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第2話 ゴミ溜めのお嬢様と泣き虫メイド


 不敵に笑って指先に集中したまでは良かったのだけれど、現実は非情だった。

 私の体は今にも消え入りそうなほど細く、指一本動かすだけで肺がゼーゼーと音を立てる。


 四十二歳のおばさん魂がフルスロットルで回っていても、肝心の車体がボロボロの軽トラ以下じゃ話にならない。


 これじゃあ、舞台に上がる前に楽屋で倒れるようなものだわ。


 「お、お嬢様?

 さっきから虚空を掴んで笑っていらっしゃいますが、やはりお医者様を」


 ケイナが半泣きで私の顔を覗き込んでくる。

 無理もないわね。


 毒を盛られて寝たきりだったお嬢様が、いきなり目つきを変えて『洗濯してあげる』なんて言い出したら、環境と相まって誰だって発狂を疑うわ。


 この子の涙で濡れた瞳には、主人が狂ってしまったのではないかという絶望の色が浮かんでいる。


 「いいのよケイナ。

 お医者様なんて呼んだら、お義母様が喜んで殺しに来るだけだわ」


 私は重い腕を持ち上げて、自分の鎖骨あたりに触れた。

 薄い皮膚の下で、脈打つ血管がドクドクと不快なリズムを刻んでいる。

 でも、私には見えているのよ。

 この薄暗い部屋に充満する、淀んだ空気。

 そして私の体内で、血管にへばりつくように絡みついている『黒い糸』が。


 転生者によくある神様とのやり取りが無かったのは残念だけど、きっとコレ何じゃないかという確信がある。


 なので「オープン・ステータス」って叫ばなくても感じる。


 そしてストレイとしての記憶が、この世界の魔法は詠唱と複雑な幾何学模様を必要とすると教えてくれる。

 けれど、そんなのまどろっこしくてやってられない。

 そう、私には見えている。


 ありがとう。神様。いるかはしらんけど。


 魔法なんていうのは要するに、そこにあるエネルギーをどう編み込むかっていう、ただの構成力の問題でしょ。

 ネタ作りと同じよ。

 フリがあって、タメがあって、オチがある。

 その構造さえ理解していれば、あとはアドリブでどうにかなる。


(……見つけたわ。 この毒、かなりしつこい油汚れに近いわね)


 私の視界には、毒素が魔力の繊維をベタベタと汚しているのが概念が視覚化してはっきりと見えていた。

 それはまるで、安物のポリエステルにこびりついた機械油のようだ。


 前世で売れない芸人をやりながら、生活のために服飾専門学校で培った技術と、クリーニング店でのバイト経験が今、異世界の魔法理論とガチッと噛み合う。


 私は自分の内側に手を伸ばすイメージで、魔力の『糸』を紡ぎ出した。


 きたね。チートが(ニヤリ)


 「お嬢様……? 指先から、光が」


 ケイナが息を呑むのがわかった。


 病弱で魔法の才能なんて欠片もないと言われていたストレイの指先から、絹糸よりも細く、鋭い光の糸が伸びている。

 それは蛍の光のように儚く、けれどレーザーのように鋭利な輝きを放っていた。

 私はそれを、体内の『黒い糸』の結び目に滑り込ませた。


 「いい? こういう頑固な汚れは、強引にこすっちゃダメなのよ。」


 繊維の隙間に洗剤――魔力を流し込んで、汚れの分子を浮かせる。


 そう、浮かせたらあとは一気に、濯ぐ!


 イメージするのは、最高級の界面活性剤。


 私は自分の魔力を、極限まで『浸透性の高い液体』へと変質させて、毒素の網目に流し込む感覚が視覚化し、現実に影響を与える。


 瞬間、胸の奥でドロリとした何かが剥がれる感覚がした。

 血管の内側にへばりついていた体内に良くない汚れが、私の魔力によって表面活性化されて強制的に浮き上がらされる。

 激しい吐き気が襲い、私はベッドから身を乗り出して、枕元に置かれていた汚い桶に顔を突っ込んだ。


 「お嬢様!?」


 「……ぐっ、げぇぇぇっ!」


 喉の奥から、焼き付くような熱さと共に、どす黒い塊が吐き出された。

 それはタールのように粘り気があり、ツンとした刺激臭を放っている。

 これが、私を殺そうとしていた毒の正体。


 アイリスの悪意が凝縮された、物理的な汚れだ。


 (くそが!なんちゅうもんを、体内に入れやがて、まじ殺す気よな)


 「……大丈夫。

 今、溜まってた毒液を全部排出したから。

 あー、すっきりした。

 これでお酒が飲めれば最高なんだけど」


 私は袖口で口元を拭い、大きく息を吸い込んだ。

 顔を上げると、視界がさっきよりもずっとクリアになっていた。


 肺に空気が入る。


 指先に力が戻る。


 さっきまでの体全体にずっしりとのしかかっていた鉛のような重さが嘘のように消え、代わりに熱い血潮が巡り始めている。

 四十二歳の図太いバイタリティが、ようやくこの救われるべき十四歳の美少女の器に馴染み始めた感覚だ。


 よくある転生で意識を奪ってしまう系でなく良かった。


 足りなかったパーツが嵌ってようやく本当のストレイとなった、いつも感じていた何かずっと足りない心が満たされ、十四歳にして違和感なき自分をようやく取り戻したという気持ちが体中を包み込む。


 改めて私は深呼吸をして、この離れの惨状を見渡した。


 カビの生えた壁紙は湿気で波打ち、カーテンには虫食いの穴が無数に空いている。

 そして、あまりにもみすぼらしいケイナのメイド服。

 継ぎ接ぎだらけで、色は煤け、洗濯を繰り返して生地が薄くなっている。


 ネグレクトっていうのは、単に食事を与えないだけじゃない。


 こうやって、周りの環境を少しずつ腐らせて、本人の自尊心まで削り取っていく嫌がらせなのよ。


 衣食住の崩壊は、心の崩壊に直結する。

 崩壊は死につながる事だって大いにある。


 前世で極貧生活を送っていた私だからこそ、どうしようもない貧しさが心を壊していく、その恐ろしさは骨身に染みてわかっている。

 本当に間に合ってよかった。


 「さて、ケイナ。

 自分のシミ抜きが終わったところで、次はこの部屋のクリーニングといきましょうか。」


 (おばさんの本気を見てなさい)


 私はふらつく足で、ゆっくりとベッドから床へ降り立った。

 生まれたての小鹿みたいな足取りだけど、心の中ではすでに、このゴミ溜めを『超一流の楽屋』に作り変えるプランが完成していた。


 舞台に立つ芸人にとって、楽屋は戦場に向かう前の聖域。

 そこが汚れていては、いいネタであっても笑いなんて生まれるはずがないのだ。


 概念を視覚化し、魔導が現実に影響を与えていく。

 私の指先から、再び銀色の魔力糸が溢れ出した。

 それは先ほどよりも太く、力強い輝きを放っている。

 毒を排出したことで、概念の定着によって視覚化までが短縮され魔力の循環もスムーズになっている証拠だ。


 「お嬢様、何を……」


 「リフォームよ。このボロ屋敷、私の手で全部縫い直してやるわ」


 私は不敵に笑い、部屋中に漂うカビ臭い空気を、魔力の風で一掃した。


 本当のストレイが今ココにいるわ。


 さあ、反撃の準備運動といきましょうか。


++++++++


 「お、お嬢様……? 立っては、いけません! まだお身体が」


 ケイナが慌てて駆け寄ってくるけれど、私はその震える小さな肩を、細くなった手でしっかりと掴んだ。


 大丈夫。


 さっき吐き出した黒い塊と一緒に、ストレイという少女を縛り付けていた絶望も少しだけ追い出した気分だわ。


 視界に映る世界は、相変わらずキラキラとした魔力の糸で満ち溢れている。

 壁のシミも、床の傷も、すべてが『お直し』を待っている素材に見えてくるから不思議だ。


 「いいのよケイナ。

 それより、そこに転がっている古い毛布と、そっちの破れたカーテンを持ってきて」


 「えっ? あ、はい。

 でも、そんなゴミ同然のものをどうなさるのですか?」


 不思議そうにしながらも、ケイナは言われた通りに素材を集めてくる。

 確かに客観的に見れば、それはただの布切れだ。

 長年の湿気で繊維は死にかけ、所々に穴が空いた無価値なゴミ。


 手触りはゴワゴワとしていて、獣のような臭いが染み付いている。

 けれど、裁縫暦うん十年、布を裁断してご飯を食べてきた四十二歳の私に言わせれば、これはまだ『死んでない』。


 概念から視覚を構成し魔法の糸を紡ぐ。

 繊維の一本一本に魔力の糸を滑り込ませて、構造から組み直せば、最高級のカシミアだって土下座するレベルの逸品に化けるんだから。


 チートなのか過去の経験(前世の)と結びついて私にはわかる。


 「いい? 本当の魔法っていうのはね、詠唱の長さや幾何学模様の派手さで決まるんじゃないの。

 どれだけ対象の『本質』を理解して、効率的に手を加えるか。

 ただそれだけよ」


(ただ、その概念から視覚化は前世の記憶も必要かもしれないけどね)


 私は指先から銀色の光り輝く魔力糸を紡ぎ出す。

 それを針のように鋭く、けれどシルクのように柔らかく操り、ボロボロの毛布の繊維に滑り込ませた。


 再びイメージするのは、繊維の再結晶化。


 死んだ綿毛に魔力の弾力を持たせて、空気の層を強制的に作り出す。

 へたった生地の間に、ミクロの空間ステッチを施していく感覚だ。


 「……信じられない。

 布が、生きているみたいに膨らんで……」


 ケイナの目の前で、灰色だった毛布が雪のような白さを取り戻していく。

 ただ白くなっただけじゃない。

 私が一針ごとに『温度調整』と『自動洗浄』の概念を魔力糸で刺繍し、構造そのものを書き換えてしまったのだ。


 魔法学者が何年もかけて研究するような高位の付与魔法だけれど、私にしてみれば、これはただの『機能性素材へのお直し』に過ぎない。


 前世の安アパートで、寒さを凌ぐために百均のアルミシートを服の裏地に縫い付けていた時の知恵が、こんなところで役に立つとはね。


 「はい、完成。

 触ってみなさい、飛ぶわよ」


 おばさんの自信作を差し出すと、ケイナは恐る恐る指先を伸ばした。

 触れた瞬間、彼女の目が見開かれる。

 指が沈み込むような圧倒的な弾力と、肌に吸い付くような温もり。

 極貧の離れに、突如として王宮の寝具を凌駕するアッチの世界の知識で編み出された『魔導毛布』が誕生した瞬間だった。


 「これ……本当に、あのボロ布なんですか……?

 温かくて、すごく、心が落ち着きます」


 ケイナが頬を赤らめながら、毛布に顔を埋めている。

 その姿を見て、私は満足げに頷いた。


 「でしょ?

 目覚めて分かったのはね(四十二年生きてきて)、寝床と食事さえしっかりしてれば、大抵の絶望は笑い飛ばせるってことよ。

 人間、寒いとろくなことを考えないからね」


 私は視線をケイナの全身へと移した。

 ボロボロの毛布が最高級品になった今、彼女のみすぼらしいメイド服との対比が余計に際立っている。


 「さあ、次はあなたのそのメイド服ね。

 そんなボロを着てたら、私の相方としては合格点があげられないわ」


 「えっ、私の服もですか?

 でもこれは、支給されたものがこれしかなくて……」


 「支給品がクソなら、自分で直せばいいのよ。」

 私はケイナの驚愕を余所に、次なる獲物を見定めてニヤリと笑った。


 かつて『ワイワイ放送』で開拓民子としてイツメン相手に、年に何度か投げ銭を集中的に回収するべく『イベント放送』と称した特技を披露する配信を行っていて、その1つ「安物の古着をブランド品に見せる改造術」を配信していた頃を思い出す。


 あの時、投げ銭で百円をくれた誰かが言っていた。


 『民子さんの手、魔法みたいだね』って。

 皮肉なことに、こっちで本当の魔法使いになっちゃったわよ。


 つーか、感動したらなら五万円とは言わないから五百円は投げなさいよ!


 MYtubeで売れっ子芸人が『太客』って呼んでた配信見たらバンバン万札が飛んでる一方で、四十過ぎてスク水配信とかで体張ってるのに、

 数十円の投げ銭とか……。


 いや、ありがたいのは、ありがたかったけど……。


 なんか、腹たってきたわ。


 「見てなさい。

 このゴミ溜め! ゴミ溜め! 

 私が世界一豪華な楽屋に縫い直してあげるから!」


 窓の外では、本館の贅沢な灯りが揺れている。

 そこには、投資詐欺に引っかかったバカな父親リックザクと、私を毒殺しようとした継母アイリスがいるはずだ。


 彼らが自分たちの着ている高級服が、ただの『糸屑』に見えてしまうような、圧倒的な服飾魔法を叩き込んでやる。


 本物の価値とは何か、この離れから教えてあげるわ。


 私の第二のステージ、開演のベルはもう鳴っているのよ。


 さあ、リフォーム大作戦の始まりだ。



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