第二十八集 肝臓
「またですか! もう! もう!」
一週間前から遠征に来ている小都市で、すでに三件目の殺人事件が起きていた。
いや、正確には、季節が冬になってから、この小都市、望灯では二十件以上の殺人事件が起きていた。
最初の一ヶ月は死んでいるのが浮浪者や下級市民だけだったため、地方官吏も気にしていなかったのだが、最近になって貴族の息子が二人殺されてしまった。
それに恐れをなした官吏たちが朝廷へと泣きつき、助けを求めてきたのだった。
そこで、派遣されたのが朱燕軍。
事件を解決に導くため、今回は祁禮も同行している。
ここまでの人材を裂くのには理由があった。
慧国皇帝陛下の妃の一人、徳妃淳氏の祖父母がここに住んでいるのだ。
「というわけで、文句を言わずに頑張れ、霓瓏」
「祁禮殿がほいほい依頼を受けるからこうなるんですよ」
霓瓏は望灯に来てから毎日遺体を見る羽目になっている。
いや、視るだけならばマシだっただろう。
「この遺体も貴族のおぼっちゃまたち同様、肝臓が抜き取られていますよ。毎日同じ結果です」
「そうかそうか。で、どうだ?」
「そうですね。貴族のおぼっちゃんたちの遺体を解剖することは拒否されたので、ここ数日に発見された遺体から組織をとって検査をすれば、理由がわかるんじゃないですかね」
「うんうん。良い調子ではないか!」
「髪についた腐臭がとれなくなったら恨みますからね!」
「何を言っている、霓瓏。もはやお前からは薬草の匂いしかしてこないぞ。祁旌が呆れるほどにな」
「……けっ」
霓瓏は眼球を含め採取したいくつかの生体組織を名称を記した壺に分け入れ、つぶして液状にしていった。
「この作業、本当に楽しくないし嬉しくない」
壺から漂ってくる香りは草花の清らかなものではなく、腐臭を帯びた湿り気の有るもの。
「うええん」
唯一においがしないのは髪くらい。
ただ、その髪こそが、今回の事件を解決する糸口となるのだった。
検査し始めて二日目。徹夜したので実質的には一日目なのだが。
霓瓏は目をしょぼしょぼとさせながら、検査結果に盛大なため息をついた。
「……人間って本当に色々と思いつくんだなぁ」
判明した事実を紙にまとめ、祁禮と祁旌が泊っている邸へと向かった。
まだ陽の昇らない薄暗い道を歩く。
馴染みのない街だからか、余計に寒く感じた。
邸には交代で朱燕軍の兵士が警備にあたっている。
「お疲れさまです、霓瓏先生」
「みなさんもお疲れ様です。あとでお茶と点心の差し入れに行きますね」
「いつもありがとうございます」
見張りの兵士たちとあいさつを交わし、複数ある部屋の中でも一番雅な場所を目指す。
その部屋には、すでに灯篭の灯りが揺れていた。
「……おはようございます」
「わかったのか!」
祁禮は起きて身支度を済ませていたようだ。
まだ午前三時なのに。
「祁旌殿は」
「もちろん、寝ている」
「でしょうね!」
霓瓏は検査結果を書き記した紙を祁禮に手渡し、火鉢に近づくと、そばに置いてあった座布団を抱きしめた。
「ほう……。死んでいたのは全員薬物中毒者なんだな?」
「そうです。だから肝臓が抜き取られていたんです」
肝臓は体内に入って来たものを濾過する臓器だ。
薬物中毒者の肝臓は、それまで摂取してきたあらゆる薬物の成分が蓄積され、蝕まれている。
その、蝕まれてしまっている肝臓こそが、売人たちにとっては金の卵そのもの。
どうするのかというと、薬物中毒者から取り出した肝臓を煮込み、ドロドロに溶かしてから、薬物の成分だけを抽出するのだ。
そうすれば、それなりの量の麻薬が出来上がる。
末期の中毒者たちは売られている麻薬の安全性など考慮しない。
どこからどうやって何を精製したものでも気にすることなく買い求めに来る。
そしてまた売人たちは中毒者を殺して肝臓を抜き取り、麻薬を精製して売る。
負の連鎖が続いていくという仕組みだ。
「最近では干して粉末にしてから摂取することもあるそうですよ」
「その方が手軽そうだな」
「お酒に混ぜて飲めば効果も絶大って感じです」
「ううん、それにしても、なぜ貴族の子息たちまで狙われたのだろうか」
「彼らはお金がありますからね。手に入れにくい外国の麻薬をたしなんでいたのかもしれません。珍しい高品質の麻薬の成分が蓄積している肝臓なら、高値で売れるでしょう」
「嫌な話だな。さて、どうやってこの恐ろしい事業を辞めさせるかだが……」
祁禮は美しい顔で思案しながら部屋の中をゆっくりと歩いた。
「霓瓏はどう思う? やっぱり、潜入するのが一番だとは思わないかい?」
「……ダメですよ。あ、ほら、顔を曇らせている人がきましたよ」
寝起きで少し鈍い動きをしてはいるが、祁旌はとても渋い顔で立っていた。
「兄上、潜入は許可しません。将軍命令です」
「頭の固い心配性の弟め。父上が将軍にしたばかりに、発言力があるからさらに可愛くない」
「なんと言われようと、ダメです」
「ううむ。でも、薬物中毒者のふりをして誘拐されなければ、賊の根城はわからんぞ」
「……では、お」
「わたしが行きます」
祁旌の言葉を遮り、霓瓏が立候補した。
「は? お前もダメに決まっているだろうが」
「あのですね、祁旌殿。あなたは大変素晴らしい人々に囲まれて育ったために、自己犠牲の精神が思考の邪魔をするときがありますよね」
「どういうことだ?」
「薬物中毒者がそんなに健康的で筋肉もりもりなわけないでしょうが!」
祁旌は自身の身体を見てハッとした顔をした。
「た、たしかに……」
「この中で貧相な体躯なのはわたしだけです。まぁ、自分で言いながら悲しみで心が傷ついていますけれども」
「だが、仙子と言えど危険に変わりはないだろう? もし薬物を飲まされたらどうするつもりだ」
「わたしが自分で解毒出来ないとでも?」
「あ……、でも」
「はいはい。ご心配ありがとうございます。話し合いは終了です。わたしが血色の悪い化粧でもして夜に徘徊しますので、援護をお願いしますね」
「ううん……」
ここまで言っても渋る祁旌を、めずらしく祁禮が宥めないので、視線を向けると、思いのほか心配そうな表情をしていた。
「相手が人間じゃなかったらどうするのだ、霓瓏」
「祁禮殿までそんなことを言うのですか? まったく。朱家の男たちはどれだけ仙術師を侮れば気が済むんですか」
「そういうわけではないが……」
祁禮は何かを言おうとしたが、チラリと祁旌の方を向いて言葉を飲み込んだ。
「もし賊の中に一人でも魔術師やら妖術師がいれば、血液も一滴残さず盗っていっていると思いますよ。魑魅や鬼魅の餌になりますから」
霓瓏は祁禮が言いたかったこととは別の話題で論点を逸らした。
「……くれぐれも気を付けるんだぞ」
「もちろんです」
霓瓏は笑顔で頷いた。
(……よかった。詰められなくて)
その実、心の中では冷や汗をかいていた。
薬物中毒者の真似というのは、そうたやすいことではない。
肌の荒れ具合や呼気のにおい、髪質に目の白い部分の色、血管や血液の状態など、模倣するには工夫しなければならないことが多い。
簡単なのは、そういう効果の出る薬を実際に摂取すること。
当然、あの二人にはさせられない。
人間が行えば、解毒に多くの時間がかかるし、副反応も辛いものになる。
(まぁ、最悪三日間くらいだったら大丈夫でしょ)
霓瓏は自身の身長や体重から計算し、ギリギリの量を飲むつもりだ。
仙術が使える、ギリギリの量を。
祁禮はそのことを言いたかったのだろう。
気をつけろ、自分自身にも、と。




