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第10話 因果律の洗濯~猫を洗えば奇跡が起きる

 離れに戻るなり、私はケイナに命じて大きな木桶にお湯を張らせた。


 そこへ、秘密のレシピで調合した『特製魔導洗剤』を投入する。

 と言っても、中身は離れの台所に残っていた僅かな重曹に、私の魔力糸を細かく裁断して『界面活性能力』を付与したものだわ。


 にわか魔法使いの私にとって、魔法とは高度な儀式ではなく、魔導によって概念から視覚で、いかに効率よく汚れを落とし、テクスチャを整えるかという構造を構築する生活の延長線上の技術なの。


 『ま、待て!

 貴様、何をするつもりだ!

 吾輩は誇り高き深淵の守護者、不浄な水など……ぎにゃぁぁぁ!』


 ショウちゃんと名付けた異界の神に連なる系の『黒猫』が、情けない声を上げて桶の中へとダイブさせられる。

 猫は水が苦手なんていうけれど、この子の場合は単なる水嫌いじゃない。

 その毛皮にこびりついた呪いの染みが、私の浄化魔力に触れて激しく拒絶反応を起こしているのだわ。


 私は容赦なく、銀の針を指先に挟んだまま、泡立ったお湯の中でショウちゃんの身体を優しく、かつ力強く揉み洗いし始めた。


 「いい、ショウちゃん。我慢しなさい。

 あなたのその毛並み、バイアスが歪みきってガタガタなのよ。

 このままじゃ一生、ゴミ捨て場の野良猫として終わるわよ」


 『貴様……吾輩の話を聞けと言って……ふ、ふふぅん……なんだ、この感覚は。

 魔力が、毛穴の奥まで洗われていく……』


 暴れていたショウちゃんの身体から、次第に力が抜けていく。

 私の指先は、今や熟練のクリーニング職人のそれだわ。


 繊維の奥に潜り込んだ頑固な呪いの成分を、魔導から作り出される魔力糸で一本ずつ絡め取り、因果の汚れとして水の中へ溶かし出していく。


 かつて『ワイワイ放送』で、泥酔したディーノが吐瀉物で汚した一張羅のスーツを、翌朝の収録までに完璧に仕上げたあの時の手捌き。

 イツメンたちが「民子、お前は洗濯の女神か」と草を生やして崇めてくれたあの神業が、今、異世界の神を洗っている。


 「ケイナ、追い焚きの魔力注入をお願い。

 温度を一定に保って、汚れの再付着を防ぐわよ」


 「は、はい、お嬢様! 火魔法の加減、頑張ります!」


 ケイナが真剣な表情で桶に手をかざす。


 彼女もまた、私のような魔導の概念から書き換える事は出来ないけど、私の魔法指導の下で着実に『魔法の助手』としての才能を開花させつつあった。

 桶の中の水は、吸い出された呪いによってどす黒く濁っていくけれど、それと引き換えにショウちゃんの放つ威圧感は、より純粋で、より研ぎ澄まされたものへと研磨されていく。


 私がやっているのは、単なる洗浄じゃない。


 この猫が本来持っているはずの、上位存在として、この世界の理に干渉するほどの強大なテクスチャを、元の正しい織り目へと戻してあげる『原状回復』なの。


 剥き出しになった魂の繊維が、私の魔力と共鳴して、離れの中に心地よいハミングのような振動を響かせ始める。


 「さて、仕上げのリンスよ。

 これであなたの毛並みを、ダイヤモンドよりも硬く、絹よりも柔らかく縫い直してあげるわ」


 私は裁縫箱から、最高級の魔導糸を一本取り出した。


 これこそが、この洗濯の真の目的。


 汚れを落とした後の無垢な毛皮に、私独自の『魔法のコーティング』を施すための最終工程だわ。


++++++++


 仕上げのリンスとして私が用意したのは、魔導による概念の再構築で作り出された空気中の魔力を極限まで細く引き延ばし、柔軟剤の成分として再構成した特製の魔力コーティングだわ。


 桶の中で骨抜きになったショウちゃんの身体に、私は銀の針を滑らせて、毛先の一本一本にまで『防護』と『艶出し』のテクスチャを上書きしていった。


 呪いのシミが抜けたまっさらなキャンバスに、私というプロデューサーが最高の輝きを塗り込んでいく。


 「さあ、ショウちゃん。仕上げよ。全盛期の自分をイメージしなさい。

 今のあなたは、どんな安物のドレスよりも気高く、どんな頑丈な鎧よりも硬い『生地』なのよ」


 私が最後に一針、魔導を全力で解放し最大の帯域を一気に収縮し彼の眉間に魔力の結び目を作った瞬間、離れの中に静かな衝撃波が走った。

 木桶の中の汚水が一瞬で蒸発し、そこには濡れそぼった哀れな野良猫の姿などどこにもなかった。


 湯気の中から現れたのは、夜の闇をそのまま凝縮して毛皮にしたような、圧倒的な存在感を放つ漆黒の魔獣だわ。


 その大きさは以前と変わらない猫のサイズだけれど、放たれる魔力の密度が、この世界に存在する生き物とは、まるっきり違う。

 金色の瞳には理性の光が宿り、四肢の先からは影を鋭い刃へと変える魔力の爪が、美しく整えられたテクスチャとして溢れ出している。


 これこそがこの子の本来の姿、あるいは私のリフォームによって進化を遂げた、神の化身、究極の『魔導生物』の完成形ね。


 『……信じられん。

 吾輩を蝕んでいたあの忌まわしき呪詛が、跡形もなく消えている。

 それどころか、力の循環が以前よりも滑らかだ。

 貴様、一体何者だ』


 「何者って、ただの売れない……いえ、通りすがりの仕立て屋よ。

 恩返しなら、後でたっぷりとしてもらうから覚悟しなさいね」


 私はショウちゃんのふかふかになった首周りを容赦なく撫で回した。

 かつて『ワイワイ放送』で、不機嫌な看板猫を懐かせて神回と呼ばれた時のテクニックを駆使すれば、伝説の魔獣だってただの可愛いペット同然だわ。

 イツメンたちが「民子、猛獣使いの才能まであるのか」と草を生やしていたけれど、本当におばさんのバイタリティを舐めないでほしいわね。


 ケイナも、その劇的な変化に腰を抜かしつつも、ショウちゃんの神々しさに思わず手を合わせている。


 「お、お嬢様……。

 この方は、伝説に聞く『影縫いの黒獅子』では……。

 そんな方を、洗濯機にかけるみたいに洗ってしまうなんて」


(あぁ、『影縫いの黒獅子』って本来はコチラの生き物ではなく別の世界からやってきてたんだ。)


 「いいのよケイナ。

 どれだけ偉大な神様だろうと、汚れていたら洗濯するのが当たり前でしょ。

 この汚れた世界を綺麗に縫い直して、みんなが心地よく過ごせる楽屋にするのが私の仕事なんだから」


 私は満足げに腰に手を当て、リフォームされた離れと、新しく仲間になったショウちゃんを見渡した。


 本館のアイリスは、今頃私がコントで出てくる体に悪いスープを飲んで『毒』に苦しんでのたうち回っていると信じて疑わないでしょうね。


 本当にこの世界って、私が思う世界なのかしら?

 

 なんか分かりやすい悪がいて、あのいかにも体に悪いスープを私が飲むことを全く疑うことのない結論ありきの行動も。


 でも、私のステージはもう準備万端よ。


 だれが描いたシナリオなのか、それとも全てが偶然の連続なのか、それはわからないし、どっちでも良いわ。

 ステージがあってベタな進行があるなら、私もベタな『ざまぁ』で対抗よ。


 次は、このショウちゃんから提供してもらう『最高級の素材』を使って、私自身の力をさらにブーストさせる究極の装備を仕立てる番だわ。


 「さあ、ショウちゃん。あなたの毛並みの良さを維持するためにも、しっかり働いてもらうわよ。

 まずはその影を使って、私に最高の『糸』を差し出しなさい」


 『……やれやれ、とんでもない女に拾われたものだ。

 だが、吾輩をここまで完璧に整えた腕前、認めざるを得ないな』


 ショウちゃんは誇らしげに喉を鳴らし、足元の影を糸のように細く紡ぎ始めた。


 夜の帳を切り裂く、反撃の針仕事がいよいよ加速していくわ。



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