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人生について悩むことは止めて、ここで妄想の世界を楽しむ。そういう生活をするようになって、もうどれくらい経ったのだろうか?
奇妙な世界に陥ってから365日までは数えていた。でもそれ以降はもう数えることも無意味に思えてそれを考えることも止めた。
本を戻していると目の端に、書店で働く店員さんの姿も見える。その人の様子を見つめながら、もし就職活動を見事成功させていたら、私もあのようにここで楽しく働いていたのだろうなという別の妄想を楽しむ。ここは私の第一志望の企業のショップでもあるから。
台風の中、受けにいった面接の結果がどうだったのか? 私にはもう知ることは永遠にできない。
あの時、何が起こり、何故こんな異次元に吹き飛ばされたのかは良く分からない。
分からないまま、奇妙な日常生活を過ごすことを余儀なくされている。
人に話しても信じてもらえないが、私は2025年7月11日という日を、もう長い事繰り返している。
世界そのものがその一日をひたすら繰り返しているのか。それとも私だけがこの日に取り残されているのかは分からない。7月11日を終え0時を超えると、12日に行くのではなく11日に戻っている。
そのことに気がついているというか認識できているのは私だけ。友達に話してもオカシナ事を言っていると笑われる。
最初はその事を証明するために色々頑張った。今日という日の情報を預言のように伝えることで信じてもらえることには成功した。しかし0時を超えてしまうと相手の記憶もリセットされ、何も知らない友人に戻ってしまう。
そのことを繰り返しているうちに、他の人にも理解してもらい、協力を仰ぐということもバカらしくなり止めてしまった。
一人で調べて分かったことは、台風の中面接を受けにいって、風に飛ばされた看板にぶつかった事で、こんなオカシナ現象に巻き込まれたことになったのであろうということだけ。
飛んできた看板の文字は【leonzième cadeau】。意味はフランス語で『十一番目の贈り物』。
この意味で私が一番に浮かんだのはシャーリーン・コスタンゾの「12の贈り物 - 世界でたったひとりの大切なあなたへ」という絵本。
作者が自分の子供に向けたメッセージともいうべき内容。12の贈り物は力・美しさ・勇気・信じる力・希望・よろこび・才能・想像力・敬う心・知恵・愛・誠実で、十一番目は【愛】となる。しかしこれはこの現象にどう関係するというのだろうか?
最初の方は私と同じ現象に悩まされている人がいないかSNSで呼びかけてみたりしたが、何の反応も戻ってこなかった。
いくら調べても原因も脱出方法も分からない。そもそも文学部の女子大学生にこんな現象の謎を読み解くなんてことはムリゲー過ぎる。
ごくごく平凡な学生に、高分子学の天才といった知り合いもいるわけもなく時間だけが無駄に過ぎていった。
私は、寸分変わらず同じ事を繰り返している7月11日を体験し続けている。
こんな生活をなんとかするために、私は得意な妄想の旅を愉しむ生活をすること選んだ。
良い感じに気持ちを高めてくれそうな本を探してきて自分のソファーに戻る。カフェにてランチがわりにサンドイッチを買いお腹を満たしてから午後も妄想の旅を愉しむ。
夕方になり空気が少し切ない色を帯びてきたところで、私は妄想の世界から現実世界へと帰還する。
ふと視線を向けたテレビ画面を見て私は首を傾げた。
「台東区に住む佐藤周子さん二十九歳。千代田区にある北の丸公園にて倒れているところを発見されました。
佐藤周子さんはナイフのようなもので数箇所刺されていた様子で、発見された時にはすでに心肺停止状態。
搬送先の病院で死亡が確認されました。警察は殺人事件として捜査ーーー」
こんなニュース、初めてだ。ループ現象に巻き込まれてから、7月11日は判で押したようように同じ事しか起こらない。テレビのニュースもネットのニュースも誤字に至るまで同じ内容だけを繰り返してきていた。
しかし今、新しい事件が起きている。もしかしてループ現象が終わったということなのだろうか? 千回とか、予め決められた回数繰り返したら終わるとかいうものだったのか?
私はタブレットを取り出し、ニュースを調べてみるが、女性が通り魔と思われる相手に殺されたという事件以外は変わっていないようだ。
殺された女性についても調べてみた。佐藤周子は文京区にある調査会社の事務員を務めていた女性。
夜になると重要参考人として売れないお笑い芸人コンビヒューチャーの一人古井が警察に連れて行かれたとかいう話も出てきていたが、あまり詳しいことは分からなかった。
Facebookを見にいくと、彼女の死にショックを受けて「嘘だと言ってほしい、私は信じない」といった彼女の死を悲しむコメントが多く並んでいた。
事務員のため直接は関係ないが調査会社自身が請け負った仕事が原因だとか、少しクズで有名なお笑い芸人古井との別れ話が拗れた末のこととか、様々な憶測が飛び交っていたが詳しいことは何も分からないまま、一日が終った。