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第24話 嵐の前のフィッティング


 私は姿見の前で、完成したばかりの真紅のドレスの裾を激しく翻した。


 普通の布地であれば空気を孕んで膨らみ、重力に従って無粋な皺を作るところだけれど、この『決戦用ドレス』は違う。


 私が右へ旋回すれば、布地はコンマ一秒の遅れもなく私の回転に追従し、遠心力を逃がすように優雅な弧を描いて、ピタリと元のシルエットへと収束する。


 「……よし、悪くないわ。重心移動に対する布地のレスポンス、合格点ね」


 私は鏡の中の自分に向けて、指先で弾いた魔力の粒子を飛ばしてみた。


 パチリという乾いた音と共に、ドレスの表面に張られた『衝撃分散』のテクスチャが波紋のように広がり、私の身体に届くはずだった衝撃を霧散させる。


 このドレスの裏地には『防御術式』だけでなく、私の動きに合わせて空間の抵抗を相殺する隠しステッチを幾層にも重ねてある。


 今の私なら、どんな無茶なアクションをこなしても、衣装の皺一つ作らずに優雅な微笑みを保っていられるはずよ。


 私は掌を開閉し、影銀糸のコルセットが肋骨と筋肉を締め上げる感触を確かめた。

 前世でボロボロの舞台衣装を、ガムテープと安全ピンで補修しながら出番を待っていたあの惨めな夜が、遠い昔の出来事のように感じられる。


 あの頃の私は、服に着られ、環境に流されるだけの端役だった。


 けれど今の私のフィッティングは、神々しいまでの機能美と、圧倒的な生存への意志に満ち溢れているのだわ。


 「ケイナ、そっちの袖口の始末はどう?」


 私が声をかけると、工房の隅で予備の糸を巻き取っていたケイナが、弾かれたように顔を上げた。


 彼女の手際は、私との共犯生活を経て驚くほど洗練されている。


 以前のおどおどした様子は消え、今はプロの裏方、スタッフとしての顔つきで、私の指示を待っていた。


 「はい、お嬢様! ご指示通り、袖の内側に『予備の魔石』を三つ縫い込んでおきました。いつでも魔力を引き出せます!」


 「上出来よ。さあ、仕上げといきましょうか」


 私は魔導を展開し銀の針を一本だけ指先で遊ばせながら、工房の窓枠に足をかけ、本館の方角へと鋭い視線を飛ばした。


+++++++


 離れの周囲、そして広大な庭園の木々の間に張り巡らせておいた極細の『感知糸』が、私の指先に不穏なリズムを伝えてくる。


 チリリ、チリリ。


 それは風の悪戯ではない。


 明確な『質量』を持った何者かが、こちらの結界の隙間を探るように徘徊している振動だわ。


 私は目を細め魔導からの帯域を広げ、コルセットの構成要素から出力を上げて『魔力視覚』を発動させた。


 視界がモノクロームのワイヤーフレームに切り替わり、数百メートル先の闇の中に、一つの熱源が浮かび上がる。


 アイリスが絶望の末に呼び寄せたであろう闇の気配が、刻一刻とこの離れに近づいている事実を肌で感じ取って、私は愉悦に震えたわ。


 「……来たわね。

 ト書きで埋め尽くされた私の舞台にようこそ。

 序盤で、まだ物語に入り込めていない読者様に見せてあげて頂戴。

 滑稽芝居の派手なアクションを。

 招かれざる客の役者さん」


 私は窓から飛び退き、床に着地すると同時にドレスの裾を蹴り上げた。


 空気が爆ぜる音がして、私は一瞬で部屋の中央にあるティーテーブルの横へと移動する。

 この超人的な機動力こそが、私が求めていた『演出』のためのスペックだ。


 「さてケイナ、お茶の準備をしてちょうだい。

 最高に美味しい茶葉と最高に美しいカップを用意して」


 「お茶、でございますか? このような緊急時に?」


 「ええ。これから来る野暮ったい『お客様』を、盛大に歓迎してあげなきゃいけないんだから」


 私の言葉にケイナは一瞬だけ身を硬くしたけれど、すぐに凛とした表情で頷き、給湯ポットへと走った。


 共犯者としての肝が据わったのか、今や彼女の所作からも無駄な動揺が消えて、プロの裏方としての静かな覚悟が漂っているのが頼もしいわね。


 彼女は手際よく茶葉を計量し、私の好みの濃さで抽出を開始する。


 その背中を見ながら、私は心の中でアイリスへの嘲笑を深めた。


+++++++


 アイリス。

 自分を救うために刺客という名の毒を煽ったつもりでしょうけれど。

 それは間違いよ。


 あなたが選んだその手段。

 それこそが、フロンティア家の最後の一針を外す決定打になる。

 それに最後まで気づかないなんてね。


 アイリス、本当に救いようのない、三流の演出家だわ。

 

 父の嵌った間抜けな投資詐欺で失った財産の代わりに、魂まで売り払って手に入れた刺客の刃。

 それが、私の『お直し』されたこの身体に届くと本気で思っているのかしら。


 私はテーブルの上に並べられた銀の食器の位置を、ミリ単位で修正した。


 ナイフとフォークの角度、ナプキンの折り目。

 全てを完璧な『舞台セット』として整える。


 これから始まるのは戦闘ではない。

 私が脚本を書き、私が演出し、私が主役を演じる、一方的なショーなのだから。


 「お嬢様、お茶が入りました。テラスへお持ちしますか?」


 「ええ、お願い。夜風に当たりながら、優雅に待ちましょう」


 私はドレスの裾を軽く翻す。


 離れのテラスへと続くガラス戸を大きく開け放った。

 冷たい夜風が吹き込み、私の銀髪と深紅のドレスを激しく揺らす。


 嵐が来る前の不気味なほどの静寂を楽しみながら、私は足元に控える銀狐のショウに目配せをした。


 「ショウちゃん、あんたは私の影に隠れてなさい。いざという時の『隠し球』よ」


 『……フン。人使いの荒い女だ。だが、あの程度の雑魚、吾輩が出るまでもないだろう』


 ショウは不満げに鼻を鳴らしながらも、私のドレスの影へと溶け込むように姿を消した。


 これで準備は万端。


 私はテラスの椅子に腰を下ろし、ケイナが注いでくれた琥珀色の液体を、優雅な手つきで一口含んだ。


++++++++


 感知糸を通じて伝わってくる刺客の足取りは、プロにしてはどこか迷いがあるようで、それでいて妙に慣れたリズムを刻んでいる。


 ザッ、ザッ……ピタッ。


 庭の砂利を踏む音、草木を分ける衣擦れの音。


 その一つ一つが、私の魔力視覚というスクリーンに波紋となって映し出される。


 普通なら最短距離で突っ込んでくるはずの距離を、彼はわざわざ植え込みの影を利用して迂回し、風下から慎重に接近してきている。


 「……あら。随分と独特なステップを踏むのね」


 私はカップの縁を指でなぞりながら呟いた。


 このリズム、この間の取り方。


 どこか懐かしいというか、生理的に『知っている』感覚が背筋を這い上がって、なぜか口角があがってくる。


 まるで、かつて舞台袖で出番を待っていた相方が、緊張してウロウロしている時の足音にそっくりだわ。


 お義母様、貴女が用意したその刺客が、どんなステップで私を驚かせてくれるのか楽しみにしているわよ。


 もしその動きが私の審美眼に叶わないほど鈍重で退屈なものだったら、その時は私が直々にその命の綻びを縫い合わせて、二度と立ち上がれないほど綺麗にお直ししてあげるんだから。


 私は顔見ぬ神に与えられし『魔導を開き概念を視覚化』月の光を浴びながら手の中の針を鋭く輝かせ、闇の中に潜む殺気の波長を自らの魔力糸と同調させた。


 私の脳内では既に世界の構築が終了し、これから始まる血塗られたダンスバトルの振り付けが完璧に完成している。


 相手が右から来れば、私は左へ流す。


 相手が踏み込めば、私はその力を利用して回転し、ドレスの裾に仕込んだ『重りの糸』でカウンターを叩き込む。


 服飾技術で培った構造理解と、芸人時代に体得した『間の取り方』があれば、どんな暴力も美しい演舞へと昇華できるのよ。


 「お嬢様、お客様が……庭の入り口に」


 ケイナが震える声で告げる。

 彼女は恐怖に青ざめながらも、私の背後から一歩も引こうとしない。

 その健気な姿に、私は心の中で拍手を送った。

 合格よケイナ。

 貴女はもう、ただのメイドじゃない。

 私の大切な共演者だわ。


 その視線の先、深く沈んだ闇の中から、一つの人影がゆらりと浮かび上がった。


 黒ずくめの衣装に身を包み、顔を布で隠したその姿は、いかにもな『刺客』の記号を纏っている。


 けれど、私にはその衣装の仕立ての悪さが気になって仕方がないわ。


 肩のラインが合っていないし、足元の裾上げが雑すぎる。

 あんな格好でプロを名乗るなんて、服飾業界への冒涜よ。


 さあ、嵐の前のフィッティングはこれで終了。


 ここからは誰にも真似できない魔導で構築された私のキレ味で、この汚れた夜を丸ごと洗濯してあげるから。


 私はテラスの手すりに手をかけ、眼下の侵入者を見下ろした。


 スポットライト代わりの月光が、雲間から差し込み、私たち二人を照らし出す。


 私は肺一杯に空気を吸い込み、よく通る声で言い放った。


 「ようこそ、フロンティア家の離れへ。

 随分と遅い時間の訪問ね。

 夜食を食べすぎて動けなかったとか?

 遅れる時は一報ぐらいは入れるべきなのよ。

 やはり教養無き方には難しいわよね。

 それより、お茶でも一杯、いかがかしら?」


 私の問いかけが、開演のブザーとなって夜空に響き渡った。


 特等席で指をくわえて見ていなさい、アイリス。


 貴女が招いたこの結末、たっぷりと味わわせてあげるわ。


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