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火の先

 小鳥の囀りに千重はまるで御伽話の姫のように気持ち良く目を覚ました。

 ベッドではまだ秋陽が小さな寝息を立てていた。そのため、音を消しながら、ベッドから体を這い出すと、その足で足音を隠しながら、カアテンに手を掛けた。ただ、秋陽を起こさないために開けることはせず

そのカアテンの向こうに顔を覗かせ、朝の太陽に顔を浴びさせ、眩しさに根を上げるまで、そのまま外の景色を眺めていた。

 やがて、外の空気を浴びたくなり、千重は部屋を出て、ロビイを通って外へと出た。

 足の下に敷き詰める芝生と細かな石が何度も回ってきた夏を感じさせた。空を見ると、数羽の鳥が無限とも言える自由な空を飛んでおり、自分を起こした鳥の鳴き声の主は彼らなのかと思ったりもした。

 そしてそう思った時に、門から馬車が一台入ってきて、止まった。それからしばらくして、一人の老人が杖をつきながらその馬車へと乗り込んだ。

 若い頃は奥まった美しさを持ったであろう西洋人であった。

 その馬車をじっと見つめ、その馬車の柄などを見て西洋のお話に出てくるような想像をしたが、少女のようなそのことに恥ずかしさを覚え、すぐに頭の中で打ち消した。

 この街は華やかであるが、東京の銀座のような街とは違い、喧騒からはすぐ逃れることができる。一つ、街を離れればそこにはもう静かな木に囲まれた道が通り、別荘街の方はその静けさが外に広がり、聞こえるのは風と鳥の声だけであった。

 音とは別に陽の光が差し込み、それが辺りに美しく輝いて影すらも暗く輝いている。

 千重はこれまでそんな西洋のような華やかな街に来た事はなかった。

 外に出て、ホテルを見上げると、日に浴びたホテルの壁が鏡のように映っていた。それを見て、千重は違う国に来たような感覚に陥った。東京で見るようなホテルとは違い、小ぶりであるが、装飾がしっかりと美しくされており、それが小さい外国の村のように思えていた。

 部屋に戻っても秋陽はまだ寝息を立てていた。千重は秋陽を起こさぬよう、そばの椅子に腰を掛け、眠りにふける彼女の顔を覗き見ながら、その閉じた瞳に少女のような情を感じた。

 何も言わずにいる秋陽は千重の目からは年下にすら見えてしまうのが幻覚のような気がし、千重は秋陽の顔をじっと見ていると、秋陽がどんな顔をしていたかを忘れてしまうようであった。記憶の中の秋陽と今、目の前にいる秋陽の顔が結びつかないようになっていた。それは少女が大人になる過程によく似ていた。

 カアテンが薄暗く、陽の光に当たり明るくなり、それが常夜灯のように見えた。千重はそれを見ると、少しばかりカアテンを開けた。秋陽には日が当たらないようにし、ベッドとは違う方に日は当たった。そしてその場所に千重は椅子を動かし、日向ぼっこをするように椅子に気づかれない風のように座った。

 熱くなるのはまだ先の時間であるが、夏であるが故に千重は少しばかりの汗が滴っていた。その汗が背中を通った時、千重の背にある古傷が染みて、にぶい痛みを強く感じた。

 じんじんと音が鳴るように千重の体の中をこだまし、声も出ないようなその状況に、助けを求めるように秋陽を見たが、秋陽はよほど寝入っていたのか、起きる気配を起こさなかった。

 千重は秋陽に対して、少しの機嫌を損ね、秋陽を見ることはせず、窓の奥に広がる木々が揺れる様子を見て、考え事に耽っていた。

 木の先々に子供のようにくっついている緑色の葉が枝よりも千重が見えないくらいに細かく揺れていた。千重はその様子を揺れるというよりも震えているように思えてしまった。

 そして震えているということを思うと、自分自身の心の中にそれが吸い込むように入っていった。

 秋陽の様子が昨日は少し目に見えるように変わっていた。それはパアティイのあった夜からで少しずつ季節が変わるように気づかないように変わっていったように思われた。

 千重は恐らくは康雄という男と秋陽が会ってからであると思っていた。

 古い友人であると言うが、どのような関係であるから秋陽はあまり千重には語らず、康雄の思う所はほとんど千重の想像でしかなかった。

 ただ、秋陽が康雄に対して、気兼ね無く応じているが、その目の向きや、言葉の僅かな震えと会話の間には好意が見てとれた。やはり、秋陽も女であったのだ。ただ、秋陽は元々男も愛せる人であった。それがそれだけである。

 千重の不安はこうして、大きくなっていった。今、すぐ近くで寝ている秋陽が遠くに感じている。身体を求めても救われるのかがわからなかった。

 康雄という男が気になるも秋陽に聞くのは躊躇った。そのことで、秋陽が彼の方に目を向けてしまうのが怖かったのである。

 秋陽が昼前に目を覚ましても、千重はずっと窓の方を見たまま秋陽と目を合わせようとせず、秋陽は何が千重を不快にさせたのかわからずにいた。千重の体に触れて、性を求めてみても千重は儚げな目を秋陽にちらりと見せたっきりですぐに窓の方を向き、それは鳥籠に入れられ、自由を夢見る小鳥のようであった。

 秋陽は何も言わず、煙草に火をつけると、ベッドに腰掛け、千重をじっと見つめていた。

 鳥の声が風に消された時、千重は秋陽の方を振り向いた。

「えらい悲しげやないか」

「悲しくはないですわ」

 千重は少しばかりの嘘を言った。悲しげは彼女の中にしっかりとあった。ただ、それだけが千重をこんな風にさせたのではなかった。

「嘘つくんやない。その目が真実を語っとるで」

 秋陽は自身の寝坊が千重を不機嫌にした原因かと思っていたが、どうもそうではないように思えた。

 先日の夜に、身体を求めた千重を思い出し、千重はやきもちを妬いているのではないかと思った。千重は康雄に対して思うことがあるのではないか。そうは思いたいが、どうもそのような気がしていた。

 千重にとってもそのような気持ちにさせたくないこともあり、あまり彼女の前で康雄のことは言わないでいたが、それが返って、千重には言えないやましい事があると思われたのかもしれなかった。

 康雄との関係を千重には言ったのかを思い出そうとしたが、酒に記憶を奪われたこともあり、はっきりとは言えなかった。

 康雄のことを千重に言おうとするも、声が喉から先に出ることはなかった。千重のその横を向いた顔が恐ろしくもあった。

「うちな、千重。千重が窓の方を向いてるとうちはどうも言葉が出えへんねん。うちの知っとる千重がだいぶ変わってしもうて、大人っぽくなり、美しくなっとんねん。少女のように思ってた千重が大人になり、うちと似たような人になってるんや。どうも人見知りみたいになってしまって」

 煙草の火だけが秋陽を安堵させた。

「うちと康雄のことを思ってるんやろ?」

 その火に魅せられて秋陽は勇気を振り絞る前にその誘惑乗っかり、千重に言った。

 千重の横顔が微かにこちらの方に向いた。

「ええ」

 その短い言葉の低い声色が影のある声であった。

「昔の恋人や。うちの初恋なんや」

 恐れることは何もないと秋陽は話を切り出した。やましいことはないと思いながら話していた。

「それがただ、この前再開しただけや、懐かし話に身を投じることはあるけれど、うちはもう愛することはしてへんから。それはあいつにもしっかりと伝えてあるわ」

 千重はこちらを見ていたが、秋陽はその目が秋陽の目の前の煙草に注いでいるように思えた。

「あの方と先生がお話ししているとなんだか、先生が他人のように思えてしまうんです」

 そう言って、再び窓の方を向いた。だが、それは照れ隠しのようであった。

「私は怖いんです。私のことよりも初めての方が一番思い出に残ることでしょう。その存在に触れてしまったら今の私達は簡単に崩れてしまうのではないかと」

 千重は自分を愛しているからこそ、こんな風になっているのだと秋陽は気づいた。性に対して、恐ろしい程に痛みを知っているからこそ、今の安らぎが壊れてしまうことが怖いのかと思っていたのだ。要は二人ともお互いに勝手に恐怖に怯えていたのだ。

「千重、昨日、街へ出た時に、教会にうち行ってみたいと思ったんやけど、一緒についてきてくれへんか?」

「ええ、勿論ですわ」

 千重はそう言うと、麦わら帽子をすぐに頭にかぶった。それが愛おしくまだ千重の心は少女を保っていると知った。秋陽は千重に笑いかけ千重がそれに応じ、秋陽はこの関係は長くずっとありたいと思った。

「先生、カアテン、そちらも開けます」

 千重はカアテンを開けた拍子にその眩しさに目を閉じた。その瞬間に教会で自身の嫉妬心を懺悔してしまおうと思った。

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