第五集 瞳孔
「びひゃぁ、びひゃぁ!」
耳障りな唸り声。
(本当に、豚の魑魅は共喰いが好きだなぁ。お、豚鬼魅もいる)
人間を相当喰ってきたようだ。鼻以外は完璧な人型だ。
「おい、こっちだ豚ども」
「……あん? ……甘いにおい。お前、仙子だな」
「おお、賢い。どれだけ人間を食べてきたんだ?」
「産まれてからずっと、食事は人間だけだ」
「それなのに、豚の血のにおいにつられてきたのか?」
「豚の血を撒くのは人間だけだからな」
「……本当に賢いようだな。名はあるのか」
「スクリミヤだ」
「スクリミヤ……」
(たしか、クハルゥ語で『叫ぶ者』って意味だった気が……)
「何しに来た、仙子」
「お前たちを退治に来たんだ」
「なぜ? 俺たちはお前ら仙子など襲わないぞ」
「わたしは人間の味方なんだ」
「……ならば仕方ない」
月明かりの下、突進してきたスクリミヤの格好は、まさにクハルゥ族の伝統衣装だった。
持っている武器も、独特な意匠が施された湾刀。
「げ、弓兵もいるのか」
肩を矢が掠っていった。
「痛いじゃん!」
幸い、毒矢を作るという知恵はないようだ。
矢は動物の骨で作られたまっさらな鏃だけ。
これなら、こちらのほうが有利だ。
――薬霓空華。
霓瓏は白花羽団扇豆の毒性を強めた矢を複数本出し、連続して撃ち込んだ。
「ぐっ……、あ、ああ……」
突進してきていたスクリミヤたちは地面に転がり、よろけながら立ち上がろうともがき、嘔吐し始めた。
「めまいに嘔吐、意識障害もこれから起こるから、はやく逃げたほうが良いと思うよ」
「く、あ、ぐぅぅうううう!」
それでも、スクリミヤと数体の鬼魅は諦めなかった。
「に、肉、喰う、ぜ、絶対!」
(……まずいな、これ)
体格のせいか、毒の巡りが思っていたよりもゆっくりだったようだ。
「うわ!」
霓瓏の腹部をスクリミヤの湾刀が掠めた。
幸い、斬れたのは服だけだったが、それでも危機的状況なのには変わりはない。
「このままじゃ、野営地まで走っていくことになる……」
その時だった。
たくさんの松明を持った人間が森の中に現れたのだ。
「ぐ、わああああああ!」
白花羽団扇豆の毒には瞳孔散大の効果もある。
スクリミヤたちは突然の煌々たる光に瞳がやられ、地面に突っ伏してもだえ苦しみだした。
「殺せ!」
その掛け声とともに姿を現したのは、クハルゥ族の戦士たちだった。
次々に首を落とされていく豚鬼魅や魑魅たち。
スクリミヤは最期まで抵抗していたが、一際体格のいい戦士に心臓を突き刺され、首を刎ねられ死亡した。
「大丈夫か、少年」
「え、あ、いや、そのぉ……」
「その腕章……、朱燕軍の軍医か」
「そうです、その通りです」
「……なぜこんなところに一人でいる?」
「それはその子が仙子だからでしょう。ウルナ様」
ウルナ、と呼ばれた体格の良い戦士の後ろから現れたのは、クハルゥ族の占星術師だった。
朝の訪れを思わせる紫紺の髪に、同じ色の瞳。
ジャラジャラと身に着けている宝飾品はすべて呪術用のもの。
「……なぜそれを?」
「これでも私は魔女族の血をひく占星術師ですから」
中原や海を越えた東にある葦原国には、広義の意味での魔女族が非常に多く住み着いている。
予測すべきだった。
「大丈夫か、霓瓏!」
「あ、祁旌殿……」
様子を見に、十名の兵を引き連れてきてくれた祁旌。
その祁旌を、ウルナは目を見開いて凝視した。
「祁旌……? 朱燕軍の若将軍か」
「その声は……、ウルナか!」
「久しいな、友よ」
「お、おい。そんなこと言ったら他の者に誤解されるぞ」
祁旌は一緒に来た兵士たちに「戻っていいぞ」と言い、野営地に帰らせた。
「なぜだ。友を友と呼んではならんのか」
霓瓏は何が起こっているのかわからず、話し込む顔のいい男たちを交互に見た。
「あ、ああ、すまない霓瓏。こいつはウルナ。クハルゥ族のはみ出し者で、俺の友人だ」
「おお、こいつが例の軍医か。そうかそうか。会いたかったぞ、霓瓏」
「んん、え? あの、え?」
「ウルナはクハルゥ族とモーリャ族の同盟のために人質に取られていたクハルゥ族の第三王子でな。まだ幼い頃、虐待されていたところを、我が父が戦のどさくさに紛れて救い出したのだ」
「……へぇ。顔もよくて強くてさらに家柄まで良いんですか、へぇ」
「なんだこいつ。いきなり目が座り出したぞ」
「ああ、放っておいてくれ。霓瓏はだいぶひねくれているんだ」
霓瓏は二人から少しずつ離れながら「顔の良い人には顔の良い人が寄ってくるんですねぇ」とそのへんの小枝を蹴りだした。
「霓瓏様は軍医でいらっしゃるのですね」
「え、ああ……」
「スニアクです。ウルナ様の占星術師兼軍師をしております。どうぞよろしくお願いします」
「あ、こちらこそ……。李 霓瓏です」
「この怪物たちを衰弱させたのは仙術か何かですか?」
「そうです。わたしは太陰星君嫦娥陛下が治めている聖域出身の仙子で、特別に賜った力があるのです」
「おお、噂には聞いたことがあります。たしか、必要な学位を修めると頂けるんですよね」
「そうです。まぁ、女王陛下からの卒業祝いって感じですかね」
「ほう、羨ましいです」
「それで……、みなさんはなぜこんなところに?」
「ああ、この辺りの草原はウルナ様が見回りを担当されているのです。それで、今日も夜警に出ていたところ、怪物たちの姿が見えたので、討伐に撃って出たという感じですね」
「助かりました。わたし、仙術以外はさっぱりなので」
「珍しいですね。仙子族はみな内功が強く、武芸にも秀でていると聞いていたもので……」
「……噂とは違う存在で申し訳ありません」
「え、いや、そんなことありませんよ。すばらしい仙術です」
「ふひひ……」
褒められて変な声が出てしまった霓瓏。
仲の良い人から褒められればふんぞり返って誉め言葉を受け取れるのだが、今絶賛人見知り中だ。
初対面の人に助走なく褒められると戸惑ってしまう。
助けを求めようと、祁旌の方を見ると、まだウルナと話していた。
「なぁ、祁旌。この地面、豚の血が撒かれているってことは、お前、また嵌められそうになっているのか」
「まぁ、そうだな。今回は霓瓏がすぐに気付いてくれたし、お前も来てくれたから助かったよ」
「戦場を賭ける姿は鬼神の如し……。それなのに、なんでのんきなんだお前は」
「結果的に最高の状況におさまったのだから、もう気にすることもないだろう」
「もっと根に持てよ。まったく。心配な奴だ」
「あはは。あ、そうだ、野営地来るか? 兵部の奴らを驚かせてくれてもいいぞ」
「……いいねぇ。やろう」
なにか面白そうなことが決まったらしい。
「行くぞ、スニアク。わが友を貶めようと画策した馬鹿どもに夜の御挨拶と行こう」
「それは楽しそうですね」
ウルナとスニアク、祁旌と霓瓏は森の外に繋いであった馬に乗ると、野営地まで駆けだした。
兵部の人々はきっとクハルゥ族が攻めてきたと勘違いして怯えることだろう。
(ざまぁみろだ)




