第13話 【にわかでごめん】高位魔法をクリームパン化
本館の三階、継母アイリスの寝室へと続く隠し通路の前に着くと、そこには素人目にも分かるほど過剰な魔力の壁が展開されていた。
フロンティア家お抱えの魔導師たちが心血を注いで編み上げたという『絶対不可侵の結界』。
幾重にも重ねられた魔法式は、確かに鋼鉄よりも硬く、触れる者を一瞬で焼き尽くす殺意に満ちている。
けれど、影銀糸のコルセットで魔力感度を最大まで引き上げた私の目からすれば、これはただの『分厚すぎる野暮ったい生地』に過ぎないわ。
(あーあ、センスがないわね。強度を出すことばかり考えて、素材の柔軟性を完全に殺しちゃってるじゃない)
私は魔導を展開して概念から視覚を開きなすべき形へと構造を整えていく、魔糸を練り上げると銀の針を一本抜き出し、その結界の『縫い目』にそっと触れた。
普通の魔法使いなら、この強固な魔力構造を解体するために何時間も儀式を繰り返すんでしょうけれど、私にそんな面倒な時間は必要ない。
私の魔法は、既存のルールに応じない。
なぜなら概念から構築するから既存のルールに縛られることが無い。
イメージするのは、カチカチに凍りついた不味そうなパン生地を、たっぷりの水分と熱でふっくらとしたクリームパンへと焼き直す作業。
「いい、ショウちゃん。
魔法っていうのはね、理屈で対抗しちゃダメなのよ。
相手のテクスチャを、こっちが扱いやすい質感へと強引に書き換えてあげればいいの」
『貴様……また訳の分からんことを。
それは高位の防御陣だぞ。
それを書き換えるなど、神の御業に等しい……待て、なんだその甘い香りは』
私が針先から『柔軟』と『糖化』のテクスチャを流し込むと、漆黒の壁だった結界が、みるみるうちに黄金色へと色付き始めた。
パチパチと弾けていた火花の音が、まるでパンが焼き上がる時のような心地よい音に変わっていく。
殺気立っていた魔力の奔流は、私の指先が触れるたびに、指が沈み込むほど柔らかく、そして美味しそうな『クリームパン』の質感へと変貌を遂げていった。
「にわかでごめんね。
でも、私にとっての魔法は、こういう生活に密着したイメージの方が使い勝手がいいのよ」
私はふっくらと膨らんだ結界の表面を、指先でぷにりと押してみた。
かつて『ワイワイ放送』で、期限切れのパンをどうにかして美味しく再生しようと奮闘した恒例『イベント放送』のあの夜。
イツメンたちが「民子、もう諦めて寝ろよw」と草を生やしていたけれど、あの時の執念が、今、最高位の防御魔法を物理的に無力化している。
私は黄金色に輝く結界の『パン生地』を、素手でふわりと引き裂いた。
抵抗感は全くない。
ただ、焼きたてのパンを割るような幸福な感触と共に、アイリスの秘密の保管庫への道が拓かれた。
「さあ、ショウちゃん。お邪魔しましょうか。
お義母様が隠し持っている『汚れた帳簿』、しっかりとお直ししてあげないとね」
私は優雅に一歩を踏み出した。
背後の結界は、もう殺傷能力なんて微塵も残っていない。
ただ、部屋中に美味しそうな香りを漂わせる、巨大なオブジェに成り果てているわ。
にわか令嬢のピクニック、まずはメインディッシュの一つを完食といったところかしら。
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ふんわりと割けた黄金色の結界を通り抜け、私はアイリスの私室の奥に隠された秘密の保管庫へと足を踏み入れた。
そこは勝手知ったる、元我が家。
前回の本宅調査で、場所に狂いはない。
母の時代からある保管庫には贅沢の限りを尽くした宝石や調度品が所狭しと並んでいたけれど、私の目的はそんなキラキラした石ころじゃない。
棚の最奥、厳重に鍵がかけられた黒革の帳簿。それこそがフロンティア家を内側から腐らせている『汚れの震源地』だわ。
「見つけた。
ショウちゃん、その影を鍵穴に潜り込ませて。
中の構造を私に教えてくれる?」
『……容易い御用だ。
だが貴様、先程の結界をパンに変えたあの術、あれは一体どういう理屈だ。
吾輩の知る魔法体系のどこにも存在せんぞ』
「理屈なんて後回しよ。
ショウちゃんとは、魔法の構築ほうが違うかもしれないけど。
要はイメージの問題。
硬くて拒絶するようなものは、柔らかくして美味しく頂くのが私の流儀なの。」
『なるほどのう。
貴様、転生者だな?
そう考えると、全てがつながるのう』
(やはり、上位者にはわかっちゃうか。)
「えぇ、そうよ。
さあ、開けるわよ」
『うむ。 それだけなのか。
あっさりじゃのう。
まぁだからといって吾輩も何も無いのじゃが……。』
(だって、本当にどうでもいいんだもの。 他に転生者や転移者いるかも知れないけど、それがどうしたの?ってかんじだもの。)
ショウちゃんの影が鍵穴をなぞり、内部の構造を私の指先に伝えてくる。
私は銀の針を一本差し込み、魔導を展開して概念から視覚につなげて覗き見て複雑な鍵の機構を一瞬で『お直し』した。
カチリと音を立てて開いた帳簿の中身は、予想以上に真っ黒だったわ。
実母の遺産を横流しし、本館の維持費を水増ししては私への養育費から食事代までを削り取る。
緻密に、けれど強欲な筆致で書き込まれた不正の羅列。
(……この汚れた帳簿、私が綺麗に洗濯して真実を縫い直してあげる)
私が帳簿を手に取ったその時、背後の闇が僅かに揺れた。
気配を殺した三人の影。
アイリスが自身の秘密を守るために飼っている、隠密部隊の刺客たちね。
彼らの放つ殺気は鋭いナイフのように空気を切り裂くけれど、影銀糸のコルセットを纏った今の私には、彼らの動きはスローモーションのように鈍く見える。
『侵入者か。奥様の秘密に触れた以上、ここで消えてもらうぞ』
「消えるのはあなたたちのその物騒な武器の方よ。
ショウちゃん、影の糸の出力を上げて。
実戦テストの時間よ!」
刺客が放った漆黒の短剣が私の喉元に迫る。
けれど私は一歩も動かず、魔導を展開し視覚から世界読み取り自分がなしたい構造を作るべく指先から放った影銀糸で、その刃を空中で絡め取った。
ただ防ぐだけじゃない。
糸を通じて相手の武器のテクスチャに直接干渉し、その鉄の純度を脆いガラスへと書き換えていく。
パリン、という乾いた音と共に刺客の武器が砕け散った。
彼らが驚愕に目を見開く間に、コルセットの補助力を使い私は舞うように回転し、影の糸を蜘蛛の巣のように部屋中に張り巡らせた。
魔導が紡ぐ影銀糸のコルセットが、私の魔力を爆発的に増幅し、刺客たちの自由を一瞬で奪い去る。
彼らの強靭な肉体は、私の編み上げた因果の網の中で身動き一つ取れない操り人形に成り果てていたわ。
「あら、そんなに力まないで。
この糸はね、無理に動こうとすればするほど、あなたたちの魔力を吸い取ってきつく締まるように仕立ててあるんだから」
かつて『ワイワイ放送』で、酔っ払ったディーノを落ち着かせるために紐でぐるぐる巻きにしたことがあったけれど。
あの時の経験に本物の魔獣の影を足せば、これほどまでに完璧な護衛者たちの拘束術になるなんて。
イツメンたちが見ていたら、きっと「民子、お前の緊縛技術はもうプロ級だなw」と草を生やして絶賛してくれたでしょうね。
「さあ、ショウちゃん。この動けないお客様たちと一緒に、お義母様の寝室へご挨拶に伺いましょうか。
夜のピクニック、ここからは華やかなパレードの始まりよ」
この程度の刺客とは、殺すまでもなくじゅうぶんに対応できることがしれたしね。
私は不敵に笑い、不正の証拠を小脇に抱えて、驚愕に顔を歪める刺客たちを引きずりながら歩き出した。
にわか令嬢の逆襲は、ついにこの家の支配者へとその牙を剥く。




