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第18話 【更年期じゃないわ】魔力酔いをコルセットで強制矯正


 ガルディア王国の特使を乗せた馬車が正門を抜けて視界から消えた瞬間、私の世界は唐突にぐにゃりと歪んだ。


 視界の端からチカチカとした火花が飛び散り、後頭部を冷たい針で刺されたような鋭い鈍痛が走る。


 膝の力がふっと抜けて、私は崩れ落ちそうになる体を、咄嗟にリフォーム済みの重厚な玄関ドアに預けた。


 「……お、お嬢様! 大丈夫ですか、お顔が真っ白です!」


 異変に気づいたケイナが悲鳴を上げて駆け寄ってくるが、彼女の声さえも深い水底から聞こえるように籠もって響く。

 耳の奥で、前世の服飾バイトで展示会前の衣装調整、通勤サラリーマンとは逆行する徹夜後の帰りの電車の中で何度も聞いた、あの嫌な耳鳴りが鳴り止まない。


 ああ、これは知っている。


 四十路を超えてから無理に体を酷使した時など、私を何度も苦しめた、あの更年期特有の眩暈と動悸にそっくりだわ。


 けれど、今の私は十代のぴちぴちした令嬢の体のはず。


 不意に、足元でショウが低く唸りながら私のスカートを食いしばり必死に魔力を供給しようとしているのが分かった。


 そうか、これが魔力酔いというやつなのね。


 随行団を含めた特使をもてなすために(力量をわからせるために)、離れ全体の術式をフル稼働させ、絨毯の感触から紅茶の温度まで完璧に制御しすぎた。


 母の形見で帯域を広げることは出来たとしても、今の私の貧弱な体力が魔力許容量に対して、アウトプットが過剰すぎて、回路が焼き付く寸前のショートを起こしているのだわ。


 「更年期じゃないわよ、ケイナ。

 ただの、ちょっとした、オーバーワーク……。

 すぐに、お直ししてみせるから……」


 私は荒い呼吸を整えながら、這うようにして工房へと向かった。


 冷や汗が背中を伝うけれど、思考だけは冴え渡っている。

 芸人にとって、体調不良は舞台に穴を開ける最大のタブー。


 そしておばさんにとって若者の特権である「不調を根性で乗り切ろうとする」のは、最も効率の悪い愚策なのよ。

 足りない筋肉、歪んだ骨格、そして暴走する魔力。


 解決するには?


 芸人時代『ワイワイ放送』のイベント配信でやった『強化コルセット』作成ね。


 もちろん、あの時の鉄板とダンボールにガムテープではなく魔導製作、これら全てを物理的に抑え込み、強制的に正解の形へと矯正する『外骨格』が必要だわ。


 工房の机に広げたのは、昨夜ショウから回収しておいた極細の影銀糸。


 これを自身の肌に最も近い場所、つまり下着として機能するコルセットに編み込み、私の神経系と魔力回路を直接バイパスする術式を構築する。


 お洒落のための締め付けなんて、野暮の骨頂。


 私が今から作るのは、内臓を圧迫せず、むしろ魔力の流れを一本の美しい大河へと整えるための、究極の補正器具よ。


 私は震える指先に集中力を凝縮させ、空間から引き出した銀の針を躍らせた。

 一針ごとに、私の乱れた鼓動が糸の振動と同調し始める。


 この歪んだ体という名の衣装、私が責任を持って、最高の着心地にリフォームしてやるんだから。


++++++++


 魔導の力を使い針が空を切るたびに、銀色の火花が工房の闇を切り裂いていく。


 私の指先は、更年期特有の痺れにも似た魔力酔いで感覚を失いかけていたけれど、針を持つ筋肉だけは前世の数万時間に及ぶ修羅場を記憶していた。


 ショウが差し出した影銀糸は、私の意志を吸い込むようにしなやかに踊り、やがて一本の細い帯から複雑な骨格を持つ『鎧』へと姿を変えていく。


 「お嬢様、そんな無理をしてまで……! 横になって休んでくださいな、今すぐお湯を沸かしてきますから!」


 「いいのよケイナ。

 休んで治るのを待つなんて、今の私のように『売れっ子』のスケジュール管理じゃ考えられないことなの。

 不調は寝て治すんじゃなくて、動きながら黙らせるのが一流のやり方よ」


 私は込み上げてくる吐き気を噛み殺しながら、完成したばかりのプロトタイプを自身の肌の上に直接当てた。

 それは、この世界の一般的な貴族の令嬢が身につける、ただ腰を細く見せるためだけの拷問器具ではない。


 私の自律神経に沿うように配置された魔力伝導糸が、暴走していた体内の魔力溜まりを一本の濁流へと統一されて整えていく。

 背中を貫く魔導製の芯材が、重力に負けそうになっていた骨格を黄金比の垂直線へと強制的に引き戻した。


 (前世の私が服飾人の粋を結集して作成したダンボール、鉄板、ガムテープで作られた「コルセット改」とは別次元の着心地だわ)


 その瞬間、視界を覆っていたチカチカとした火花が霧散した。


 肺の奥まで冷たく澄んだ空気が一気に流れ込み、泥のように重かった四肢が、まるで羽が生えたかのように軽く変貌する。


 コルセットの締め付けは、苦しさではなく、むしろ母の腕に抱かれているような圧倒的な安心感として私の神経を包み込んだ。


 「……あら、最高じゃないの。

 まるで新品の舞台衣装に袖を通した時のような、あのシャンとした緊張感が戻ってきたわ」


 私は工房の姿見の前に立ち、そこに映る自分自身の姿を見据えた。

 青白かった頬には血色が戻り、絶望に沈んでいた瞳には、獲物を狙う猛獣のような鋭い光が宿っている。


 何より驚いたのは、その立ち姿だった。


 四十二歳の経験が宿る私の魂が、十代の若々しい体と魔法の補正具を通じて、完全に『調和』したのだわ。


 私は試しに一歩、前へと踏み出してみた。


 無駄な揺れが一切ない。


 重心の移動が、滑らかすぎて地面を滑っているかのような錯覚さえ覚える。

 これなら、不意に足元へバナナの皮を投げつけられたとしても、三回転ひねりを加えて華麗に着地してみせる自信があるわ。


 「見てなさいよアイリス。

 貴女が私に押し付けようとしているその不自由なドレスも、その歪んだ悪意も。

 全部このコルセットで跳ね返して、私のステップに華を添える道具にしてあげるんだから」


 私は鏡の中の自分に向かって、不敵に口角を上げた。

 体調不良という最大の綻びを縫い合わせた今、私の体は一振りの研ぎ澄まされた針へと進化した。


 「芸人、服飾人、そして以前のストレイが1つになった今。

 私は暗転で強制退場も絶対に認めない。

 絶対にオチまで持ち込むから」


 誰にも邪魔させない。


 この人生という名の二度目の舞台、私が主役として、最後の一針まで完璧に踊りきってみせるわ。

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