第二十六集 幽霊の声
「依頼を持ってきてやったぞ」
「……え、祁禮殿ではなく、祁旌殿が?」
「なんだ、悪いか」
「いえ別に……」
冬の合間に訪れる陽気に目を細めながらお茶をたしなんでいた霓瓏は、意外な展開に暫し思考が停止した。
「その恵まれた容姿と筋肉で解決できないことなどそうそうないでしょうに」
「お前は俺を何だと思ってるんだよ。依頼人は俺じゃない。友人だ」
「ああ、朱燕軍の幼馴染さんたちの誰かですか?」
「いや、琳櫻軍の琳 季翠だ」
「将軍仲間ってやつですか」
「季翠は兄上と同じ軍配者だ。俺なんかよりも相当頭が良い」
「そんな聡明な方がわたしに何を依頼したいと?」
祁旌は少し悩みながら話し始めた。
「なんというか、季翠には昔から霊感のようなものがあってな。そのせいで、よく寝るときにうなされるらしいのだが……。最近、同じ夢のようなものばかり見るらしくて」
「夢のようなもの?」
「どうやら、その……、幽霊? みたいなやつは実体があるようでないようで……」
「はあ」
「とにかく、一度相談に乗ってやってくれないか。一か月後には遠征に出てしまうんだ。今のうちに解決してやりたくて」
「いいですよ。わかりました」
「じゃぁ、さっそく明日頼む」
「今日は駄目なんですか? わたし暇ですよ」
「いや、季翠が忙しくてな」
祁旌が目を逸らした。
霓瓏は「なるほど」と頷きながら、事情を察した。
「……季翠殿も結婚を先延ばしにしているのですね?」
「うっ。よくわかったな……。そうだ。あいつもまだ独身だ」
「最近の若者は晩婚化が進んでますねぇ」
「お前もいずれそうなるだろ」
「失礼な!」
霓瓏は「わたしは早々に可愛いお嫁さんと出会って幸せな家庭を築くんです!」と言いながら、横で干している薬草の乾き具合を確かめた。
祁旌はそれを見て「まぁ、暫くはそんなことにはならなそうだな」とつぶやいて自室へと戻って行ってしまった。
「まったく。困った男ですね……。はっ!」
霓瓏は薬草たちに「君は良い香りがするからお茶用にしようねぇ」などと話しかけながら作業している自分に気づき、少し反省した。
翌日、祁旌に案内され、季翠が住む邸へとやってきた。
琳家と朱家は同じ規模の軍を擁しているとはいえ、その立ち位置的なものは少し違う。
琳家の夫人は長公主、つまりは、皇帝陛下の姉妹なのだ。しかも、宗室。
陛下も長公主も太皇后から生まれた正当な血統ということ。
皇帝家とのつながりは朱家よりも強く、その分、しがらみも多い。
苦労の絶えない家なのだ。
「おお! 来たな」
「季翠様、お久しぶりです」
祁旌がわざとらしく礼をすると、季翠は思いっきり顔をしかめた。
「……様なんてつけるのやめろよー」
「あはははは。わかってるよ。ちょっとからかっただけだ」
「いいから、二人とも早く入ってくれ」
季翠の家は琳侯府のすぐ近くにある。
末子であるが、幼い頃は身体が弱かったため、長公主の願いで近所に建てられたのだ。
祁旌と霓瓏は大きな門をくぐり、敷地内へと入って行った。
「とても風情のあるお邸ですね」
建物に取り囲まれるようにして存在する庭はとても手入れが行き届いており、季節に合った植物が誇らしげに咲いている。
邸自体も、床や梁、柱は艶やかな光を内包しており、大切に住まわれているのが想像に容易い。
「ありがとう、霓瓏。あ、霓瓏って呼んでいいのかな?」
「もちろんです。好きにお呼びください」
「この庭は父上の趣味でね。うちは四人兄弟なんだが、全員の家の庭の草木はすべて父上が選んでいるんだ。まったく。戦場で見る鬼のような姿とは正反対だよ」
「季翠のお父上は毎年江湖が定めている達人格付で、首位になったこともあるんだぞ」
「それはすごいですね」
「そんな、十年以上前の話だよ。今はただただ顔が怖い強いおじさんって感じ」
「仲がよろしいんですね」
「まあね。そういえば、霓瓏はどうして人間の世界へ?」
「うっ……」
霓瓏は思い出したくもない両親からの仕打ちを、ぼそぼそと話した。
「聖域とやらを追い出されたのかぁ。大変だな」
「愛の鞭ってやつらしいですけど、酷いですよね」
「まあ、いいんじゃないか? 楽しいだろう、人間と関わるのも」
「それはそうですけど」
話しているうちに部屋へとたどり着いた三人は、用意されていたふかふかの座布団に座り、向かい合った。
「それで……。なにやらご相談があるとか」
霓瓏が話を切り出すと、季翠は少し困ったように眉根を寄せ、ため息をついた。
「祁旌から少し聞いたと思うが、私は少し霊感のようなものがあってね。昔から見えるはずのないものを感じ取ることがよくあったんだ」
「……そのようですね。力があるのがわかります」
霓瓏が視たところ、微弱ではあるが、季翠には霊能力があることがわかった。
「やはり……。それで、最近困っているんだ」
「なにやら、実体がある幽霊だとか」
「そうなんだよ。女性だとは思うのだが、毎夜現れては『気づいてください……、助けてください……』と言われるんだよ。一度なんか身体を揺さぶられてね。さすがに怖かったよ。でも、居場所を聞こうとすると途端に雑音のようなもので聞こえなくなってしまう」
「ううん。それは妙ですね」
「だろう? 困っているのなら助けてあげたいのだが……」
季翠とは初対面だが、この時点ですでにかなりの善良な人間だということが感じ取れた。
祁旌と気が合うことにも合点がいく。
霓瓏は力になろうと決めた。
「……今夜泊ってもよろしいですか?」
「え? いいのか⁉ むしろ、こちらから頼もうと思っていたところだ」
「おそらく、その女性の周囲、というか、行動範囲にいる頼れそうな霊能力者が季翠殿しかいないので話しかけてきているのだと思います。わたしがいれば、きっとわたしに話しかけてくるでしょう」
「なるほど。では、その女性を救いに行けるんだな?」
「本当に困っているのであれば、はい。ただ、季翠殿はこれ以上関わらない方がいいかもしれません」
「なぜだ」
「霊能力というものは、己の中で肯定すればするほど強まっていってしまうものなのです。今はこの程度で済んでいますが、もし幽霊と関わり続けたら、四六時中彼らの声が聞こえるようになってしまいますよ」
「な、なるほど……。たしかに、幼少期視えはしても聞こえなかったのに、成長するにつれこうなってしまったからな……。わかった。私は手を退こう。ただ、手伝えることがあれば遠慮なく言ってくれないだろうか」
「もちろんです。あ、祁旌殿も一緒に泊まるんですか?」
「え、俺は幽霊とかまったく視えないからいても無意味だぞ」
「呑もう! せっかくだし」
「それなら泊まらせてもらおう」
「どうぞお二人は飲酒してください。わたしは楽しくお仕事しますのでっ!」
「拗ねるな、拗ねるな」
霓瓏が頬を膨らまして口をとがらせていると、二人は「じゃぁ、つまみの材料でも探しに行くか」と言い出した。
「ほら、お前も行くぞ。なんでも好きなもの作ってやるから」
「……それならいいですよ」
酒は飲めないが、祁旌が作るものが食べられるのならそれでいい。
霓瓏は機嫌を直し、二人について行くことにした。




