第二十三集 違和感
「霓瓏!」
「梨琿殿!」
ここは慧国皇宮にある太医院。
霓瓏は常備薬の相談を受けにわざわざ来ていた。
「どうしたんですか? もしやお身体に不調が?」
「ううん。私はとても元気だよ。ただ、霓瓏が来ていると聞いて顔を見にね」
穆 梨琿は央廠という宦官で構成された皇帝直下の監査組織で働く青年で、宦官になってからまだ二年ほどの若輩だ。
霓瓏とは年が近く、さらには物理的に『非力』という点、どんなに鍛えようとしてもまったく筋肉がつかない点、食べることが好きな点で意気投合し、皇宮内で唯一と言える友人。
「昨日帰ってきたんだって? 遠征、どうだった?」
「いやぁ、それがまぁ……。ふふ。あとでお茶でもどうです? 詳しく話しますよ」
「楽しそう! 今日は忙しいので、明日はどうかな?」
「いいですよ。では、いつもの茶屋で待ち合わせましょう」
「いいね。じゃぁ、また明日」
梨琿はたっぷりとプリーツの入った裳を翻しながら去って行った。
「霓瓏先生、もう大丈夫ですかな?」
「あっ、すみません。では、軟膏をあと数種類、足しておきましょう」
太医に睨まれてしまった。
霓瓏は急いで薬草を調合すると、蜜蠟と混ぜ、小さな壺に移していった。
「ふんっ。手際が良いですな」
「ど、どうも……」
太医という存在は、どうも苦手だ。
腕が良いのはわかるが、それを鼻にかけているふしがある。
皮肉や嫌味、監視するような目戦に耐え続けながら二時間。
ようやくすべての常備薬を調合、製薬し終えた。
「じゃ、じゃぁ、わたしはこの辺で失礼しますね。常備薬もいっぱい補充できたようですし……」
「……帰るのを許可してさしあげましょう。では、さようなら」
「あ、はい。さ、さようなら……」
霓瓏は持ってきていた生薬などを素早く片付け、そそくさと家路についた。
「怖い……。初対面でもないのに……」
皇宮を出て、疲れた身体と心を癒すために人通りの少ない道をゆっくり通ろうと歩いて行くと、なにやらとても賑わっている一角があった。
「あれ? あそこは空き地のはず……」
普段ならば家の無い子供たちが屯している空き地に、とても大きなドーム状の建物が建っていた。
「あの、これはなんですか?」
霓瓏は近くにいた人にたずねてみた。
「ああ、兄ちゃん。これは異国で流行りのサーカスってやつらしいぞ」
「さあかす?」
「サーカスって発音するんだと。奇人変人何でもありで、人間だけじゃなく、猛獣とか蛇まで芸をするらしいぞ! あのテントって言う布の建物の中でさぁ」
「へぇ……」
「巡業していて、いろんな国を渡り歩いてるらしいぜ。慧国に来るのは三十年ぶりで三度目って話だ」
「そうなんですね。ふうん」
霓瓏は教えてくれた青年にお礼を言うと、その『テント』とやらの周囲を少し見てみた。
魔法の類が使われている形跡はない。
昨日までは無かったはずのものが建っているのだから、おそらく、簡易的な作りになっているのだろう。
野次馬たちは次々と集まってくる。
すると、テントの中から突然、一輪車に乗った派手な服装の人や、丸い大小さまざまな球を持った人、極彩色な装飾のついた輪を身に着けている人など、十人ほどが出てきた。
その中には、元の顔がわからないほどの白塗りに大きな赤鼻などをつけた、奇妙な動きをする人々も混ざっている。
「……ああ、|道化師か」
霓瓏には見覚えがあった。
北欧の国にいるロキという妖精王が、たまに〈トリックスター〉と名乗り、ああいった奇抜な格好をして人間に悪戯をしていることがある。
「人間の間にも浸透している文化なのかな……」
不思議に思いながらも眺めていると、盛大な音楽が鳴り始め、演舞……、いや、『ショー』というらしい出し物が始まった。
「お、おおお、おおおお」
身体の硬い霓瓏からすると、思わず「ひえっ」と小さく悲鳴が出てしまうほど柔軟能力の高い人々が、次々に人間とは思えない動きをしていく。
「あ、足の間に頭が……」
朱燕軍の中にも、身体の柔らかさを使って宴席で芸をする若者がいるが、その比ではない。
いったい、関節はどうなっているのだろうか。
霓瓏は混乱しつつも、その妙技を楽しく観覧した。
盛り上がりも最高潮に達した時、中央にいた一際派手な男性が前に進み出て、よく通る大きな声で話し始めた。
「どうもごきげんよう! 我々は皆様に最高のエンターテイメントをお届けに参りました、アザームーンサーカスと申します! 明日より一ヶ月間、夕方五時よりここで愉快軽快爽快なショーを行いますので、是非お越しください! 何度でも、驚かせて見せましょう!」
始めは野次馬だった観衆がわっと沸き、配られ始めた宣伝用の紙を我先にと受け取り始めた。
「どうぞ! お兄さんも、是非来てくださいね!」
「あ、ど、どうも」
霓瓏も紙をもらい、ひとまずその場を後にした。
このままいたら、もみくちゃにされそうだったからだ。
「すごかったなぁ……。途中、なんて言ってるかわからなかったけれども」
馴染みのない別の国の言葉が混ざった演説だったため、完全に内容を理解することは出来なかったが、要するに「楽しませます!」ということなのだろう。
「祁旌殿でも誘って一度行ってみようかな」
観覧料もそこまで高くはない。いったい、何で採算をとっているのか、とても謎な集団だ。
翌日、約束通り梨琿と待ち合わせている茶屋へ行こうと部屋で準備をしていると、祁禮が入って来た。
「おお! ついに霓瓏にも恋人が出来たのか⁉」
「え、違いますよ。友達とお茶するだけです」
「だろうな」
「ひ、ひどい! 少しは期待してくれてもいいのでは⁉」
「恋人と会うのにそんなダサい恰好はしないだろう、普通」
「……古風と言ってください」
「まぁ、そんなことはどうでもよくて。霓瓏、央廠に友達いるだろ?」
「いますよ。まさにその友達とお茶するんです」
「ああ……。じゃぁ、聞いておいてくれ」
「何をです?」
「昨日、央廠の太監が一人亡くなったんだ」
「え!」
「毒酒をあおった自殺なのでは、と噂が立っているが……。相当優秀で年齢的にもあと五年は働けただろうって人物だから、まさか自ら死を選ぶ理由なんてないのではないか、と、私と父上は思っている」
「な、なるほど……。話してくれるかはわかりませんが、まぁ、雑談がてら聞いてみます」
「よろしく。あ、そうそう。その簪はやめたほうが良いと思うぞ。隠居している爺さんみたいだ。私の鼈甲のを貸してやるから、それをつけていけ」
「え、あ、はい……」
祁禮にダメだしを喰らい、少々落ち込みながら、言われた通りに着替え直し、外へと出た。
悔しいが、たしかに、祁禮が見立てた格好の方が、若者らしさが出ている。
「お洒落がわからない……」
霓瓏は溜息をつき、茶屋へと向かった。
昼時なので、街は賑わっている。
人の間を縫うようにして進むと、茶屋の中から手を振る梨琿が見えた。
「昨日ぶりだね、霓瓏」
「遅れてしまい、すみません」
「いやいや。実は私も来たばかりなんだ。噂は聞いているかい?」
「ああ……。あの、太監の」
「そ。朝から全員の机やら部屋やらを錦鏡衛に調べられてさ。事情聴取もあったんだよ。はぁ、疲れたぁ」
「え、じゃぁ……」
霓瓏は小声で尋ねた。
「錦鏡衛、というか、陛下は殺人事件だって思ってるってこと?」
「そうみたい。長く働いていた人だから、色々恨みも買っているのかもね」
「そうかぁ……。大変ですね」
「まあね。央廠は人に言えないようなこともする部署だから、仕方ないんだけどね」
「おお……。密偵とかですか?」
「それは秘密」
「なんだか小説の世界ですね」
「あはは。たしかにそうかも」
二人はいつものように食事と会話を楽しむと、一時間ほどで解散した。
梨琿は昼休憩になんとか皇宮の外に出られただけで、まだいろいろと仕事は山積みらしい。
亡くなった太監はよほどの大物だったようだ。
「このあとどうしようかなぁ……」
霓瓏はもう少し一緒に居られると思っていたので、急に暇になってしまった。
どうしようかと歩いていると、あのサーカスのテントが目に入った。
夕方まではまだまだ時間がある。
祁旌宅への帰り道ではあるので、少し近寄ってみると、何人か掃除をしている団員を見かけた。
(顎のところに白いものがついてる……。ああ、道化師の中の人か)
化粧を完全に落とし切れていないのだろう。
中年の男性が黙々とテント周辺の枯葉をかき集めている。
(……中原の人では?)
どこからどう見ても、中原大陸でよく見る顔立ち。
派手な衣装を着て芸をしている団員たちとは髪の色も目の色も違う。
霓瓏は話しかけてみようと、さらに近づくと、そこへ、あの司会の男が現れた。
「すみませんお客様。開演はまだなのです」
「あ、いえ、すみません。えっと……」
司会の男性はちらりと後ろを振り返ると、すぐに霓瓏の方へ顔を向け、にこやかに話した。
「我々は様々な国で仲間を募集しておりますので、もちろん、中原大陸の人間もおりますよ」
「ああ、そうなんですね。……あ、えっと、今度友達と観に来ます」
「わお! お待ちしております」
大きく手を振りながら見送られ、霓瓏は家へと向かった。
胸の中に、何か言い表せない違和感と、あまりよくはない予感めいたものを感じながら。




