第19話 【試着】締め付け厳禁、おばさんの快適理論
工房の鏡の前で、私は自分の胴体に巻き付いた『影銀糸のプロトタイプ』をじっと見つめていた。
魔力酔いの濁流を鎮めたその機能性は申し分ないけれど、着心地という点では、まだ私の感性や美学が合格点を出していない。
この世界(ガルディア王国)貴族の令嬢たちが身に纏うコルセットは、ただひたすらに内臓を押し潰し、細いウエストという『見栄』のためだけに呼吸を奪う。
そんな窮屈な衣装で、どうやって人生という名の長いステージを踊りきれというのかしら。
「お嬢様、やはり少し締め付けが強すぎるのではありませんか。
そんなに顔を真っ直ぐにして、息をするのも大変そうですわ」
心配そうに覗き込んでくるケイナに対し、私は魔導を展開し銀の針を一本、コルセットの芯材となる魔力線の結び目に差し込んだ。
針先から流し込んだ振動が、編み込まれた影銀糸の一本一本を微細に解きほぐし、私の体型に合わせて最適な密度へと再構成していく。
「いいのよケイナ。
美しさは我慢なんて、あれは服に着られている素人の言い訳。
プロの衣装っていうのはね、着ていることを忘れるくらい自由で、それでいて脱いだ時よりも体が軽くなる魔法の皮膚でなきゃいけないのよ」
私は展開した魔導を視覚化し魔力回路の接続点を、自身の肋骨の隙間を縫うようにして『縫い直し』ていく。
内臓への圧迫を逃がすための空間ステッチを忍ばせ、代わりに重力を分散させるための力線を背骨に沿って垂直に走らせる。
おばさんの知恵が教える快適の真理は、締め付けることではなく、支えるべき場所をミリ単位で特定することに集約されるのだわ。
ふっと、肺の奥まで酸素が染み渡る感覚が戻ってきた。
ただ呼吸が楽になっただけじゃない。
骨盤を正しい角度で固定した瞬間、私の意識は足の指先まで一本の研ぎ澄まされた弦のように繋がった。
これよ。
この安定感こそが私の武器。
前世では、あらゆる場所でディスプレイを設置したわ。
揺れるシャンデリアの上も、足場の悪い屋外ステージも関係ない。
不安定な場所で飾り付けを完遂し、客の視線を奪う。
その積み重ねが、今の私の『立ち姿』を支える土台なの。
私は鏡の中の自分に向かって、ゆっくりと一礼してみた。
ドレスの裾が、私の動きに一拍も遅れることなく優雅に波打つ。
かつての病弱だったストレイ・フロンティアの面影はもうどこにもない。
そこに立っているのは、最新鋭の魔導補正具を皮膚の一部として着こなした、再起を狙う不屈の表現者。
「見てなさいよ。
このお直しの魔法が、どれほど残酷に貴女たちの古い常識を切り裂いていくか。
お義母様の用意したあの不自由なドレスなんて、私にとっては破るための紙クズに過ぎないんだから」
私は不敵な笑みを浮かべ、さらに指先を動かして仕上げの調整に入った。
快適さこそが、最強の武器。
それを知らない哀れな貴族たちに、本物の『着こなし』というものを見せつけてやる準備が整ったわ。
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針を置いた瞬間、魔導で構成したコルセットに縫い込まれた影銀糸が、私の体温と同調して柔らかな光を放った。
それは今まで私を苦しめていた重力という名の枷が、魔導という仲介者を得た事で音を立てて外れた合図でもあった。
私はゆっくりと工房の中央へと歩みを進める。
一歩踏み出すごとに、自身の脚の筋肉が、これまで経験したことのない効率で地面を蹴り、最適な軌道を描いて全身を前へと送り出す感覚に震えた。
「……お嬢様? なんだか、立ち姿が、その、今までと全く違います。
まるでお体の中に、一本の真っ直ぐな光の柱が通ったみたいで」
それまでの出来上がる工程を見ていたケイナが感嘆の声を漏らし、ショウも銀色の尾を振って私の周囲を嬉しげに駆け回る。
病弱だったストレイの体は、今や影銀糸の『補正』によって、かつて私が何千回ものステージで鍛え上げたあの鋼の体幹を取り戻していた。
いえ、それ以上だわ。
若々しい細胞のバネに、四十二歳の合理的な重心移動、そして魔導が作り出す魔力による加速という3つが加わったこの感覚。
私は試しに、工房の狭いスペースで、深夜の配信でもよくやった前世の得意ネタだった『高速ステップ』を一瞬だけ刻んでみた。
タン、タタタンッ。
もちろん、深夜の『ワイワイ放送』では頭で描く華麗なステップと、四十路の体が織りなすギャップが爆笑を生んでいたが、今の私のスッテプは頭で考えるよりも体が先に動いてしまう。
逆格差で、イツメンたちも息を飲むはず。
空気を切り裂くような鋭い音が響き、私の体は残像を残して元の位置へと戻る。
驚くべきことに、あれほど激しいステップを何度も続ける動きをしたというのに、呼吸は一切乱れていない。
コルセットに忍ばせた空間ステッチが、肺の膨らみを一切邪魔することなく、むしろ魔力を含んだ新鮮な空気を奥まで送り届けてくれているからだわ。
「これなら2ステージ連続の服飾ディスプレイ……いえ、王都中のダンスホールを梯子しても、翌朝にはケロっとしていられるわね」
私は鏡に映る自分自身の、鋭く研ぎ澄まされた輪郭を見つめて不敵に微笑んだ。
美しさとは、耐えることではない。
美しさとは、自分の意志で、自分の体を、最高に快適に使いこなすこと。
アイリスやお義父様が崇拝する、あの呼吸を止めて着飾るだけの貴族文化が、いかに野暮ったいものかを思い知らせてあげる準備が整ったわ。
「さて、ケイナ。
体が軽くなると、今まで見えなかった『家の綻び』がよく見えるようになるものよ」
私はコルセットの感触を肌に馴染ませ、頭の中で次の段取りをなぞりながら、窓の外にそびえ立つ本館へと視線を投げた。
力漲るこの体があれば、夜の闇に紛れて屋敷の裏側を覗き見ることなんて、今の私にはお遊びのようなもの。
私のリフォームは、まだ自分を整えただけに過ぎない。
(あせっては、だめよ。 ストレイ)
じれったく感じても自分で自分に言い聞かす。
一つ一つを確実に。
それが舞台のフィナーレを飾る大前提だと今の私は知っている。
次は、この腐りかけたフロンティア家の家計という名の、醜いシミだらけの布地を丸ごと洗濯してあげる番よ。
私は軽く背筋を伸ばし、銀の針を一本だけ手の中に隠した。
宿ったパワーが、指先から熱となって溢れ出している。
見てなさい、お義母様。
貴女がガラクタとして放り出したこの娘が、どんなキレのある動きで貴女の牙城を崩していくか、特等席でたっぷり拝ませてあげるんだから。




