第二十一集 疑惑
「わあ……、超吹雪」
横殴りの雪が、軍幕を降らしながら降り注いでいる。
「今日は演習できませんね」
「というか、何もできないな……」
兵士たちは軍幕から一歩も出ることが出来ず、甲冑の整備や剣を手入れするなどして、おとなしく過ごしていた。
「なんかこう、天気を良い感じにする術とか」
「ありますけど、それをすると他の地域が被害にありますね」
「じゃぁいい」
「ふふふ。祁旌殿はお優しいですね」
「普通だ」
霓瓏は昨日の夜からずっとすべての軍幕に強固の呪いをかけて護っているので、少し眠い。
「寝ていてもいいんだぞ、霓瓏」
「いえいえ。このまったりとした時間を堪能してるんです」
「まったり、ねぇ。……走ってこようかな」
「馬鹿なんですか? 脳味噌まで筋肉なんですか?」
「ぐっ……。だって、強い風の中で走ると、体幹を鍛えられるんだぞ。こう、揺れないように踏ん張るから」
「いいですか、祁旌殿。今外に吹き荒れているのは風だけではなく、雪や雹です。死にますよ」
「……ちぇ」
「将軍なんですから大人しくしていてください」
「わかってるよ」
祁旌は祁禮に勧められて持ってきていた本を手に取り、静かに読みだした。
霓瓏は「では、自分の軍幕に戻りますね」と小声で伝え、そっとその場を後にした。
「ううん、視界が悪い」
霓瓏はすぐそこにある自分の軍幕も見えないほどの吹雪に、顔をしかめながら歩いた。
「霓瓏先生! 歩き回らないでください!」
「あ、すみません! すぐに軍幕に入ります!」
こんな中でも見張りをしている真面目な兵士に注意されてしまった。
今日は短時間ずつで交代をして見張りをしているらしい。
朱燕軍は本当にしっかりした軍だ。
「うう、寒かった」
霓瓏は自分の軍幕……、の中にある仙子族だけが持つことが出来る亜空間、幻華天雛へと入り、薬草畑の手入れを始めた。
つい数か月前まではこの幻華天雛のことは誰にも言っていなかったのだが、祁旌と祁禮には伝えておこうと思い、中へと招待したのだった。
始めは言葉も出ないほど驚いていた二人だったが、慣れると「ここも薬草くさいな」とか、「女の子を連れ込んだりはしないのかな?」などと言いだしたので、丁重に追い出した。
「あの二人はどうしてわたしをもっと利用しないのだろうか」
先ほどの祁旌もそうだ。
天気を変える術を使わせればいいのに、そうはしなかったし、それに、幻華天雛の中に避難させろ、なども言わなかった。
言い方はおかしいかもしれないが、どういう育て方をすればあんなにも器の大きな人間に成長させることが出来るのだろうか。
霓瓏はたまに思う。
自分ももっと両親にとって誇りとなれるような育ち方が出来ていればよかったのかな、と。
「……兄上や姉上が立派だからいいか!」
いつもの帰結。
霓瓏は薬草をいくつか収穫しながら、楽しく過ごした。
気付けば昼時。
軍幕の外へ顔を出してみると、吹雪は収まり、大きな牡丹雪が舞う美しい景色へと変わっていた。
「わあ……」
兵士たちも外へ出て、身体を動かし始めている。
「祁旌殿は……。あ」
上半身裸で走っている男たちの集団の先頭に、彼はいた。
「怖い寒い嫌」
どうして朱燕軍の武人はこうも己を追い詰め高めるのが好きなのだろうか。
せめて服は着た方が良いと思う。
「霓瓏先生、鼻水が止まらなくなってしまいました……」
何人かの兵士が体調を崩してしまったらしい。
霓瓏はそれぞれの治療にあたった。
みんな熱などはなく、ただ身体が冷えてしまっているだけだったので、棗酒を飲ませて休ませた。
「……お腹空いたなぁ」
祁旌たちは吹雪が終わり、外に出られるようになったことがよほど嬉しいのか、今度は組み手を始めてしまった。
「ご、ごはん……」
他の兵士たちも思い思いに身体を動かし、軍幕に降り積もった雪を降ろすなど、仕事をしている。
「え、ごはん……」
悲しい顔をしているのは霓瓏だけのようだ。
「き、祁旌殿……」
演習場の方へと近づいて行こうとしたその時、好い香りが漂ってきた。
「ご、ごはん!」
どうやら祁旌は忘れていなかったようだ。
下ごしらえをした後、運動を始めたらしい。
炊事場の兵士たちが料理を作っているのが見える。
「……でももう少し時間がかかりそうだなぁ」
霓瓏は考えた。
自分が手伝えば、はやく食事にありつけるのではないか、と。
炊事場へと近づいていき、声をかけた。
「あの、お湯とか沸かしますよ」
すると、兵士たちは微笑みながら少し困ったように言った。
「霓瓏先生、大丈夫ですよ。なるべく急ぎますからね」
「それに、霓瓏先生をそういう、なんていうのか、道具のように扱いたくないんです。大切な朱燕軍の仲間ですから」
「私たちでも火は起こせますし、お湯も沸かせます。出来ることは、自分たちでやらないと」
「ゆっくりなさっていてください」
霓瓏は「これ、味見してもいいですよ」と白菜の漬物を小皿に分けてもらい、その場を後にした。
心が、驚くほどにあたたかくなった。
白菜が美味しい。
少し、涙が出た。
彼らは過酷な戦乱の世にあっても、清らかな心としなやかな精神を持っている。
「わたしも頑張ろう。もっと素晴らしい薬術師になろう!」
雪が頬に触れ、溶けていく。
午後、さっそく近隣の村へと回診に向かった。
朱燕軍の兵士たちも雪下ろしや道の雪かきをするというので、結構な大所帯となってしまったが、村の人々はとても喜んでくれたようだ。
幸い、ひどく体調を崩した人はいなかったらしい。
村長へ薬酒を数種類と、基本の常備薬を渡した。
「朱燕軍のみなさんが来てから、ただ家の中で過ごすだけだった冬が楽しくなりました」
「それはよかったです」
「あわよくば、誰か婿に来てほしいものです」
「あはは。朱燕軍の若い人たちは独身者も多いですからね」
世間話をしていると、ふと、村長が不思議な話を始めた。
「ここら辺は百年くらい前までは『宸』という小国だったんですけど、つい最近、その頃の木簡が見つかったんです。古い枯れ井戸の底から」
「へえ! すごいじゃないですか」
「でしょう? でも、保存状態があまりよくなくて、半分も読めないんです。占星術師が書いたってことだけは署名から読み取れたんですが……。霓瓏先生、見てみてくれませんか」
「もちろんいいですよ」
村長は席を立つと、数分で戻ってきた。
腕の中に、木簡がおさめられているだろう箱を抱えて。
「これなんですけど、ちょっと変なところがありまして」
「変なところと言うと?」
「長く手に持っていると、だんだんと抵抗してくるんですよ」
「抵抗?」
「手から逃げ出そうとするんです」
「それは変ですね」
「どうぞ、見てみてください」
「では、拝見します」
村長から箱を受け取ると、霓瓏の腕に鳥肌が立った。
(わあ、なんだろう。呪かな?)
箱を開け、中から木簡を取り出すと、たしかに文字が掠れている。
「……あ」
「あああ!」
村長が叫んだ。
なんと、霓瓏が木簡に触れると、文字が輝き出し、元の文章が綺麗に浮かび上がってきたのだ。
「す、すごいですね! さすがは薬術師様」
「いえいえ。多分、何かの呪いだと思います。これ、数日預かってもいいですか?」
「もちろんです。むしろ、都へ持って帰っていただいてもかまいません」
「わかりました」
霓瓏は急いで木簡を巻きなおすと、箱へ戻し、「では、駐屯中にまた回診に来ますね」と言い、その場を後にした。
朱燕軍の駐屯地へ着くと、すぐに自分の軍幕へと入り、幻華天雛内にある屋敷へと向かった。
室内へ入るや否や、すぐに箱を開け、中の木簡を机の上に広げた。
「やっぱり……。これは丹薬の調剤方法とその記録だ……」
丹薬とは、別名、『不老不死の霊薬』と呼ばれており、その名の通り、服薬すれば不老不死の力を手に入れられると言われているものだ。
「宸国の皇帝はこれを太医院の医師と占星術師たちに研究させていたんだ……」
丹薬の材料は〈人間〉だ。
それも、八歳から十四歳の少年少女。
宸国皇帝は子供たちを宮女と宦官として宮城へ招き、丹薬の材料にしていたのだろう。
「三月に百八十人、七月に二百四十人、八月に三百十人、十一月に……、六百人」
どれもあまり裕福とは言えない地域の農村から子供を連れてきている。
親が売ったのだ。
口減らしと自分たちの生活費のために。
集められた子供の多くは少女だった。
少年はいずれ重要な労働力となる。兵役に出し、出世すればさらに良い稼ぎ頭となってくれる。
過酷な現実が、研究資料として現れていた。
「霊能力や魔力、そういった力を持つ者だけが読めるように、呪いをかけたんだな」
この木簡が村長の手から逃れようとしたのは、おそらく、万が一にも〈人間〉に読み解かれないようにするためだろう。
「すでに滅亡した国の資料だとしても、恐ろしすぎる。一応、祁旌殿に渡すか」
ここで、ふと霓瓏はあることを思い出した。
「そういえば、宸国の妃嬪たちはどうなったっけな……」
本棚にある書物から中原の歴史が記されたものを何冊か取り出し読み始めた。
これらの書物は仙子族が変遷したもの。
人間たちの書物よりも、多くの知識や事実が淡々と記されている。
まさに、仙子族による『人間観察手帳』だ。
「皇后は側付きの宮女たちや子供と一緒に自死したのか……」
歴史書によると、妃嬪たちの何人かは慧国の奴婢となり、寒扇廷へと幽閉されたようだ。
「……なんてことだ」
寒扇廷の記録を見てみると、妃が一人と嬪が三人幽閉され、その後、嬪の三人は病で死亡。
妃は遊女として妓楼へ送られ、その後、隣国の商人に身請けされている。
「妃は宸国皇帝に最も愛されていた寵妃だったのか。それなら、きっと研究のことも知っていたはず……」
妃が身請けされた商人がいる国が、今まさに朱燕軍と川を挟んで睨みあっている対岸の国だ。
「偶然ここを通りかかった元妃が木簡を村に隠した……、とかじゃないよね? 子孫に託すために……」
商人ならば、国家間の争いなど関係なく貿易で村々を行き来するだろう。
その旅程に妻がついて回っていてもおかしくはない。彼女は村に滞在した時に隠したのだろう。
内容を知らなければ、隠す価値などないものだからだ。
「……まさかねぇ」
霓瓏は飛躍しすぎた考えを頭の中で笑い飛ばすが、それでも、浮かんだ可能性は消えてくれない。
「あの妖術師、最近雇われたんだよね、たしか。妖術の修業にはお金も必要。でも実家が商家で太ければ問題ない……」
薄給でもあの場に居続ける理由ってなんだ? と、さらに疑問がわいてくる。
「丹薬の資料を持って帰ってこいとかだったら……」
あの妖術師の本当の雇い主が、軍ではなく、国、つまりは皇帝だったとしたら……。
霓瓏の中に生まれた嫌な予感が、警鐘を鳴らし始めた。




