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清く吹き荒れ

 秋陽はホテルへ帰り、部屋に戻ると、椅子に座って日課となっていた煙草を吸いながら、窓の先に広がる夕空を眺める仕草をして、千重のただならぬ様子に声を掛けた。

「連れて行ってやらなかった事を怒ってるんとちゃうの?」

「秋川先生が本日、この場所に訪ねていらっしゃいました」

 秋陽は憔悴したように椅子にもたれかかっていたが、千重の言葉を聞いて幾らか気になったような様子を見せた。

「康雄がなんで?うちが不在なんは知ってるはずやけどな」

「ええ、私に会いに来たようです」

「なんで千重に?」

 千重はその理由を答えかねた。

「言いにくいことなんかあらへんやろ」

 秋陽は追い打ちをかけるように言った。

「私と話をしてみたかったと仰っておりました」

「それはまあ不思議な話やな」

「ですけれど、話をしていて、秋川さんは私に鎌をかけようとしていたと思いましたわ。先生との関係を疑って、真実を確かめようとしたのに違いありません」

 彼なら、そうしてもおかしくはないなと秋陽は思った。

「しかし、千重と愛し合ってることはうちは別に隠してるつもりはないけれど、千重は抵抗があるんか?」

「抵抗があると言いますか」

 言いにくそうにしている千重を見て、秋陽は心の内で千重の想いを悟った。

「うちのためやろ?世間体とか色々のこととか」

 千重は無言で頷いた。なんともそんないじらしい考えがまだ少女なのだろうと秋陽は思った。

「気にしてへんよ。お金が減るんは困るけれど、それくらいでうちと千重が貧乏暮らしになることはまずないと思うわ。それに康雄には知られることはあらへんよ。あいつは頭が硬くできてるから、真相に触れない限りは真実と断定さることはまずないで」

 秋陽の言葉には康雄を知り尽くしたからこその説得力があった。千重は自分と秋陽との二人だけの時間はまだ足りないのだと痛感した。

「しかし、困ったことには困ったな。次からは二人っきりにさせへんようにするわ。男と一緒やと千重がかわいそうやし。うちといれば康雄の深入りにも対応できるし、あいつが何言うことはわかるはずやから」

「随分と秋川さんと思い出があるそうですね。羨ましいですわ」

「また勝手に妬いて。そう、すぐにうちの事で不機嫌になるのやめたらどうや?」

「妬いてるつもりはないですわ」

「嘘や。口調が機嫌が悪い時とよう似とる」

「似ているだけです」

「そうかいな」

 千重は秋陽に目を向けても、それが長い時間合うことがなかった。

 千重は珍しく、自分から秋陽に行為を持ち掛けた。手始めに横を向く、秋陽の唇を軽く奪った。

「....」

 秋陽の反応に小さく拒否するようなものが心なしか感じられた。それは康雄に再び心を奪われたのかと千重は思った。再び同じことをしてもそれは同じであった。いつものような感度の良さが無く、女同士の純愛の雰囲気が全くと言っていいほどなく、それは異性を愛そうとしているものとよく似ていた。千重は自然と涙を流した。

「自分から誘っといて何、泣いてるん?」

 秋陽の胸元に雫が数滴こぼれ落ち、それが服に溶けるように染み込んだ。

「先生、男の人を愛さないでください。女だけ、私という女だけをどうか愛してください」

「愛してるって何度言うたんやっけ?」

「聞き飽きるほどには」

「そんなにうちは嘘つけるほど器用やないで」

 秋陽は起き上がってベッドに腰を掛けた。千重もそれに続いた。

「でも、そう思うほど、先生が男の人の物になる想像をしてしまうんです」

「何を馬鹿なこと」

「私もそうだとつくづく思いますわ。でも、私の意思を私は勝手とでも言うように無視していくんです。先生、もし、そんな事があるようなら、私はもう自分を刺して、そしてできることなら先生も同じようにしたいとおもいます」

 千重は秋陽に頬を強く叩かれた。叩かれた残響が地響きのように耳を大きく鳴り響かせ、それがずっと長く消えることがなかった。

 そのショックは肉体的なものと精神的なものが同時に襲い、千重は吃音を思うほどに、言葉が出なかった。

「そないなこと言う千重はうちは嫌いや」

 耳鳴りが大きくよく聞こえないという言葉をその瞬間に、何度も心の中で唱えた。だが耳鳴りは本当にあったのか疑うほど、はっきりと言葉が耳を通っていった。

 千重の服の切れ端が強く握られたせいか、深いしわになっていった。

「申し訳ございません」

「うちは千重を愛してるから心配せんでええ。うちがしっかりと説明せえへんかったのがあかんかった。康雄はうちが初めて愛した人や。けれどそれは過去の話で今は千重だけやから、うちは千重を愛し続けるわ」

 秋陽は千重の手を握った。握る力が優しく千重は秋陽が同い年の友人のように思えた。今までに感じたことのない近さを感じた。愛人でもなく秘書でもない目の前にいるような心の距離の近さがあった。

「うちは、康雄のことでなんとなく千重に後ろめたい気持ちもあったんや。千重を裏切ったような心持ちになってしもうて、初めての人なんて今の愛人に話すことやないやろ。けれど、それを隠すように何も言わないことはそれこそ千重に対しての裏切りなんやって、うちは心の奥底で千重を信用しきってなかったんやと思う。うちは千重に出会った時から処女ではあらへんかったから。千重に対していつももどかしい思いを持ってたわ」

「私も処女ではありません。先生と出会った時にはもうそれを失っておりました」

 秋陽は千重に対してその辛さの重みがどれほどのものかがわからなかった。

「でも愛した人の処女はうちが奪ったやろ?」

「はあ」

 千重は赤ながら恥ずかしそうに言った。まるで処女のようであると秋陽は面白おかしく思った。

 誰よりも壮絶な人生を歩んでいるのに、それを一切感じさせないのは彼女の無自覚な才能ではないのかと秋陽は思った。だが、その痛みや重みが彼女を美しく仕上げているのは長く一緒にいて、秋陽つくづくそう思っていた。

 その皮肉に込めて、千重は秋陽を強く愛し、求める力が秋陽よりも強くあった。だが、その夜は秋陽が強く千重を引き、千重はされるがままに処女を失う前の少女のように喘いでいた。それは独占欲の強い返しであった。

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