第二十七集 醜聞のおさめかた
その夜、盛大に呑んだ祁旌と季翠は、日付が変わるころにはうとうとし始め、用意されていた布団にほぼ同時に倒れて寝てしまった。
「何とのんきな……。まだおつまみ残っているのに」
霓瓏は二人が残した分もすべて綺麗に平らげ、器とお膳を重ねて端に寄せた。
「……来た」
火鉢が焚かれ、他の部屋よりも幾分温かいはずの室温が、急激に下がり、口から吐き出す息が一層白くなった。
「……助けて、お願い……」
「こんばんは」
霓瓏は部屋に入って来た半透明の女性に返事をした。
すると、女性は目を見開き、霓瓏へと近づいてきた。
「……あなたの声がわかる」
「わたしは仙術師です。人間の有能な霊能力者位の力はありますから」
「お願い……。私たちを助けて……」
「複数人なんですね」
「囚われているの……」
「あなたは何者なんです? ここまで霊体を飛ばせるということは、なんらかの能力者か……」
「私たちは霊衣族……」
霓瓏は事の重大さを認識した。
霊衣族はその名が示す通り、己の霊体を衣のように扱うことが出来る特殊な種族である。
その存在意義で有名なのは、病にかかった人間の代わりに死ぬこと。
重病患者の魂を一度引き抜き、代わりに霊衣族が己の魂を入れる。
そうしてそのまま死ぬと、霊衣族の魂はその身体から切り離され、元の身体に戻る。
そうなったら成功だ。
身体の持ち主の魂を元の身体に戻すだけ。
すると、不思議なことに身体からは病が消え去り、重病患者は健康な身体で再び生き直すことが出来るようになるのだ。
「あなた方はたしか隠れ里に住んでおられるはずでは?」
「そこが……、襲撃されたのです……」
「そうでしたか……」
「捕えられた今は……、貴族たち相手に……、仕事をさせられています……」
「霊衣族の能力は有限なのに」
「その通りです……。我らは一度の人生につき、九回しかこの力を使うことが出来ません……」
「あなたはすでに何度使わされたのですか?」
「……七回です」
「危険ですね。すぐに助けに行きたいのですが、どちらに囚われているのでしょうか」
「糸を……、糸を追ってください……」
「糸……。魂魄を繋ぐ〈糸〉ですね」
「ああ、もう、眠りにつかなければ……」
「寝てください。なるべく早く、そちらへ向かいます」
「頼みました……」
女性は煙のようにふっと消えてしまった。
その後に残ったのは、うっすらと煌めく〈糸〉の痕跡。
「さっそく行ってみるか」
祁旌と季翠は気持ちよさそうに寝息を立てている。
季翠に至っては久しぶりの熟睡なのだろう。
もう何をしても起きそうにないほど、眠りが深い。
霓瓏は一応書置きをしておくことにした。
「では、行ってきますね」
小声で告げると、灯篭の灯りを消し、太桃矢に乗って空へと飛び立った。
〈糸〉は都の中でもいわゆる一等地、貴族たちの邸宅が多くある場所へと向かって伸びている。
「……このまま進むと厄介な家につきそうなんだけれども」
霓瓏の心配は糸を追うごとにどんどん現実味を帯び、その終着点についた時には盛大に駄々をこねる羽目になった。
「うええええ」
そこは皇族の邸だったのだ。
「玄琊郡王かぁ……」
玄琊郡王は皇族の中でも人気のあった亡き清陽王の一人息子で、祁旌や季翠と同年代。
清陽王は賢妃の子供のため庶出であった。
ただ、宗室ではないものの、その聡明さと慈悲深さから、貴族平民問わず、とても慕われていた。
ところが、一方で玄琊郡王はあまりいい噂は聞かない。
父親の素晴らしい評判の陰に隠れて様々な悪事を働いているという。
「ううん。また皇族の醜聞か……」
つい先日亡くなった央廠の太監と元工部尚書に関する先帝絡みの事件でも、街には様々な憶測が流れ、一週間はその話題で持ちきりだった。
幸い、太監を殺害した梨琿が元工部尚書の息子だということは一部の人間しか知らないため、殺人事件に関しては隠し通せているが。
「でも、行かないわけにはいかないしなぁ」
上空から見ると、〈糸〉は尚も玄琊郡王の敷地内でうごめいている。
「……ひとまず、姿を隠して潜入でもしてみるか。こういうとき仙子族って便利だよね」
霓瓏は懐から小さな革袋を取り出すと、中に入っているキラキラとした粉を自身に降りかけた。
いわゆる、『妖精の粉』である。
仙子族は羽根が退化しているので、そんなに多く生成されるわけではないが、いざというときのために少しずつ溜めておいたのだ。
「へっ……、へっくしょい! ああ、鼻がむずむずする。自分の粉なのに、どうしていっつもこうなるのか」
霓瓏は包帯用の木綿の布を少し裂くと、鼻を盛大にかんだ。
「うはぁ……。よし」
ゴミとなったそれを燃やして処分すると、透明になった姿で玄琊郡王の邸内へと入って行った。
(うわ、なにこの下品な庭)
権力、財力、そして欠片もない知性をひけらかすように置かれた派手な美術品の数々。
それぞれの意匠が喧嘩しあっていて、まったく調和というものがない。
元は清陽王の邸だったはずなのに、その面影は全く残っていなかった。
(隠し部屋か何かに収容されているのかな)
霓瓏は太桃矢から降りて邸内を歩き始めた。
いくら透明になっていても足音は消えない。
それでもこうしたのは、邸内が非常識なほど五月蠅いからだ。
(こんな真夜中に宴会なんて……。何考えてるんだ)
良いのか悪いのか、敷地がとても広いため、近隣の邸宅には騒音による迷惑があまり掛かっていないようだ。
被害にあっているのは隣接している二つの邸宅くらいだろう。
霓瓏は手当たり次第に壁を軽く叩き、空洞が無いかを確かめていった。
(……ここかな?)
開閉用の取っ手か何か、近くにないかと見回すと、燭台が柱についていた。
(動かせそう。……やっぱり)
燭台を掴んで下方向へと降ろすと、目の前の壁が左右に分かれて入口が現れた。
(……何だこの酷い臭い。腐臭か……?)
螺旋階段を降りていく。
地下へ向かうにしたがって湿気による黴臭さと、最初に感じた腐敗臭が強くなっていく。
最下段に着くと、そこには真っ赤に塗られた鉄製の重い扉があった。
それを、音を立てないようゆっくり開けると、いくつもの蝋燭に照らされるように現れた光景に、霓瓏は言葉を失った。
「た、助けて……」
そこにいたのは、女性ばかり三十人ほど。
生きているのは十人。
残りの二十人は、言葉では説明できないほどの凌辱と拷問を受け、すでに死んでいた。
霓瓏は生きている女性たちが囚われている檻へと駆け寄った。
地面に滴る血や体液、皮膚、臓器、歯などを踏んで転ばないよう気をつけながら。
「今開けます」
「ああ、た、助かった……」
「その声は……、あなただったんですね」
「そうです。もう仲間たちは力の使い過ぎよりも、精神的苦痛が重すぎて、会話すらできない状況なのです」
霓瓏は牢を閉ざしている鍵を破壊し、女性たちを繋いでいる鉄製の足輪を砕きながら、あまりの悲惨な状況に何も言葉をかけることが出来ずにいた。
やっと絞り出したのは「逃げましょう」という一言だった。
霓瓏は彼女たちを幻華天雛内へと保護すると、すぐに祁旌と季翠の元へと向かった。
「殺してやる!」
霓瓏から話を聞いた季翠は憤怒し、剣を手に玄関へと走って行ってしまった。
それを急いで祁旌が制し、「作戦を練らなければ、何もかも言い逃れされるぞ」と諭した。
霊衣族の女性たちがやらされていたのは、娼婦の使い廻しだった。
玄琊郡王は限りなく暴力的な性行為が趣味のようだ。
そのせいでいくつもの妓楼を出入り禁止にされ、憤慨していたらしい。
そこで紹介されたのが、とある官吏の従兄弟が運営している闇娼館。
そこで雇われている女性には、『何をしてもいい』というのがウリだった。
しかし、玄琊郡王はそこでもやりすぎたようだ。
困った官吏は、ある情報筋から、霊衣族の存在を知った。
官吏はその情報を玄琊郡王へと伝え、こうささやいたという。
「霊衣族の力を使えば、どんなに女たちを殺そうと、また生き返らせることが出来るので、お気に入りたちと長く楽しめますよ」と。
そこで玄琊郡王は破落戸共を雇うと、霊衣族が住んでいる隠れ里を襲わせ、男は殺し、子供は売り飛ばし、女たちだけ連れて帰ってきたという。
ただただ、己の悍ましい欲望を満たすために。
「奴と同じ血が流れているなんて信じたくもない! 今すぐに斬らねば気が済まん!」
「深呼吸しろ、季翠。いつも通り、頭を使うんだ」
「ふう、ふう、ふう……。すまない、祁旌、霓瓏。あいつは幼い頃から厄介者で……。清陽王殿下の葬儀の日、乳母の娘を失禁するまで殴って泣かせているのを見た時、私はなりふりかまわず奴を殴り飛ばしてしまったのだ。それ以来、互いの両親が気まずくなってしまってな。あの時殺しておけばよかった。私は奴の残酷さも非道さも知っているのに……。亡くなってしまった女性たちにどう償えばいいのだ……」
「季翠殿、あなたのせいではありません。いいですか、しっかりなさってください。これは皇族の問題です。今ここにいる人間の中で、あの邸に踏み込む地位があるのはあなただけなんです。わたしはおろか、祁旌殿では罰せられてしまいます。しかし、あなたは違う。封じられていないだけで、宗家の人間なのですよ」
季翠は霓瓏の言葉に少し落ち着きを取り戻したのか、強く頷いた。
「わたしがここに戻ってきてから、まだ一時間も経っていません。二十人の女性の遺体があの地下室に放置されたままです。悲しいことですが、大きな証拠になります。動くならば、急がなければなりません」
季翠は剣を置き、鉄扇を手に取った。
いつも戦で使っているものだ。
「祁旌、たしかあのあたりに禁軍大統領の知り合いが住んでいたのではなかったかな?」
「……そうだな。旋風殿の伯母君の家がある」
「深夜の騒音被害は困るよなぁ」
「ああ。迷惑だ。それも、音を出しているのは皇族が住まう邸。皇宮を守護する禁軍に通報が来ても不思議ではないな」
「わが軍と朱燕軍はよく禁軍と演習をする仲だ。一か月後に発つ予定の私が練兵の相談に訪れていても不思議ではない。こんな深夜でも、だ」
「ああ、もちろん。武人はすぐ熱くなるからな。戦のこととなると、時間を忘れて話し込んでしまうのだ」
「私にとって玄琊郡王は一応、従兄弟だ。旋風殿とお前を伴って様子を見に行くのは自然な流れだ。邸内で乱闘が行われ、危険な状況かもしれないからな」
「その通り」
「では、行こうか、祁旌。霓瓏は霊衣族の女性たちの治療を頼む」
「かしこまりました」
背中に鬼を背負った武人が二人、愚かな貴族の元へと向かっていった。
微塵も同情できないが、玄琊郡王は恐ろしい二人を敵に回してしまったことに、あと数十分で気づくだろう。
霓瓏は再び幻華天雛の中へ入ると、もう安全だと理解したのか、少しずつ瞳に光を取り戻しつつある女性たちの治療を始めた。
数か月後、北の戦地で酷く辱められた玄琊郡王の遺体が見つかった。
派遣された戦地で敵に捕まり、酷い拷問を受けてから殺されたようだ。
ただ、何の情報も漏らさなかったという。いや、漏らすような情報を何も持っていなかったのだ。
彼はただの、お飾りに過ぎなかったからだ。
戦自体は慧国側の勝利に終わり、国境線は死守された。
戦乱の世では何が起きるかわからない。
今回の訃報は、それがよくわかる好い事例になったと言えよう。
ちなみに、玄琊郡王を北へと派遣するよう皇帝陛下へ進言したのは、朱燕軍の優秀な軍配者であった。




