第二十九集 馬鹿野郎
自分の能力を過信していたわけではないが、しくじってしまった。
「ま、まさか仙子族が手に入るなんてなあ!」
溶けた歯が痛々しい男に髪を掴まれた。
「全身バラして売っちまおうぜ!」
「おいおい、よく見ろ。こいつがなんで仙子かわかったか」
一番まともそうに見える男が、霓瓏の腕を指さした。
「……あ、血が煙だからか」
歯の溶けた男は霓瓏の髪から手を離し、納得したように腕を組んで地面へと座り込んだ。
「何もせずに切り刻んじまったら、血がなくなっちまうだろうが」
「なんだっけ、何を飲ませればいいんだっけ」
若い。霓瓏ほどの年齢の青年が、傷口からひょろひょろと立ち昇る血煙を眺めながら呟いた。
すると、賊の中でも一番大柄で鋭い目をした髭面の男が近づいてきた。
「そういう知識があったらこんな最低な仕事してねぇよ」
「ちげぇねぇ」
歯の溶けた男は何が可笑しいのか、笑い転げている。
髭面の男はそれを一瞥し、呆れたように溜息をつきながら、霓瓏の腕の傷口にあまり清潔とは言えない布を巻いた。
「とりあえず、牢にでも繋いどけ」
「慧国のどっかに仙子がいるっていう噂だったが、本当だったんですねぇ」
「探される前になんとかしねぇと!」
「ここがわかるわけないだろ? だから五年以上続けてこられたんだぞ。……お前らが貴族のガキなんて殺すまではな!」
髭面の男の怒声の先にいたのは、顔の綺麗な役者風の男。
「すまねぇって言ってるだろ」
「とりあえず、まともな格好して風呂にも入ってから、どこかの貸本屋でも行って調べてこい。くれぐれも怪しまれるなよ」
「あいよ、お頭」
役者風の男とまともそうな男の二人がどこかへ出かけて言ったようだ。
指示された通り、貸本屋にでも行ったのだろう。
霓瓏は若い男に牢の中へ放り込まれ、ぐったりとしたまま、床の冷たさを頬に感じていた。
(……げ、解毒しなきゃ)
霓瓏は忘れていたのだ。
人間の生活領域の空気は、聖域のものとは違う。
それにより、聖域にいた頃よりも身体が幾分弱っているのを。
それに気づかず、作った酩酊薬を飲んでしまった。
本当は根城を突き止めた瞬間に捕縛するはずだったのに。
逆に捕まってしまう結果となった。
(ううっ……、痛い……)
周囲に人の気配が無いことを確認し、空から小さく縮めた太桃矢を出すと、太ももに刺した。
解毒薬と仙術を己に施し、数十分大人しく目をつむっていると、次第に意識がはっきりしてきた。
(ふぅ……。こりゃ、あとで二人に怒られるなぁ)
霓瓏は伝言を届ける手段を探そうと牢の中を見渡すと、あることに気づいた。
(え、ここ、地下じゃない! 座敷牢だ)
座敷牢は、邸の中の塗籠と呼ばれる窓のない空間に作られることが多い。
その証拠に、よくよく耳を澄ますと、誰かが廊下を行き来する音が聞こえる。
今は十九時くらいだろうか。
女性の声もする。
ただ、助けを求めているような感じではなく、どちらかというと、楽しそうな、誘惑するような声。
(妓楼か!)
霓瓏は漂ってくる白粉の香りと、香油や料理が混ざったにおいで確信した。
(なるほどね。ここで製造してるのか)
夜はうるさいほどにぎわい、誰が出入りしていても誰も気にしない。
昼間は目の前の通りも閑散とするので、人目につくことなく作業が出来る。
裏口には料理の残飯をもらおうと集まってくる家の無い人々。
薬漬けにして肝臓を抜くには最適な場所だ。
(権力者のお客さんも多いだろうし。こりゃ、困ったことになったなぁ。そもそも、肝臓から麻薬を抽出しようなんて考えられるのは、そういう知識がある人だろうし……)
霓瓏は完全に体力を回復すると、太桃矢で牢屋の鍵を開け、そのまま出ていった。
(うわ、ものすごく賑わってる)
客の中には朱燕軍の到着を出迎えた望灯の官僚もいた。
霓瓏は汚れた深衣を仙術で綺麗にすると、客を装って妓楼の外まで歩いていった。
「はぁ……。焦った焦った」
そういえば、と、腕に巻かれていた汚い布をとり、道端へと放った。
「治療の基礎がなってないなぁ、もう」
おそらく、捕まえてきた薬物中毒者が逃げることは想定してないのだろう。
誰も追ってこないし、そもそも霓瓏が逃げ出したことにも気づいていなさそうだ。
霓瓏は周囲を見回すと、そのまま祁旌たちが待つ邸へと帰って行った。
一応だが、尾行を警戒し、妖精の粉を使って途中で姿を消しながら。
「馬鹿野郎!」
冷たい板間の上で正座させられ、霓瓏は小さな身体をさらに小さくして縮こまっていた。
心なしか、声がか細くしか出てこない。
「うう……、はいそうです。わたしはどうしようもない馬鹿野郎です。すみません。ごめんなさい。もうしません」
「言葉では何とでも言えるんだぞ」
祁旌はまるで霓瓏の父親が烈火のごとく怒った時と同じような顔をしている。
正直、とてつもなく怖い。
祁禮は祁禮で、終始冷たい微笑みを向けてくる。
朱兄弟は大変ご立腹のようだ。
「あの、妓楼を特定しましたので、その、作戦を立てつつ、徐々にお許しいただけませんでしょうか……」
「あ?」
「ひいっ。ご、ごめんなさい」
目の前でしおしおとしょぼくれていく霓瓏の姿に、少し胸が痛んだのか、祁旌は溜息をつきながら声を抑えた。
「……はぁ。あと数分遅かったら、街中を朱燕軍で探し回るところだったんだぞ」
「はい。すみません」
「兄上も何か言ってやってください」
現在時刻は二十一時。かれこれ、二時間近く怒られ続けている。
頭脳明晰切れ味抜群な祁禮の言葉で罵られたら、霓瓏は泣く自信があった。
「……身体は大丈夫なのか」
思いもよらなかった優しい言葉に、霓瓏は目頭が熱くなった。
うつむいていた頭を上げ、祁禮を見つめると、ペチっと頬を叩かれた。
そこまで痛いものではなかったが、心に響いた。
「次はこんなものでは済まないからな。祁旌が海にぶん投げるぞ」
「承知しております」
「ならいい。では、さっそく成果を聞こうか」
祁禮がいつもの調子に戻ると、祁旌も苦笑しつつ「さぁ、床じゃなく座布団にでも座れ」と言ってくれた。
霓瓏は渡された座布団に座り直し、あたたかいお茶をもらうと、一気に飲み干し話し始めた。
「わたしが視認した賊は五人。特徴は……、後で似顔絵を描いておきます。ただ、会話の内容から、彼らが企てたとは考えにくいですね。そこまで医療的な知識があるとは思えません。根城となっている場所は望灯の繁華街にある一番大きな妓楼です。わたしが囚われたのは座敷牢でした」
「妓楼を隠れ蓑にするとは。古風ではないか」
祁禮はニヤリと微笑んだ。
「しかし、とても効率的だ。ふむ。最近始めた事業ではないということだな」
「その通りです。彼らによると、五年程続けているそうです」
「おそらくは、その賊らも使い捨てなのだろう。黒幕はもっと昔から続けているやも……」
祁禮は悪い笑顔を浮かべると、霓瓏の肩をそっと叩いた。
「これは女子たちに聞いてみるのが一番早いかもしれないな」
「……兄上は行かないのですか?」
「妻が嫌がるからな。それに、霓瓏が行った方が面白いだろう? お前じゃ、朱燕軍の将軍として顔が知れ渡りすぎているからな」
「えっ」
「私が見立てて好い男に仕上げてやろう」
「あの、わたしは……」
「黙って従え、霓瓏」
祁禮の美しくも恐ろしい笑顔には逆らえなかった。
顔はどうにか変幻の術で変えられるが、ひょろひょろの体型はそうはいかない。
「わたし、女性の扱いなんて慣れていませんよ?」
「そこがいいのだ! ああいう妓楼の妓女たちは皆手練れ。初心な男を手取り足取り自分色に染めることに興奮を覚えたりするもの。いいか、霓瓏よ。女人の前では賢く阿保であれ」
「か、賢く阿保……」
霓瓏には難しすぎる格言だったが、祁禮が言うのならば間違いないのだろう。
とりあえず、従うことにした。




