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第21話 深夜のパトロール、父の書斎に『綻び』あり


 深夜の静寂に沈むフロンティア家の本館は、外から見ればそれなりの威容を保っているけれど、その実態は継ぎ接ぎだらけの安い裏地のような空虚さに満ちていたわ。


 私は魔導を展開し、影銀糸のコルセットで身体能力を限界まで最適化する。

 繰り出されるのは、驚異的なまでの出力。


 それほどの力を駆使しながらも、歩みはどこまでも静かだ。

 見えない風が廊下を撫でるような静謐さで、私は三階の当主書斎へと辿り着く。


 扉の隙間から漏れ出す微かな灯りは、この家の主である父、フロンティア子爵が今もなお眠れぬ夜を過ごしている証拠だった。


 私は指先に魔力糸を絡ませて鍵穴へと滑り込ませる。


 前世で何度も経験した古い劇場の楽屋の鍵を開けるような手際で、音もなくその重厚な扉を解錠して室内へと滑り込んだわ。


 書斎の中は、まるで嵐が過ぎ去った後の楽屋裏のように散らかっていて、そこには領主としての威厳なんて塵ほども残っていなかった。


 高級そうなマホガニーの机の上には、飲みかけの高価な酒瓶が転がり、琥珀色の液体が書類を汚している。


 その書類の山に突っ伏して、父が高いびきをかいていた。


 私は気配を完全に殺して本棚の影に身を潜める。


 まずは状況確認。


 机の上で雪崩を起こしている羊皮紙の束、その一枚に魔法糸を伸ばして手元へと手繰り寄せた。


 『貴方も今日から開拓地の王に。皆で領主さん、一口一万ゴールドから』


 目に飛び込んできたその稚拙な見出しを見た瞬間、私は思わず噴き出しそうになるのを必死に堪えたわ。


 これ、前世で売れない後輩の芸人の父親が引っかかって借金まみれになっていた、あの古典的なポンジ・スキームと寸分違わない手口じゃない。


 しかも、勧誘状の端々には父の筆跡で、捕らぬ狸の皮算用を地で行くような醜い利益計算がびっしりと書き込まれている。


 『一口投資すれば、半年後には配当だけで三万ゴールド』

 『紹介者を五人出せば、ランクが上がって配当率が倍になる』


 そんな夢物語のような数字が、震える文字で書き殴られていた。


 彼は自分が騙されていることにも気づかず、この紙切れ一枚でフロンティア家の栄光を取り戻せると本気で信じ込んでいるのだわ。


 さらに私は、別の封筒の中身を確認する。


 そこには『受領証』とともに、父が換金した物品のリストが添えられていた。


 『先代夫人のサファイアの首飾り』

 『領民修繕積立金保管庫の鍵』

 『王家より拝領した記念の白磁壺』


 父は、私の母の形見だけでなく、領地を維持するために絶対手をつけてはいけない公金にまで手を染めていた。


 それを全て、この紙屑同然の投資話に突っ込んでしまったのだ。


 細かく震える父の筆跡。

 そこには焦りと虚栄心が透けて見えた。


 実力を隠すために演出過多になり、自滅する三流役者。

 その台本を見せられているような、無様な筆致だ。


 散らばった封筒を一つずつ検める。

 本館の備品、そして亡き母の遺産……。


 彼がそのすべてを『皆で領主さん』なんていう胡散臭い投資に溶かしたという事実は、もはや疑いようもなかった。


 この男は、自分の家族を『お直し』する努力を放棄して、外部からもたらされる甘い誘惑にすがり泥沼に首まで浸かっている。


 典型的な、現実逃避型のギャンブル依存症の思考回路だわ。


 私は暗闇の中で冷徹なプロファイリングを走らせ、このフロンティア家という舞台が、もはや物理的なリフォームだけでは救えないほど内側から腐り果てている事実を突きつけられたわ。


 お父様、貴方の人生という名の舞台は、幕を下ろす準備すら整っていないのね。


 こんなに分かりやすい綻びを放置して、それでもまだ主役の座に居座ろうとするなんて、観客に対して失礼極まりないわよ。


 ざっと目を通しただけだが、前世の四十路の経験からみて、この投資話の裏には、間違いなく悪意ある組織が絡んでいる。


 配当が支払われている形跡は初期の数ヶ月分のみ。


 それ以降は『現在システムトラブルにより遅延中』というベタな定型文の手紙が届いているだけ。


 これはもう、胴元が逃げる準備? 

 いえ、違うわね。

 本当の目的を始めている合図よ。


 私は手にした勧誘状を無造作に元の位置へと戻し、眠りこける父の背中に向かって、軽蔑を込めた静かな視線を送った。


 綻びを見つけたのなら、あとはそれをどう切り裂き、どのような新しい布地を当てて再生させるか。


 それを決めるのはこの屋敷で唯一の『プロ』である私の仕事だわ。


++++++++


 眠りこける父の背中から、情けない鼾が漏れている。

 私はその音を聞き流し、さらに書斎の奥底へと潜り込んだ。

 狙いは机の引き出し。その裏側に隠された二重底の存在を、指先の魔力糸で瞬時に感じ取ったわ。


 カチリと乾いた音を立てて開いた隠し場所から現れたのは、案の定アイリスにも内緒にしているであろう数通の借用書と、さらに卑劣で稚拙な『投資の追加振込領収書』の束だった。


 私はそれらの書類を月明かりの下に晒して内容を精査する。


 そこに記されていたのは、街の闇金業者からの借入記録だった。


 利息はトイチ、いやトサン(十日で三割)に近い暴利だわ。


 日付を確認すると、最初の借入は半年前。


 そこから雪だるま式に借金が膨らみ、今や元本の数倍にまで膨れ上がっている。


 そして何より最悪なのは、借用書の備考欄や日記の切れ端に書き殴られた、父の独り言だ。


 『また負けた。だが次は勝つ』

 『この投資さえ成功すれば、全て帳消しになる』

 『アイリスの宝石を勝手に持ち出したのがバレたら殺される』

 『ストレイの治療費さえなければ、もっと投資に回せるのに』

 『死んだ前妻が、俺に呪いをかけているに違いない』


 父の筆跡は新しい借金を重ねるごとに震えを増していて、その筆圧の不安定さは自身の無能さを直視できずに虚飾の未来に縋り付く小心者の末路を如実に物語っている。


 前世で何度も見てきたわ。


 舞台のギャラを全部競馬やパチンコに注ぎ込んで、楽屋の隅で震えていた情けない、私と同じ売れない芸人たちのあの救いようのない背中を。


 今の父は、それと全く同じ腐った匂いをさせているのよ。


 書類の端々に書き殴られた領主としての傲慢な言葉は、どれも自分の責任を他人に転嫁するものばかり。


 この男はフロンティア家の家計が火の車なのを、私のせいや死んだ母のせいにすることで辛うじて精神を保っているのだわ。


 私はその醜い魂の綻びを目の当たりにして、怒りよりも先にプロとしての深い失望を感じずにはいられなかった。


 これほどのシミを放置して上から豪華な上着を羽織ったところで、歩くたびに腐敗臭が漂うのは当たり前。


 この男は自分が騙されている事実に気づかないフリをしながら最後まで主役の座にしがみつき、最後には家族全員を道連れにして奈落へと飛び降りるつもりなのね。


 私は静かに引き出しを閉じ、手に入れた情報のパズルを脳内で組み替える。


 そして今後の『独立』へ向けた略奪計画の工程表を鮮やかに描き出していく。


 もうこの家に残された時間は少ない。


 蠢く意思を持つ借金取りが本館のドアを叩くのは時間の問題だ。


 その時、父は何もかも失う。


 アイリスが強欲に目を光らせている間にこの無能な父は勝手に自滅の道を突き進み、フロンティア家というブランドは近いうちに市場から完全に淘汰される。


 もちろん、父は言うのよね。


 『押すな! 押すな! 押すなよ!!』って


 うん。


 もちろん、思いっきり押してあげるわ!


 ならば私はその前に、この泥舟から価値のある布地だけを切り取って、誰にも真似できない最強の夜逃げステージを作り上げるだけ。


 母の遺産、魔導具、そしてまだ売られずに残っているわずかな美術品。


 それらを全て『回収』し、私たちの新生活の軍資金にする。


 これは泥棒じゃない。


 沈没船からの正当なサルベージよ。


 私は闇に紛れて書斎を後にしながら、背後で幸せそうに夢を見ている父に向かって、心の中で最後の一刺しを贈ったわ。


 『さよなら、お父様。

 あなたのこと、幼い頃から、それほど好きではなかったわ』


 さて貴方の演出するこの悲劇はもうすぐ打ち切りよ。


 これからは私が、貴方の想像もつかないような劇的なお直しで、この物語を完膚なきまでに書き換えてあげるんだから。


 すべての資料や書類、日記に至るまで原本を確保した私は魔導を展開する。


 魔導の視覚で捉えた情報を元に、父の書斎で開かれたことのなさそうな書籍を分解、再構築し盗み出す書類のコピーを作成し、元の位置へと戻した。


 離れに戻る私の足取りは、来る時よりもずっと軽く、そして確信に満ちていた。


 舞台の幕が下りる前に、次の舞台の準備を整える。


 それが、生き残る芸人の鉄則なのだから。


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