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王太子に婚約破棄されてストレス太りした聖女がダイエットしたら母国がなくなった話

作者: かにくくり


 その日ここオルロープ神聖王国の聖女である私ロザーリエが日課である女神様への祈りを終えて礼拝堂の外に出ると王太子ヘンドリックが妖艶な女性を侍らせて待ち構えていた。

 ヘンドリックの隣にいる女性はヴァレンシュタイン伯爵家の令嬢ジークリンデ。

 何かと男癖が悪いことで有名な女性だ。

 ヘンドリックは私を見つけるや否や吐き捨てるように言った。


「ロザーリエ、悪いが貴様との婚約を破棄させてもらう。いい加減貴様のような可愛げのない女には愛想が尽きた」


 それはあまりにも一方的な通告だったが私は取り乱すこともなく落ち着いて返事をする。


「……承知しましたヘンドリック様」


 ヘンドリックが私という婚約者がいながらジークリンデと浮気をしているという噂話は私の耳にも入っていた。

 それを咎めるでもなく放置していればいずれこうなることは分かっていた。

 でも仕方がないじゃない。聖女という職業は何かと忙しいのだ。

 毎日朝昼晩と三度女神様へ祈りを捧げることで得られる加護の力を今度は民衆の為に役立てなければならない。

 病や怪我で苦しむ人々を救済したり国中に結界を張って魔物の侵入を防いだりとその仕事は多岐にわたる。

 ヘンドリックとデートをする時間さえ満足に取れない日々が続く中で徐々に彼の心が私から離れていくのを肌で感じていた。

 ジークリンデのような庇護欲を掻き立てられそうな甘え上手の女性が目の前に現れれば彼の性格ならばすぐにでも気移りしてしまうことは予想通りとしか言わざるを得ない。


「ふん、分かったらもう二度と私の前に顔を見せるなよ平民崩れの卑しい女め。さあ行こうジークリンデ」

「ねえヘンドリック様。私エメラルドのネックレスが欲しいですわ」

「エメラルドといえばアルムガルトの名産だったな。任せておけあの国の人間は我々には逆らえんからな。最高級の物をプレゼントしてやろう」

「さすがですわヘンドリック様」


 ヘンドリックはジークリンデといちゃつきながら去っていく。

 私はその背中を呆然と眺めていた。

 オルロープ神聖王国は女神の加護によって繁栄してきた歴史がある国である。

 女神に祈りを捧げることで数々の奇跡を起こすことができる聖女は国中の女性たちの憧れの職業だ。

 当然聖女になれるのは容易なことではなく一世代にひとり厳正な審査をパスしたうら若き乙女だけがその椅子に座ることが許されるのだ。

 数年の任期を経て聖女の座を退いた後も国民からは崇拝の対象とされ、時の権力者がその権威にあやかる目的で妻に娶ることも珍しくない。

 教会でシスターをしていた私は幸か不幸か聖女の資質があったようだ。

 聖女となり毎日の務めを果たす中、その権威を王室に取り込もうと考えた国王陛下の口添えもあって私はヘンドリックの婚約者と定められたのである。

 元々私が好きで殿下の婚約者になった訳ではないので婚約破棄自体はどうでもいいのだが彼のあの言い草は腹立たしい。


「ロザーリエ様……」


 侍女のマリアが心配そうに私を見つめている。

 極力平静を装っているつもりだったが感情が顔に出ていたようだ。

 私は気を取り直してマリアに微笑みかけた。


「いいのよマリア私は気にしてないから。そうだ今度おいしいものでも食べに行きましょう」

「はいお供させていただきます」


 その日から仕事終わりに町のレストランに繰り出す日々が始まった。

 先代の聖女たちもこっそりと利用していたという個室付きのレストランで大いに飲み食いをしてストレスを発散する。

 そんなことが続いたある日ついに私の体に異常が発生した。

 朝聖女の衣装に着替えようとした時だ。


「あれ? おかしいわ」

「どうなさいましたロザーリエ様」

「ねえマリア、この衣装本当に私のだっけ?」

「そうですよロザーリエ様。いつも身に着けているじゃないですか」

「そう……」


 おかしい。何度やっても腰のボタンが閉まらない。

 私の額から冷や汗が滝のように流れ出てくる。

 原因は間違いなくここ数日の暴飲暴食の報いだ。

 しかしそれでも務めを放棄する訳にはいかない。


「フンヌッ!」


 腹部に力を入れ無理やり凹ませて何とか衣装を身に着けることに成功した。

 若干生地が伸びてしまった気がするが見なかったことにしよう。

 しかし今日一日はこれでやり過ごせるとしてもこんな無茶は何日も続かない。

 私は日頃の不摂生を悔い改め本格的なダイエットをすることを女神様に誓った。

 さしあたって徹底した食事制限と適度な運動を頑張ろうと思う。

 具体的には日々の食事の量を半分にすることと仕事が終わりに礼拝堂から自宅までをジョギングして帰ることだ。

 カロリーの摂取量と消費量を計算すればこれを数日続ければあっという間に元のボディに戻れるはずだ。

 善は急げ、早速今日からスタートだ。

 お務めが終わると早速ジャージに着替えて脇目も振らず一直線に自宅へ走る。

 しかし計画することは簡単だが日頃運動をしていない人間にとってジョギングは想像以上に辛いものがあった。

 帰宅途中何度も挫けそうになったがマリアも付き合ってくれるというので何とかやり遂げることができた。

 彼女には感謝の言葉もない。

 そして数日が経ち漸く元の体形に戻りかけてきた頃自宅の前に見知らぬ立派な馬車が停まっているのが見えた。

 馬車の周りには従者と思われる男女が数人控えている。

 どこぞの貴族の方だろうかと怪訝に思いながら眺めているとひとりの青年が馬車を降りてきた。

 肩まで届くサラサラした亜麻色の髪をしたその青年の顔には痛々しい程の大きな刀傷があった。

 その姿を見て彼は軍人だろうと勝手に想像する。


「こんばんは。あなたが聖女ロザーリエ嬢でしょうか」


 今日も礼拝堂からここまで走って帰ってきたばかりでまだ呼吸が整っていないので肩で息をしながら答える。


「はぁはぁ……そうですけど。どちら様でしょう?」

「失礼。私はアルムガルトから聖女について学ぶ為にやってきましたユリアスと申します。以後お見知りおきを」

「アルムガルト?」


 その名前どこかで聞いたことがあった気がする。

 思い出せずに小首を傾げているとマリアがそっと耳打ちする。


「すぐ北にある国の名前ですよロザーリエ様」

「ああそういえば……」

「最近は余所の国でも我が国特有の聖女という制度が注目されているそうですからね」

「なるほどそういうことですか。……コホン。遠路遥々ようこそいらっしゃいましたユリアス様。大したおもてなしはできませんがどうぞごゆっくりなさって下さい」


 今更ながら姿勢を正して他国からの客人に対して礼を取るとユリアスは心配そうな顔でこちらを見ている。


「色々お話を聞けたらと思いましたが、見たところずいぶんとお疲れのようですね。日を改めさせていただきます」

「いえお気になさらず。立ち話も何ですのでどうぞ中へ」

「しかし」

「いいから」


 折角遠方から訪ねてきたのにこのまま追い返すのも悪いと思い半ば強引にユリアスたちを客間に通すことにした。

 まずは簡単な挨拶をした後で確認してみるとまだ夕食を食べていないとのことだったので話をする間にマリアに彼らの夕食分も作ってもらうようお願いする。

 聖女については国家の機密的な部分もあるので話せる範囲で説明しているとユリアスは真剣な眼差しで耳を傾けながらところどころでメモを取っている。

 ずいぶんとまじめな性格のようだ。

 それにしてもさっきから彼の顔の傷がどうしても気になる。

 いや逆にこれは癒しの力を実演する丁度いい機会だ。

 私は適当なところで話を切り上げてひとつの提案をする。


「ユリアス様、差し出がましいとは思いますが宜しければそのお顔の傷を治して差し上げましょうか」

「えっ? そんなことができるのですか?」

「当然です。聖女ですから」

「是非ともお願いしたい。実は不覚にも先の戦で負傷してしまい両親を悲しませてしまっていたのです」


 負傷は軍人の誉れとはいえ人の親ならば自分のことのように悲しむものだ。

 私は自分のことよりも両親を悲しませてしまったことを悔やむ彼の為にも何としても顔の傷を治してあげようと思った。

 本人の承諾を得た私は彼の顔に右腕をかざして聖女の力を放出する。

 するとみるみるうちに彼の顔面に深々と刻まれていた傷跡が消え去っていく。


「おお!」


 既にそこに傷があったことなど誰にも分からないだろう。

 ユリアスは鏡を見ながら感嘆の声と共に綺麗になったその顔を指で撫でている。


「これはすごい。まるで夢のようだ。貴女にはなんとお礼を言えばいいのか……」

「どういたしまして」

「しかしお話を聞く限りでは聖女とはずいぶんと大変な職業のようですね」

「いえそれ程でも。もう慣れましたので」


「お待たせしました」


 話が一段落したところでマリアが出来上がった料理を持ってきた。

 途端に食欲をそそるいい香りが部屋の中に広がる。


「お口に合うか分かりませんが」


 マリアが一皿ずつ彼らの前に料理を並べていくとユリアスたちはその美味しそうな出来栄えに視線が釘付けになっている。

 しかし最後に持ってきた皿が私の目の前に置かれると彼らの表情が変わった。


「あれ? どうされました?」

「ロザーリエ嬢、これがあなたのお食事なのですか」

「そうですけど」

「たったこれだけなのですか?」

「そうですよ。ささ、冷めない内に召し上がって下さい。マリアの料理は絶品ですから」

「……」


 私の料理の量が皆より少ないのはまだダイエットの途中だからだ。

 しかしそんなこと恥ずかしくて言える訳ないじゃない。

 適当に話を逸らすとユリアスたちは顔を見合わせながらしばし無言で皿を見つめていた。

 しかし出された料理に手を付けないのは大変失礼である。

 まずユリアスが率先して一口食べるとそれに続く様に従者たちも次々と料理を口にしていく


「なるほど確かにおいしい」

「我が国の厨房に欲しいぐらいですねユリアス様」

「そうだな」


 マリアの料理を称賛する言葉とは裏腹にどこか暗い雰囲気を漂わせたまま食事は終わった。

 楽しい晩餐に水を差してしまったようで少し悪いことをしてしまったかもしれない。


「本日は色々とありがとうございました。このお礼はいずれ必ずさせていただきます」

「どうかお気になさらず。ユリアス様もお気をつけてお帰り下さい」


 食事が終わるとユリアスたちは感謝の言葉を繰り返しながら都へ向かっていった。

 今日は都の宿で泊まって翌日帰国するらしい。


 そして再び私たちにはいつも通りの毎日がやってくる。


 と思っていた。


 隣国アルムガルトがオルロープ神聖王国に宣戦布告をしたのはそれから間もなくのことだった。

 誰もが予想しなかった突然の事態に王国軍は浮足立ち大した抵抗もできないまま国王陛下は降伏を決断。

 結果として無血開城に近い形で王城にはアルムガルトの国旗がはためくこととなった。

 国中が混乱する中アルムガルト王家の紋章が描かれた馬車が多くの騎士を連れて私の自宅へとやってきた。


「お久しぶりですロザーリエ嬢」

「貴方は……何しに来たんですか?」


 馬車から降りてきたのは先日私を訪ねてきたユリアスだ。

 まさか彼が王族だったとは驚きだ。

 しかしそんなことより恩を仇で返されたことの方が問題だ。

 私の母国を侵略しておいて今更何の用だ。

 腐ってもオルロープ神聖王国の聖女、私たちに何かするつもりなら女神の名の下に天罰を与えてやる。

 戦う術を持たないマリアを後ろに下がらせて身構えているとユリアスは突然私の前で片膝をついて言った。


「敵意はありませんのでどうかご安心を。実はあなた方をアルムガルトの王宮に迎えに来たのです」

「私たちを王宮に? 一体どういうことですか?」

「先日お伺いした通り我々は以前よりこの国の聖女のあり方について色々と調べていました。聖女ひとりに過酷な労働を押し付けているオルロープ王家のやり方は間違っている。もっと基本的な人権を尊重されるべきだと私は考えます」

「そんなに過酷でしょうか?」

「過酷ですとも。国民の為とはいえ毎日息が切れるまで働かされ食事も満足に食べさせてもらえない。これが人間の暮らしと言えるでしょうか。あの日の貴女の姿を見てから私はずっと心を痛めていました」

「うん?」


 ここにきてユリアスが大変な勘違いをしていることに気が付いた。

 確かに聖女の務めは毎日が忙しいけど彼が訪ねてきたあの日私が息を切らせていたのはジョギングをしていたからだ。

 食事が皆より少なかったのもダイエットしていたからに過ぎない。

 そろそろ元の体形に戻ったので今まで通りの食生活に戻そうかと考えていたところだ。

 マリアと顔を見合わせる中でそんな事情も知らないだろうにユリアスは真剣な表情で話を続ける。


「勿論強制はしませんが私個人としては是非とも貴女を王宮にお連れしたい」

「そのお誘いは嬉しいんですがまさか私なんかの為に戦争を仕掛けたんじゃないでしょうね?」


 ユリアスはふふっと微笑みながら言う。


「それも理由のひとつではありますが以前からオルロープ王家は聖女の持つ力を背景に我が国に無理難題を強要することがありましたので我々もいい加減我慢ならなかったのです」

「そうだったんですか」


 確かにこの国のお偉いさんたちは聖女の権威を利用するきらいがあるが他国に対してもでかい顔をしているとは思いもよらなかった。

 聖女には軍事に関わる力なんてないのハッタリもいいところだ。

 もうオルロープの王族たちには愛想が尽きた。


「お話は分かりました。ただ気になるのは民衆のことです」

「そのことでしたら心配には及びません。アルムガルト王家の名に懸けてオルロープの国民には今まで通りの生活を保証します」

「分かりました。それでしたらユリウス様のお言葉に甘えさせていただきます」

「おお! そうと決まればどうぞ馬車にお乗り下さい」


 こうしてアルムガルトの王宮に招待された私の生活環境は今までの暮らしとは一変した。

 ユリアスの主導で聖女の制度が見直され、資質がある者は誰もが第二第三の聖女として仕事を分散して行うよう法改正が行われた。

 今まで聖女の権威を思うままに利用してきたオルロープの王侯貴族は平民に落とされ、特に素行に問題があったジークリンデ嬢の実家であるヴァレンシュタイン伯爵家も一緒に没落していった。

 かつての権威は見る影もなく、落ちぶれて世間の荒波にもまれる内にやつれてしまった彼らの姿は町ですれ違っても気付かなかった程だ。

 民衆たちは国内の政治が見直されたことで逆に暮らしやすくなったと喜んでいる。


 そして今日はマリアの結婚式が行われる。

 王宮の厨房で働く内にひとりの騎士に見染められ目出度くゴールイン。

 あっという間のスピード結婚だった。


 挙式が終わると未婚の女性が並べられてブーケ・トスが行われる。

 マリアの投げたウエディングブーケは一直線に私目掛けて飛んできた。

 それを見事にキャッチすると視界の端で何故か嬉しそうにガッツポーズをしているユリアスの姿が見えた。


 その意味に気が付くのに時間はかからなかった。





 完


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