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第16話 嵐の予感、アイリス(継母)の視線


 離れから立ち昇る銀色の輝きが、夜の帳を強制的に剥ぎ取っていた。


 それはかつての倒れた実母を看病を口実に追い出した場所、フロンティア家のゴミ溜めと蔑まれていた離れの姿ではない。


 魔導から生み出される銀の魔力糸が編み上げる幾何学模様のドレスを纏った、地上で最も傲慢で美しい宝石箱のようだった。


 一方、本館の最上階にある主寝室では、アイリスが震える手で窓のカーテンを握り締めていた。

 眼下に広がるその光景は、彼女が長年かけて築き上げた『子爵夫人の権威』を根底から嘲笑っているように見えた。


 離れから放たれる圧倒的な魔力の余波が、本館の古臭い窓ガラスをカタカタと鳴らし、壁に飾られた安っぽい絵画を歪ませている。


 「何なの……一体、何が起きているというの!

 あの小娘、死に損なった挙句に毒でも煽ったのかしら!」


 アイリスの叫びは、誰にも届かない。


 傍らで眠る夫、フロンティア子爵は、投資詐欺の書類を抱えたまま酔い潰れて高い鼾をかいている。

 彼女はその無能な背中を突き飛ばしたい衝動を抑え、燃えるような憎悪の視線を離れへと向けた。


 「新約だか何だか知らないけれど、あの子にそんな力があるはずがない。あれは私の、私のフロンティア家なのよ……!」


 アイリスは知らなかった。

 今、彼女が見上げている光り輝く離れの中に、かつて自分が『無能な出来損ない』と切り捨てた娘などもう存在しないことを。


 そこにいるのは、バナナの皮に滑って死ぬその瞬間まで『次の舞台』のことだけを考えていた、不屈の芸人・開拓民子をベースに1つになった娘なのだ。


 翌朝。

 離れのダイニングでは、昨夜の狂乱が嘘のような静かな時間が流れていた。


 私が自動で開いている魔導からの空間ステッチで自動化したティーセットが、まるで訓練された一流の執事のように無駄のない動きでカップを温めている。


 「お、お嬢様……お早うございます。あの、昨夜の光は……」


 寝ぼけ眼のケイナが階段を下りてきて、ダイニングの光景に絶句した。

 昨日まで煤けていた木の椅子は、極上のベルベットを貼り直した王侯貴族仕様に変貌し、床には埃一つ寄せ付けない静電気制御の魔法布が敷き詰められている。


 ケイナは自分の足が床を汚すことを恐れ、生まれたての小鹿のようにその場に固まっていた。


 「おはよう、ケイナ。

 そんなところで突っ立ってないで座りなさい。

 朝食のクロワッサンなら、今ちょうどショウちゃんがトースト機能の微調整をしてくれたところよ」


 私の足元で、丸まっていた銀狐のショウが『ふん』と鼻を鳴らす。

 聖獣の魔力を熱量に変換して、パンの表面を絶妙なキャラメル色に焼き上げる。

 前世の漫才コンビ『ぐーちょきぱー』の元相方、ディーノよりよっぽど愛想が良くて役に立つ仕事ぶりだわ。


 「さあ、しっかり食べておきなさい。

 今日は本館から、あのお義母様が血相を変えて乗り込んでくるはずだから。

 舞台の幕が上がる前に、座長とスタッフがシャリバテしてちゃ話にならないわ」


 私は、リフォームして完璧な保温機能を備えたティーカップを口に運んだ。

 昨夜の魔力柱は、あえて隠さなかった。

 ヤクザの厳ついパンチーパーマみたいなものよ。

 それがもたらす影響が目的なのだから。


 それに隠れてコソコソ直すのは、素人の日曜大工。

 プロの『お直し』は、劇的な変化を見せつけてこそ価値が生まれるのよ。


 案の定、離れの玄関が激しく叩かれたのは、二杯目のお茶を飲み終える頃だった。

 鍵をかけていない扉が、乱暴に押し開けられる。


 「ストレイ! 返事をしなさい、ストレイ!」


 金切り声を上げて飛び込んできたのは、アイリスだった。

 事態が飲み込めず理解できないために取り巻きの侍女さえ連れず、寝起きのままのような乱れた夜会服を翻して突進してくる。


 彼女の目は、恐怖と強欲が混ざり合った異様な光を放っていた。


 そして、アイリスは部屋に足を踏み入れた瞬間に、再び絶句することになる。


 「……何よ、この部屋は。この家具は、どこから持ってきたの……!」


 彼女の視線の先には、本館の主寝室にあるものよりも遥かに高価に見える、魔法糸で編み上げられたシャンデリアが眩い光を放っていた。


 アイリスの顔が、嫉妬で赤黒く染まっていく。


 私は立ち上がりもせず、優雅にカップを置いて、前世で数千回のスベりを乗り越えてきた『鋼のメンタル』による営業用スマイルを浮かべた。


 「おはようございます、お義母様。

 朝から随分と威勢が良いのね。

 まるでお直しが必要な、綻びだらけの声だわ」


++++++++


 アイリスの顔が、見たこともない色に染まっていくのを私は冷静に眺めていた。

 恐怖、困惑、そして何よりも自分自身の立場が危うくなったことへの焦燥が、厚塗りの化粧の裏側から透けて見える。


 (思った通りの効果ね)


 漫才での強烈な『ふり』が綺麗な『ツッコミ』で完成間近な『オチ』待ち、そんな予感に思わず口が緩みそうになる。


 彼女は部屋の隅々まで視線を走らせ、昨夜までそこにあったはずの『粗末なゴミ溜め』の面影が、文字通り一針の妥協もなく消し去られている事実に戦慄していた。


 「何を……何をしたの、あなたは!

 この家具も、そのお茶も、どこから盗み出したっていうの!」


(お義母様、観客の共感を呼ぶ、なかなか綺麗なツッコミですわよ。)


 「盗むだなんて人聞きが悪いわ、お義母様。

 これはただのお直しよ。

 昨夜、あまりに魔力の通りが悪くて寝付けなかったから空間の綻びを少しばかり縫い合わせて整えただけ。

 表現者たるもの、最高の舞台装置の中で眠るのは基本中の基本ですから」


 私が開いている魔導から指先を軽く鳴らすと、空中に浮遊していた空間ステッチが、アイリスの目の前で銀色の光を弾けさせた。


 彼女は悲鳴を上げて後退りし、豪華な刺繍が施されたばかりのソファへ崩れるように尻餅をつく。


(お義母様、舞台映えするナイス・リアクションですわ!)


 「ひ、ひぃ……!

 化け物! あなた、ストレイじゃないわね!

 あの出来損ないがこんな芸当、できるはずがないもの!」


 「失礼ね。出来損ないだったのは、この屋敷の魔力回路の方よ。

 お義母様が必死に飾り立てていた本館の調度品だって、私の目から見れば綻びだらけのボロ雑巾と変わらないわ。」


 「な、なんなの……!

 わけのわからない事!」


 私の言葉に、アイリスは総毛立ったように肩を震わせた。


 「そんなにこの離れの変化が恐ろしいなら、いっそ本館の方も私がお直ししてあげましょうか?

 全ての虚飾を剥ぎ取って、その下にある空っぽな真実を縫い直してあげるのも、家族の情というものよね」


 彼女にとって、本館は自分の権威を象徴する城そのものだ。

 それを『ボロ雑巾』呼ばわりされ、さらに『直してやる』と宣告されることは、死刑判決にも等しい屈辱だったに違いない。


 アイリスは這い上がるようにして立ち上がると、震える指を私に突きつけた。


 「いい気にならないで!

 あなたがどれだけ不気味な術を使おうと、この家の主人は私の夫、子爵なのよ!

 あなたのような忌まわしい娘、すぐにでも隣国へ……!」


 「あら、その契約、本気で通ると思っているのかしら」


 私はティーカップをソーサーに戻し、カチリと硬質な音を立てた。


 アイリスの顔から、一瞬で血の気が引く。


 彼女の脳裏には、先代当主であるダメンズウォーカーだった私の実母が残した『新約』の存在が過ったはずだ。


 昨夜、私が離れから放ったあの銀色の光柱は、王都の魔導騎士団や高位貴族たちの目にも届いている。

 もはやストレイ・フロンティアを、彼女の思惑通り一介の無能な令嬢として闇に葬ることなど不可能なのだ。


 「お義母様、お帰りはこちらよ。

 次にこの部屋に入る時は、せめて寝衣でいいのかしら?

 その綻びだらけのドレスをどうにかしてからにして。

 私の審美眼に触れる場所に、そんな野暮ったい衣装は置いておきたくないの」


 私が再び指を弾くと、入り口の扉が生き物のように音を立てて開き、アイリスを拒絶するように外へと促した。


 アイリスは、ありったけの呪詛の言葉を吐き捨てながら、逃げるようにして離れを飛び出していった。


 それが『喜劇』に登場する『ベタ』な三下が『ハケ』ていく場面とそっくりで、またもや口元が緩むのを抑えきれない。


 (なかなか、この異世界はやり手だわ!)


 嵐が去った後のような静寂が戻る中、私はケイナの方を向いた。


 彼女は憧れと畏怖が混ざり合ったような目で、私を見つめている。


 「さて、ケイナ。敵の戦力分析はこれで終わりよ。

 明日からはもっと面白いことが起きるわ」


 私は自分の体を包む魔法糸の感触を確かめ薄く微笑んだ。


 アイリスの執念は、これからさらに醜く歪んでいくだろう。

 けれど、それこそが私の新しい人生を飾る最高の『前振り』になる。


 この汚れた世界を、私が洗濯して綺麗に縫い直して、誰にも真似できない『新』を超えた極上の『超喜劇』に仕立て上げてやるのだから。


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