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養花天の薬術師  作者: 智郷めぐる
第一章
16/33

第十五集 手向け

「いませんね……」

 簫候府(しょうこうふ)慈志(じし)の姿はなかった。

 霓瓏(げいろう)が感じた嫌な予感を、祁旌(きせい)も感じ取ったらしい。

「城に……、行ってみないか」

「そうしましょう」

 眼下では、祭の火が次々と消され、また明日のためにみな眠りにつき始めている。

 風が木々を揺らす音が大きくなっていく。

 夜が更けていく。

 霓瓏(げいろう)太桃矢(タイタオシー)を操りながら、速度を速めた。

 腹部に巻き付く祁旌(きせい)の腕にも、緊張を感じる。

「……あそこですね」

 光が漏れている個所が一つ。

 そこはまさに、玲国皇帝が政務を行う部屋。

「衛兵がいない!」

「穀物倉庫でしょうか。火の手が上がっていますね」

 乾いた空気に焦げ臭いにおいが漂っている。

「あいつ、目くらましに火をつけたのか……」

「まだそうときまったわけではありませんが、わたしも同意です」

 祁旌(きせい)の声が悲しみと悔しさに染まっていく。

「窓を蹴り破って入りますよ」

「ああ。そうしてくれ」

 朱色の見事な装飾が施された窓枠。

 霓瓏(げいろう)太桃矢(タイタオシー)で速度を上げたまま、足を突き出し、窓を蹴り破った。

「誰だ!」

 祁旌(きせい)にとって、聞きたくなかった声がした。

 目の前に広がる光景も、信じたくないものだった。

「父上!」

 祁旌(きせい)の叫びを、慈志が剣を上げて制する。

「……どうして来た、祁旌(きせい)

「何をしてるんだ、慈志!」

 慈志はすぐに冷静さを取り戻したようだ。

 いや、冷徹さ、と言った方が合っているかもしれない。

「手紙、読んだんだろ?」

「お前だったのか……」

「字で露見しないよう、別の者に書かせたんだ。書いた者はもうこの世にいないけどね」

 ふっと空気が抜けたように微笑む慈志は、心のどこにもあの優し気な青年は残っていなかった。

「父と母に恨みはない。いや、この言い方だとややこしいか。育ての父と母、と言うべきかな。彼らは、僕を引き取った三年後に弟が生まれても、僕のことを実の子のように愛し続けた。そして、今もそれは続いている。ありがたいことだと思うよ」

 悲しい瞳。

 鮮血に染まる手。

 呻きながら倒れているのは、玲国皇帝。

 それを守るように剣を構えている祁光(きこう)の表情は、ひどく苦悩に満ちていた。

「父上!」

 駆け寄ろうとする祁旌(きせい)を、祁光(きこう)が左手を上げて制する。

 今以上に、状況を悪くしないためだ。

「なぜ、御爺様を……、簫安君(しょうあんくん)を殺めたのですか」

 霓瓏(げいろう)の淡々とした問いに、慈志(じし)は自嘲気味に答えた。

「母上を見殺しにしたからだ」

「それは、優苑公主(ゆうえんこうしゅ)のことでしょうか」

「ああ、そうだ。ある日、慧国へ逃がすという名目で、母は連れ出された。朱家で匿うという約束だったらしい。でも、簫安君(しょうあんくん)は朱燕軍への引き渡し場所へは行かなかった。途中にある湖のほとりで休憩中に毒酒をあおらせ、意識を失った母を水中へと沈めたのだ!」

 祁旌(きせい)は目を見開き、自身の父親を見つめた。

「大丈夫だ、祁旌(きせい)。君の父上は本当に何も知らなかったらしい。盗賊に襲われたように偽装した玲国の馬車を見て、それを信じただけなのだ。君の父親だけだよ。たった一ヶ月(ひとつき)ではあったが、母のために喪に服してくれたのは」

 祁旌(きせい)は瞳から大粒の涙を流した。

 父は、誰にも言えないまま、たった一人で悲しみに暮れていたというのか、と。

「すべてそいつから聞き出したんだ」

 そういって慈志が剣で示したのは、玲国皇帝、いや、実の父親だった。

「そいつは母が亡くなったことを簫安君(しょうあんくん)に問いただしもしなかった! ただ、新しい(きさき)たちと子供、そして皇帝の地位のために事実を黙殺したんだ!」

 玲国皇帝は、切り裂かれた腹部を抑えながら、荒い息を漏らした。

「す、すまなかった……」

「今更⁉ その言葉に何の意味がある!」

「わ、私が、め、命じたのだ。ゆ、優苑ゆうえんを、こ、殺せと」

 その場にいた誰もが皇帝の言葉に動きを止めた。

「ゆ、優苑ゆうえんは、お、お前を使い、や、夜佳(やか)族、を、復興させ、玲国を、滅ぼそう、と、していた、のだ。わ、私は、絆されただけ、だったのだ。愛されてなど、い、いなかった。か、彼女が、欲しかった、の、は、わ、私の、血筋、だけ……」

 失血が多すぎる。

 このままでは、玲国皇帝は助からないだろう。

 霓瓏(げいろう)は空気も読まず、皇帝と祁光(きこう)の傍まで歩いて行った。

「な、何をしている!」

「見てわかるでしょう。治療です」

――薬霓空華(やくげいくうげ)

 霓瓏(げいろう)は皇帝を眠らせ、止血を始めた。

 このままおしゃべりを続ければ、確実に血は流れ続けてしまう。

「そんな奴、何故救うんだ!」

「怪我人だからですよ。そして、僕が薬術師だからです」

「でしゃばりやがって! お前も殺すぞ!」

「そうはさせん!」

 一瞬だった。

 祁旌(きせい)が慈志に飛びつき、思いっきりその顔を殴った。

 慈志の口から歯が飛んでいく。

 血しぶきが床に飛び散り、慈志は剣と意識を手放した。

「父上!」

 祁旌(きせい)が近づくと、「急いで医官のところへ運ぶんだ!」と祁光(きこう)が言うので、霓瓏(げいろう)が間に入った。

「手遅れになります。ここで治療するので、誰か皇帝陛下と血の繋がっている成人済みの方を連れて来てください」

「それは……」

霓瓏(げいろう)の言うことに従いましょう。父上」

「わ、わかった。すぐに連れてこよう」

 二人はすぐに駆けだした。

「その間に、可能な限りあなたの血を増やしましょう。少し薄くはなってしまいますが、失血死するよりましです」

 苦しそうな寝息を立てて眠っている皇帝に話しかけながら、霓瓏(げいろう)は仙術を使い続けた。

 数分後、皇帝の兄弟姉妹(きょうだい)が三人寝間着姿のままやってきた。

「な、なんてこと!」

「お静かに願います。奇妙に聞こえるかもしれませんが、お三方の血を見させていただきたいのです」

「ち、血ですって⁉」

「この少年は何を言っているのだ!」

「緊急事態なので致し方ありません。わたしは仙子(せんし)族です。さぁ、これが証拠です」

 霓瓏(げいろう)は自身の腕を浅く切り、血煙(けつえん)を出して見せた。

「な! じ、実在するのか!」

「驚くのは後でお願いします。いいですか、よく聞いてください。今、陛下は死にかけています。お三方のうち、一人でも血の型が合わなければ、このまま諸外国に崩御の報を触れ回らなければならなくなりますよ」

「血の型……?」

「そうです。人間にはいくつかの血の型があり、同じか汎用性の高い型であれば輸血出来るのです」

「そ、そんな、魔術のような……」

「いえ。列記とした医術です。さぁ、腕をお貸しください」

 三人はしぶしぶと言った様子で腕を差し出してきた。

 霓瓏(げいろう)は腕の一か所に針を刺し、出てきた血に手をかざした。

「……全員違います」

「そ、そんな! では、陛下は、兄上はどうなるのだ!」

「まだ皇太子は幼いのですよ⁉ 父親がいなくてはいけないのに……」

「どうか、どうにかならないのでしょうか⁉」

 その時、祁旌(きせい)祁光(きこう)が腕を差し出してきた。

「何を……」

「さっき言っていたな。汎用性の高い型もあると。俺たちの血も調べてくれ」

「ですが……」

「頼む、霓瓏(げいろう)

 二人の目は真剣だった。

 霓瓏(げいろう)は針を刺すと、血を読み取った。

「お二方とも汎用性の高い血液型ですね。しかも、祁旌(きせい)殿はとても珍しい、全人類に分け与えることのできる血です」

「お、おお! では、はやく陛下へ!」

「では、お二人から必要量の半分ずついただきます。床に寝そべってください」

 祁旌(きせい)たちは床に寝転がると、霓瓏(げいろう)太桃矢(タイタオシー)を持ち、二人の小さな針の傷から血液を取り出した。

「なんだか少しくらくらするな」

「それは仕方ありません。貧血一歩手前ですから」

「あとで薬かなんか出してくれるんだろ?」

「もちろん。苦くてドロドロしていて不味いのを出しますね」

「意地の悪い奴だな……」

 霓瓏(げいろう)は取り出した血液をゆっくりと玲国皇帝の身体へと移していった。

「あ、兄上の頬が赤みをさしてまいりましたわ!」

「よかった……」

「ありがとう。仙子(せんし)の少年」

「あ、いや、成人してます」

「え、あ、すまない」

 危機を脱した緩んだ空気の中、意識を失っていた慈志が意識を取り戻した。

「な、何を……、し、しているんだ……?」

「あなたの父親を助けていたんですよ」

 霓瓏(げいろう)の言葉に、皇帝の兄弟姉妹たちは、苦々しい顔をした。

「あ、あなたたちも、知って、い、いたの、ですね」

 慈志の問いに、三人は観念したように頷いた。

「あの性悪女の計画を、わたくしが偶然耳にしてしまったのです。兄上に伝えなければこんなことには……」

 公主の一人が泣き崩れてしまった。

「でも、お前が伝えなければ、簒奪の策略が進んでいたかもしれないんだ。正しいことをしたんだよ」

「何が……、た、正しい……、んだ……」

 慈志は仰向けになりながら、痛む頬を抑え、涙を流した。

「利用するために、は、母上は、私を、う、生んだのか……」

「私は違うぞ、慈志」

 皇帝が目を覚ました。

 ゆっくりと体を起こし、膝で歩きながら、慈志へと近づいて行った。

 何かあってはならないと、祁旌(きせい)は立ち上がり、その横を護るように歩いた。

「私はお前が胎に宿ったと聞いた時、心から嬉しかった。今も同じだ。片時もお前を忘れたことなどない。本当は時機を見てお前を取り返したかった。でも、簫家はお前を心から愛し、慈しみ、大切にしてくれていた。だから、奪うことが出来なかったのだ。誰にも、もう傷ついてほしくなかったのだ……」

 皇帝は涙を流しながら、息子の身体を抱きしめた。

 慈志はとめどなく流れる涙の中で、あたたかな父親の身体をそっと抱き留めた。

「陛下、どうなさいますか」

 祁光(きこう)はふらつく身体を起しながら訪ねた。

 一国の丞相を殺めた罪は重い。

 それに、慈志の出自は、後々問題となるだろう。

「……仙境でよければ、匿えますよ」

 霓瓏(げいろう)は自分でも信じられなかった。

 まさか、自分から提案するなんて。

「ほ、本当か⁉」

 皇帝は息子の身体を優しく抱き起しながら、霓瓏(げいろう)を見つめた。

「ただし、二度と会えません。仙境は仙子(せんし)族が住まう聖域と人間の領域を隔てる門のような役割をしている場所。我ら仙子(せんし)は出入りが自由ですが、人間はそうもいきません。それでもよろしければ、わたしが彼の命を保証しましょう」

 皇帝と慈志は互いの顔を見つめ合い、もう一度強く抱き合った。

 そして、決心したように霓瓏(げいろう)へ視線を移した。

「もう、二度と離れたくはないのだ」

「罪を償います」

 霓瓏(げいろう)は内心、とても驚いていた。

 きっと仙境を選ぶと思っていたからだ。

 でも、目の前の親子はそれを選ばなかった。

 どんなことになろうとも、共に生きていくことを選んだのだ。

「慧国には迷惑をかけることになるやもしれん。特に朱燕軍には……。まことに申し訳なく思う」

「いえ、陛下。私と息子、それに霓瓏(げいろう)含め朱燕軍はすぐに慧国へと戻り、我が皇帝陛下に謁見してまいります。友が助けを求めておいでです、と」

「ありがたい。本当に……。お前たちも、心配をかけてすまなかった」

「兄上、もしものときはお任せください」

「そうですわ」

「意地悪な他の兄弟姉妹(きょうだい)たちから身を護るために、四人で頑張ってきたではありませんか。それはこれからも同じです」

「では、我々は失礼いたします。あとはご家族で、まずは話されてください」

 祁光(きこう)のあいさつにならい、祁旌(きせい)霓瓏(げいろう)も頭を下げ、その場を後にした。

「馬と霓瓏(げいろう)の仙術ならばどちらが早く家へ着く?」

「はっはっは、主師(しゅすい)。血を抜いたばかりのあなた方を馬には乗せませんよ。僕の監視付きで六時間は睡眠をとってもらいます」

「え」

「それは義務か」

「ええ、そうです。倒れたいんですか?」

「いや、そんなことは……」

「父上、医術に関しては霓瓏(げいろう)には逆らえません。とにかく、出された薬を飲んで眠りましょう」

「ううむ。霓瓏(げいろう)は優秀だが頑固なのだな……」

「ふふふん!」


 翌日、三人は他の主燕軍の将官たちに先駆け、慧国へむけて発った。

 去り際に振り返った玲国は、今日も花弁が舞い、とても美しかった。

 国に最期まで仕え、忠義の限りを尽くした、一人の男への手向けとして。


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