘れないようにね」
私はデコイをディーノに押し付け、さらに自分のブローチを「戦利品」として渡した。
これで役者は揃った。
舞台の幕は、もう上がりかけているわ。
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私は胸元に飾っていた、母の形見のサファイアを象ったブローチを指先で弄んだ。
そこに私の魔力波長を転写した影銀糸を幾重にも巻き付け、ディーノに差し出す。
「いい、ディーノ。
アイリスは自分の勝利を確信している時が一番隙ができるわ。
彼女が雇った『最高の刺客』であるあんたが、私の首……いえ、このブローチに仕込んだ魔法糸を持って帰れば、彼女は疑うことなく私の死を確信して、自分から破滅への花道を歩き始めるはずよ」
これはただの宝石ではない。
アイリスの手元に届いた瞬間に、彼女が隠し持っている『不正の証拠』や『投資詐欺の書類』を感知して、自動的に糸を伸ばしてパッキングするための、私からお義母様へのささやかなプレゼントなのだから。
ディーノはブローチを受け取り、その重みを確かめるように手のひらで転がした。
その表情は、先ほどまでの怯えた下っ端のものではなく、大役を任された演者の顔つきになっていた。
「分かった。
こいつを届ければ、アイリスは油断して本性を晒すって寸法だな。
で、その隙に姐さんは何を企んでるんだ?」
「決まってるでしょ。
オチの仕込みと、夜逃げ……いえ、独立の準備よ」
私は離れの窓から、白み始めた空を見上げた。
アイリスが私の死を信じ込んでいる間、この離れは誰の目も届かない『空白地帯』になる。
その時間を利用して、私はフロンティア家の資産を根こそぎ回収し、新たな人生のスタートダッシュを切るつもりだった。
「ケイナ、あんたには重要な任務があるわ。
この離れにある家財道具、食器、そして私のドレス……これらをいつでも持ち出せるように、徹底的にパッキングしてちょうだい。
私の魔法糸を使えば、タンス一つをマッチ箱サイズまで圧縮できるから」
「は、はい! お任せくださいお嬢様! 私、お片付けなら得意です!」
ケイナが不安げに、けれど確かな期待を込めた瞳で私たちのやり取りを見守っている。
彼女もまた、この壮大な共犯関係に足を踏み入れる覚悟を決めたようだ。
「そしてディーノ、あんたにもう一つ頼みがあるの。
組織への報告のついでに、街で噂になっている『投資話』について探りを入れてきてほしいの」
「投資話?
まさか姐さん、一発逆転狙って怪しい儲け話に乗るつもりじゃねえよな?」
「逆よ。
父が引っかかってる『皆で領主さん』とかいうふざけた詐欺の、裏にいる胴元を確実に突き止めて父と一緒にガチな熱湯風呂に入ってもらうの。
敵を知らずして、百戦のなんとかがナントカって言うでしょ?
つまり、あれよ。
最高の『オチ』はつけられないでしょ?」
私の言葉に、ディーノは呆れ半分、感心半分といった顔で肩をすくめた。
転生しても変わらない、私の強欲さと執念深さに懐かしさを感じているのかもしれない。
「了解。情報の裏取りは俺の十八番だ。任せとけ」
私は夜明け前の白み始めた空を窓越しに眺め、これから始まる「フロンティア家崩壊」という名の第二幕の台本を、脳内で完璧に校了させたわ。
「さあディーノ、出番よ。
あんたは悲劇のヒーローになりきって、この偽物の死体を抱え、アイリスに報告しに行きなさい。
顔色一つ変えずに、最高の嘘を演じるのよ。
もし噛んだりしたら、次はあんたの口を直接縫い合わせて、一生声が出ないように『お直し』してあげるから」
私の物騒な激励に、ディーノはかつての舞台袖で見せていた、あの情けなくも信頼できる苦笑いを浮かべた。
暗殺貴族の死に損ないから、私の『最高の相方』へと、その表情を一変させた。
「へっ、上等だ。
姐さんの脚本でスベるわけにはいかねえよな。
行ってくるぜ、最高の『死』を届けてやるよ」
ディーノはデコイとブローチを抱え、再び黒いマスクを装着した。
その背中は、来た時とは違う、プロの演者としての覚悟に満ちていた。
アイリス、貴女が用意した暗転という名の結末を、私が最高にパンチの効いた『どんでん返し』に塗り替えてあげるわ。
最後は 『押すな! 押すな! 押すなよ!?』で、まとめて蹴飛ばしてあげる。
滑りなしの鉄板よ。
バナナの皮で滑って死んだ私が、今度はこの汚れた世界を『魔法糸』で滑らせ、あんたたち全員をTV用じゃないガチの『熱湯風呂』へ突き落としてあげるから、客席で震えて待っていなさい。
ディーノが窓から飛び去った後、私は再び裁縫箱を開いた。
彼が戻ってくるまでの間、私にはやるべきことが山ほどある。
離れの防衛強化、ケイナへのパッキング指導、そして何より……。
「ショウちゃん、付き合って。
これから、この離れを誰も手出しできない『秘密基地』に改装するわよ」
『フン、人使いの荒い女だ。だが、面白くなりそうだ』
銀狐がニヤリと笑った気がした。
朝日が昇り、新しい一日が始まる。
それは、ストレイ・フロンティアという名の令嬢が死に、最強のエンターテイナーが誕生する、記念すべき朝だった。




