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養花天の薬術師  作者: 智郷めぐる
第一章
21/33

第二十集 虫鬼

 北東の国境線を護り始めて二週間。

「なんか、暇だな」

「いいことじゃないですか」

 祁旌(きせい)のいぶかしむ目をかわしながら、霓瓏(げいろう)は今日もお茶を啜っている。

 先日、向こう岸の妖術師にちょっとした意見を述べたところ、一日に一回は来ていた船による偵察部隊もまったく来なくなったのだった。

「何をしたんだ」

「別に? お互い、頑張りましょうねって言っただけです」

「本当か……?」

 祁旌(きせい)霓瓏(げいろう)を見ながら、ふぅっとため息をついた。

「お前が俺たち朱燕軍を大事に想ってくれているのはわかってるが、あまり無茶はするなよ」

「大丈夫ですよ。わたしはわたしの家を護っているだけですから」

 祁旌(きせい)はカラカラと笑う霓瓏(げいろう)を見て苦笑すると、本日も演習場へと向かって行った。

「当面の敵は、そろそろ動き出す鬼魅(きみ)たちでしょうねぇ」

 霓瓏(げいろう)は白い息を吐き出しながら、干してある薬草の状態を確かめた。

「解毒薬がちょっと足りないかな……」

 この駐屯地に着いたその日に、周辺の村に住む住人たちの体調改善を行い、かなりの量を使ってしまったのだ。

凍血(とうけつ)系の毒を使う魑魅(すだま)とか出たら困るなぁ……」

 こういうとき、口にするとそれが現実になるなんてことが物語などではよくあるけれど、例に漏れず、霓瓏(げいろう)の心配は現実のものとなってしまった。

 演習場の方が騒がしい。

 ふとそちらに目を向けると、初めて朱燕軍の軍幕を見た時同様、〈病〉が醸し出す灰色のような嫌な靄が漂い始めていた。

 太桃矢(タイタオシー)に乗ってすぐに向かうと、すでに三人の兵士が真っ青な顔をして倒れていた。

霓瓏(げいろう)! いきなり意識を失って……」

凛冽虫(リンレツチュウ)ですね」

「りんれつちゅう?」

「そうです。魑魅(すだま)の一種で、人間の血を吸う代わりに、体内に凍血(とうけつ)毒を残していくんです。また吸いに来るために、獲物を仮死状態にするんですよ」

「治せるか?」

「誰に聞いてるんですか。もちろんで……」

 その時、祁旌(きせい)がふらりとよろめき、膝から崩れ落ち、倒れた。

「き、祁旌(きせい)殿!」

 霓瓏(げいろう)は一番近くにいた衛生兵に凍血(とうけつ)毒の解毒薬を渡すと、すぐに祁旌(きせい)の脈を測った。

「熱い。……白虹鬼虫(はっこうきちゅう)だ」

 白虹鬼虫(はっこうきちゅう)凛冽虫(リンレツチュウ)の中に生まれてくる女王蜂のような存在で、その力は鬼魅(きみ)に分類される。

 血を吸う際、凍血(とうけつ)毒を残すのまでは同じだが、あたたかい血を好むので、その毒と相反する効果を持つ発熱性のある細菌を獲物に注入する。

 そのせいで、刺された獲物は灼熱の体内を極低温の血液が流れる痛みに耐え続けなくてはならなくなる。

祁旌(きせい)殿を軍幕まで運んでください。その間に、みなさんは順番に予防薬を飲んでください。すぐに!」

 いつもとは違う緊迫した雰囲気に、兵士たちは霓瓏(げいろう)の言葉に従って動き始めた。

 霓瓏(げいろう)は予防薬を薬缶で煮出し、衛生兵に配らせ、そのまま祁旌(きせい)が運ばれて行った軍幕へと入って行った。

祁旌(きせい)殿、聞こえますか? 意識を失っては駄目ですよ」

 痛みに耐えながら、祁旌(きせい)は頷いて見せた。

「今から薬を調合しますが、完治には足りません。でも、内功の強い祁旌(きせい)殿ならば、充分乗り越えられます。いいですか、どんなに痛くても、気絶だけはしないでください。わたしが寝て良いと言うまでは、意地でも起きていてください」

「わ、わかった」

 祁旌(きせい)は血管を針で刺されるような痛みを全身に感じながら、布を噛み、歯を食いしばった。

 霓瓏(げいろう)(くう)から取り出した百味箪笥から次々に生薬を取り出すと、潰し、()り、練ってから清潔な木綿で包み、絞った。

「いいですか。今からこれを血管内に直接注入します。ひどい眩暈もするし、頭も痛くなるし、とにかく副反応が激しいです。耐えてください」

 霓瓏(げいろう)太桃矢(タイタオシー)を小さく縮め、祁旌(きせい)の腕にある一番太い血管から薬液を注入した。

 仙術で力を増し、その効能を高めていく。

「んぐうううううう!」

 激しい痛みに祁旌(きせい)が布を今にも噛みちぎってしまいそうだ。

「さぁ、頑張ってください。祁旌(きせい)殿なら大丈夫です」

 必死で歯を食いしばる祁旌(きせい)の手首に触れる。

 脈は速いが、血管から冷たさがひいていくのがわかる。

「さすがです。あなたは強い」

 顔から汗が吹き出し、瞳が充血しているが、体温も徐々に正常な値へと戻っている。

祁旌(きせい)殿には少し少ないくらいがちょうどよかったみたいですね」

「ふう、ふう……。嘘つけ」

「あはははは。もう大丈夫ですよ。ただ、白虹鬼虫(はっこうきちゅう)を探して駆除しないと、他の人も被害に遭います。早く元気になって、討伐に出ましょう」

「ああ、わかった」

「じゃぁ、寝てもいいですよ」

「ああ、わかっ……」

 すう、すう、と、規則正しい寝息が聞こえてきた。

「多分、何をしても一時間は起きないでしょうから、その間に身体を拭いて着替えさせてください」

 霓瓏(げいろう)は衛生兵にあとの処置を任せると、すぐに軍幕から出た。

「他に体調不良の人はいませんか⁉」

 衛生兵が三人手を挙げた。

 それぞれの場所には二人から三人ずつ兵士が倒れている。

 霓瓏(げいろう)は解毒薬をさらに追加で調合し、衛生兵に余分に渡した。

 その後、すぐに健康な兵士たちを集めると、虫について説明を始めた。

凛冽虫(リンレツチュウ)(きん)製のもので叩けば簡単に殺せます。ただ、白虹鬼虫(はっこうきちゅう)は知能があるので、簡単にはいかないでしょう。これが標本です」

 霓瓏(げいろう)(くう)からピンでとめたそれぞれの虫の剥製標本を取り出すと、兵士たちに見せた。

「この口の部分にある針に気を付けてください。白虹鬼虫(はっこうきちゅう)は見つけても無理はせず、距離をとって可能なら捕獲をお願いします」

 兵士たちは力強く返事をすると、すぐに隊を組んで動き出した。


 陽も完全に落ち、あたりには篝火が煌々と光を放っている。

「みなさん、本当にお疲れさまでした。お湯をたくさん用意してあるので、お風呂に入ってください」

 霓瓏(げいろう)は疲れて帰ってきた兵士たちを労うために、ろ過した川の水を大量に使って湯船を用意しておいた。

「おおお! 霓瓏(げいろう)先生、ありがとうございます!」

「風呂だあ!」

「綺麗なお湯の風呂なんていつぶりだろうか……」

 朱燕軍は湯船に浸かるのは五日に一度。身体を清潔な湯と布で拭き清めるのは二日に一度。

 湯船は階級によって入る時間が決まっているので、どうしても、末端の兵士の順番が来る頃にはお湯に垢が浮いている。

 それでも、あたたかなお湯に浸かれるというのは、限られた物資の中でやりくりするしかない状況においてはとても貴重なことなのだ。

「薬湯ですから、ちょっと傷にしみるかもしれません。でも、しっかり肩まで浸かって、疲れをとってくださいね」

 霓瓏(げいろう)の仙術により、お湯は絶えず注がれ続けているので、だれがどの時間(タイミング)に入っても、お湯は新しいものに入れ替わっているという寸法だ。

「大盛況だな」

「あ! 祁旌(きせい)殿。お元気になられましたか」

「もう大丈夫だ。心配をかけたな。それに、貴重な薬草を遣わせてしまった」

「いえいえ。薬とは使うためにあるのですから」

「お湯は一般の人々にも配ってくれたのか」

「もちろん。祁旌(きせい)殿ならそうしてくれと言うと思いまして」

「なんだか、心を読まれているようで気持ちが悪いな」

「失礼な!」

「あはははは」

 祁旌(きせい)はいつもの豪快さを取り戻したようだ。

 霓瓏(げいろう)はホッとしながら、二回目の予防薬を煮出し始めた。

「それで、虫どもはどんな感じだ?」

凛冽虫(リンレツチュウ)はけっこう退治できたようです。白虹鬼虫(はっこうきちゅう)は捕獲こそできなかったものの、巣を見つけてくれた隊がありまして。夜のうちに行ってこようかと思っております」

「……は? ダメだ! こればかりは行かせられない!」

「あのですねぇ、祁旌(きせい)殿。彼らのような虫は仙子(せんし)のことは刺さないんですよ。何故なら、血が煙なので。ということは? わたしが行くのが一番安全で確実だということです」

「俺も行く。断らせないからな」

「病み上がりの人に行く許可を出すとでも? 薬術師として、却下です」

「将軍は俺だ。行く」

「……はぁ。まったく。どうしてそう頑固なんですか」

「お前もな」

「それを言われると、もうどうしようもありません」

「だろ? じゃぁ、行こう」

「護衛もつけずに? わたしは本当に大丈夫ですが、祁旌(きせい)殿は何人か近衛を連れて行った方がいいですよ」

「……絶対?」

「ううん……。何回排尿しました?」

「えっと……、薬の効果で少し朦朧としながら厠へ向かったから、正確には覚えていないが、五回は行ったと思うぞ」

「じゃぁ、白虹鬼虫(はっこうきちゅう)発情誘発分泌物(フェロモン)は体内から消えてそうですね」

「そ、そんなものまで体内にあったのか……」

「一種の(マーキング)ですね。再び吸いに行くときに見つけやすいようにするんです」

「そういうことか……。急に悲しくなってきたよ」

「まぁ、女性がつけてくれる接吻の印(キスマーク)とは違いますからね」

「……もう行こうぜ」

「はいはい」

 祁旌(きせい)は最低限の装備だけ身に着けると、本来は演舞用の(きん)で出来た剣を持ち、霓瓏(げいろう)と共に針葉樹がそびえる森の中へと入って行った。

 途中、何人もの兵士が「お供します!」と駆け寄ってきたが、祁旌(きせい)は「ゆっくり休んでおけ」と言って帰していた。

「愛されてますねぇ」

「まあな。俺もあいつらが大事だ」

「いいことです」

「で、作戦は?」

「巣を夜のうちに松脂で封をして燃やすのが一番なんですけど……」

 霓瓏(げいろう)の目から何かを感じ取ったのか、祁旌(きせい)は小さくため息をついた。

「何か採取したいんだな?」

 祁旌(きせい)の問いに、霓瓏(げいろう)は元気よく答えた。

「その通り! 貴重なんです! 彼らは人間の血液だけでなく、花々の蜜も吸うんです。そして、その蜜で子育てするんですけど、その蜜には毒が含まれていて、これがまた薬効の高い良い薬になるんです!」

「あいつらの毒ってことか?」

「いえいえ。花々にある毒です」

「え、毒草の蜜を吸うのか」

「そうです。彼らは毒に耐性があるので、吸っても大丈夫なんです」

「ってことは……、奴らは蜂みたいに蜜を巣にため込んでるってことで……」

「そうなんです。だから、巣が欲しいんですぅ」

 まるで小動物のような可愛らしい目で見つめてくる霓瓏(げいろう)だが、祁旌(きせい)には頭痛の種にしかならない。

「……まったく。面倒な」

「いいじゃないですかぁ」

「わかった。わかったよ」

「わあい!」

 祁旌(きせい)は喜ぶ霓瓏(げいろう)を見ながら、大きくため息をついた。

 巣のある場所は森の奥。

 大きな岩の側だと報告があった。

「あれですね」

 茶色の大きな巣。

 祁旌(きせい)はとても嫌な予感がした。

「あれってさ、もしかして……」

「そうです。人間の骨を使って作られた巣です」

「な、なるほど。だから人間の形をしているんだな」

 まるで木に吊るされている何人もの人間のようにみえる巣。

 それもそのはず。

 白虹鬼虫(はっこうきちゅう)たちが殺した人間の骨を核にして出来ているのだから。

(おぞ)ましいな」

「まぁ、人間も動物の内臓を水筒に加工したりしますし。同じですよ」

「えええ……」

 こういうところの感覚はやはり〈人間〉と〈仙子(せんし)〉では違うらしい。

 霓瓏(げいろう)は特に精神的な負荷(ダメージ)は負っていないようだ。

「では、せっかく松がいっぱい生えているので、それを燃やして巣を燻しましょう」

「煙で追い出すんだな」

「その時に、行動を阻害するような薬草も一緒に燃やすので、多分、パタパタと地面に墜落するはずです。でも、白虹鬼虫(はっこうきちゅう)は頭が良いので、煙を吸わずに脱出する可能性もあります」

「それを俺が斬ればいいんだな」

「その通りです。よろしくお願いします」

「はいよ」

 二人はそれぞれ配置につき、作戦が始まった。

 結果から言うと、大成功。

 凛冽虫(リンレツチュウ)は地面に落ち、そのまま動かなくなった。

 白虹鬼虫(はっこうきちゅう)は案の定、飛び出してきたが、そこを祁旌(きせい)が美しい太刀筋で斬り伏せた。

 二人は穴を掘り、虫たちをそこへすべて投げ入れると、火をつけ、松の葉をかぶせた。

「わあい! 巣だ! 蜜だああ!」

「よかったな。でも、そんな大きなもの、どうやって持って帰るつもりなんだ?」

 巣は成人している人間五人分ほどの大きさがある。

「……わたしが仙術師だってことお忘れですか?」

「あ」

「こんなもの、浮かせて持って帰れるんですよ!」

 霓瓏(げいろう)太桃矢(タイタオシー)を掴むと、一振りした。

「そうかそうか。はいはい、よかったな」

「ふふふんっ!」

 二人は「ちなみに、俺はその蜜をつかった薬を飲む可能性はあるのか?」「え、ありませんよ。だって、この蜜は塗り薬に使うんですもん」などと話しながら、朱燕軍の元へと帰って行った。

 すでに朝陽が昇ろうかという、黎明の時間に。


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