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養花天の薬術師  作者: 智郷めぐる
第一章
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第十四集 烏兎怱怱

「泣いているんだ……」

 淡い色合いの花弁が、風に乗って空を舞っている。

 ここは(けい)国にとって最大の友好国である(れい)国。

 (しゅ) 祁光(きこう)率いる朱燕(しゅえん)軍は、慧国皇帝の名代で訪れた。

簫安君(しょうあんくん)殿は、華やかな祭が好きだったからな」

 祁光(きこう)は馬を玲城の兵士に預けながら、隣で馬から降りている祁旌(きせい)と、その後ろで縮こまっている霓瓏(げいろう)に向かってぽつりとつぶやいた。

 三日前、歴代丞相の中でも、最も人民に慕われ、最期まで善政を貫き通した稀代の賢人である玲国丞相、簫安君(しょうあんくん)が、その長くも壮絶な人生を終えたのだった。

「奥方様のご意向だそうだ。夫の性格上、民の涙は見たくないだろうから、葬式代を使って祭りを開きたい、とな」

 霓瓏(げいろう)は目の前に広がる美しい悲しみ方に、心から感嘆した。

 どこの通りも花で埋め尽くされ、商人街は活気で溢れている。

 食堂はどんな者にも食事を振る舞い、住民は涙を流しながら笑っている。

 時折聞こえてくる会話の端々に、簫安君(しょうあんくん)の名があるあたり、様々な逸話を持つ人物だということが伺える。

 それも、民が積極的に話したくなるような、そんな素敵な笑い話を。

「素敵な方でした」

祁旌(きせい)はよく可愛がられていたな」

世子(せし)様のご長男と歳が同じだからでしょうか」

「それだけではないだろう。お前が常に素直で、怖いもの知らずだったからではないか?」

「え、そ、そうでしょうか」

 霓瓏(げいろう)は珍しく動揺している祁旌(きせい)の姿を面白く眺めながら、二人の後をついて大階段を上って行った。

 前も後ろも人でいっぱいだ。

 まるで皇帝が崩御したかのような参列者の数。

 長年国境線で争っている国の使者たちも大勢訪れているようだ。

 それほどに、簫安君(しょうあんくん)という人物は、ここ中原(ちゅうげん)大陸にその名をとどろかせていたのだろう。

「ああ、朱主師(しゅすい)! ようこそお越しくださいました」

 弔問を行っている荘厳な建物の入り口に立っていたのは、先ほど話していた(しょう)家世子の長男、簫 慈志(しょう じし)だった。

「世子様、お久しぶりでございます」

 祁光(きこう)は柔和な笑顔で挨拶をした。

「そんな、世子などと……」

「今やお父上が簫家の主です。ならば、長子であらせられる慈志様が世子ではありませんか」

「それはそうなのですが……。やはり、突然のことで、自分のことを考える余裕がなく、すみません」

「お気になさらないでください。あまりに立派になられているので、私のほうが焦ってしまったようです」

「ありがとうございます。あ、えっと、祁旌(きせい)もよく来てくれたね。将軍になってからの活躍はよく聞いているよ。それと……」

 霓瓏(げいろう)は自分に向けられた視線を感じ、はっとすると、背筋を正して両手を身体の前方で重ね、深く頭を下げながら挨拶をした。

「朱燕軍で薬術師をつとめております、() 霓瓏(げいろう)と申します」

「薬術師の方でしたか。どうか楽になさってください」

「ありがとうございます」

 霓瓏(げいろう)は失礼かもと思いながら、簫安君(しょうあんくん)の孫を横目で観察した。

 ところどころ聞こえてくる武勇伝や、祁光(きこう)祁旌(きせい)が話している簫安君(しょうあんくん)の昔話から想像する人物像は、まさに豪傑で慈愛に満ちた(おとこ)の中の漢。

 それに比べ、目の端に映る慈志(じし)は、聡明さはうかがえるが、気が弱く、線も細い。

 どちらかと言えば、書物にかじりついていそうな学者といった雰囲気だ。

「さぁ、酒でも捧げに行くとするか」

 祁光(きこう)の言葉に、祁旌(きせい)は肩に担いできた大きな甕を持ち上げながら頷いた。


 献杯し、一通り挨拶を済ませたあと、祁光(きこう)は顔なじみたちと吞み明かすというので、何人かの将官たちとその場に残った。

 霓瓏(げいろう)祁旌(きせい)は建物を後にすると、せっかくなので街を見て回ることにした。

 どうせ、今日は宿泊していくことになっている。

 故人とその家族が祭を望んでいるのなら、楽しまない手はない。

霓瓏(げいろう)、いったい酒に何を混ぜたんだ? 父上も俺も顔が真っ赤になってしまったぞ」

「ああ、混ぜたというか、桂皮と生姜、蜂蜜で作った薬酒ですよ。二人とも、寒冷地の演習でかなり疲れがたまっていたので、拵えておいたんです」

「なんだ、そうだったのか。それにしても……。ちょっと効きすぎているような気もしなくもないが」

「作ったのが仙子(わたし)ですからね。そりゃ、人間が作った物よりは効果抜群ですよ」

「それもそうか」

 祁旌(きせい)はじわじわと温かくなっていく指先や背中、うなじがうっすらと汗ばんでいる。

 その姿がなんとも色っぽく、艶やか。

 女性たちの熱烈な視線が注がれている。

「……わたし、退散しましょうか」

「なんでだ? 屋台を見て回るんだろう?」

「いや、なんか、邪魔かなって」

「はあ? 変なことを言う奴だな」

「モテる人にはモテない奴の気持ちなんてわからないでしょうね!」

「いきなり機嫌を悪くするなよな。ほら、おごってやるから」

「本当ですかぁ⁉ わたし、今月のお給金のほとんどを薬草購入に充ててしまいまして、もうすっからかんなのですぅ」

「馬鹿なのかお前は」

 霓瓏(げいろう)は「待ってました!」と言わんばかりに、次々と食べたいものを祁旌(きせい)に買ってもらった。

 たっぷり二時間ほどを過ごし、気が付けば夕方。

 霓瓏(げいろう)祁旌(きせい)は今日宿泊予定の宿へと歩いて行った。


 二十時を過ぎた頃。

 外はまだにぎわっている。

 朱燕軍の将官たちはすでに寝息を立てている。

 友好国とはいえ、玲国はなかなか遠い。

 疲れが出たのだろう。

 あの祁旌(きせい)すら、書物を顔に乗せて転寝(うたたね)をしている。

 そんな中、音を立てないよう慎重に外出する影が一つ。

祁光(きこう)殿の依頼を遂行せねば……」

 霓瓏(げいろう)太桃矢(タイタオシー)を取り出すと、それに乗って欄干から飛び出そうとしたその時、足を誰かに掴まれた。

「うひゃ!」

「どこに行くんだ? 霓瓏(げいろう)

「き、祁旌(きせい)殿……」

 さすがは朱燕軍の将軍。

 気配の揺らぎには人一倍敏感なようだ。

「あの、えっと」

「父上からの依頼か」

「な、なぜそれを!」

「お前が俺に素直に話さない原因は父くらいしか理由が浮かばんからだ」

「そ、それもそうですね」

「……俺が知っては都合が悪くなるような話なのか」

「いや、それどころか、あなたが知ったからこの依頼をされたというのが正しいというか……」

「は?」

 さかのぼること二日前。

 簫安君(しょうあんくん)の訃報が届いてからすぐに、霓瓏(げいろう)祁光(きこう)に呼び出された。

 一際広く、だが華美ではない、とても落ち着いた雰囲気の部屋。

 その中央で、祁光(きこう)はいつもとは違う、気難しい顔で座っていた。

「あの……」

「おお、霓瓏(げいろう)か。そなたに相談したいことがあってな」

「なんなりと」

「おお、そんな安請け合いして大丈夫か?」

「もちろんです。衣食住、お世話になっておりますから」

「そんなこと、気にする必要はないというのに。律儀なのだな」

 祁光(きこう)は微笑みながらも、顔に暗い影を落としている。

「どうかなさったんですか?」

霓瓏(げいろう)も知っている通り、祁旌(きせい)はこの中原でも随一の武人だ。私の誇りでもある」

「はい」

「だが、それゆえに、(まつりごと)やその影の部分については、とてもじゃないが、優秀とは言えない。そこがまた、あいつらしいのだが」

「そうですねぇ」

「そんな祁旌(きせい)にな、問われたのだ。簫 慈志(しょう じし)が玲国皇帝陛下の落胤だとご存知だったのですか、とな」

「……え」

 霓瓏(げいろう)はとんでもないことを聞いてしまったと思い、冷や汗が流れた。

「このことは慧国皇帝陛下と玲国皇帝、そして私と簫安君(しょうあんくん)などの限られた者しか知らないはずの秘密であったはずなのに。まさか祁旌(きせい)の耳にまで届くとは……」

「それは……、危険ですね」

「ああ。慈志(じし)様の命が危ない」

「それは、皇帝家の血をひいているからでしょうか」

「いや……」

 祁光(きこう)は溜息をつき、遠くを見つめながら、意を決したように話し始めた。

慈志(じし)様は玲国に滅ぼされた国、月羽(ユェユー)国の夜佳(やか)族唯一の生き残りであった優苑公主(ゆうえんこうしゅ)の子なのだ」

「そ、それはまた因果な……」

 月羽(げつう)国はこの戦乱の世にあって滅亡の一途をたどった悲しい国の一つ。

 国民の大部分を占めていた夜佳(やか)族は、月影太后(ユェインたいこう)という伝説上の女神を信仰していた一神教徒で、特に女性優位の社会構造であった。

 それを良く思わない男性国民の劣等感情を煽り、下剋上の名のもとに月羽(ユェユー)国を崩壊へと導いたのは、玲国の当時の丞相と文官たち。

 玲国丞相は、月羽(ユェユー)国が保有している海路が欲しかったのだ。

 先代玲国皇帝は丞相たちの「内紛が治まったらこちらへと攻めてきますぞ!」という言葉を信じてしまい、月羽(ユェユー)国へと進軍してしまったのである。

 そうして多くの夜佳(やか)族の男たちが殺され、女子供は奴婢として玲国へと連れられてきた。

 そこで、玲国第一皇子は出会ったのだ。

 どんなに厳しい追及にも毅然とした態度で臨む美しき女傑、優苑公主(ゆうえんこうしゅ)と。

 二人が恋に落ちるのに、時間はかからなかった。

 ただ、ひっそりと愛を育んでいた二人の間に生まれたのは、男児。

 お互いの身を亡ぼすのには十分すぎる存在だった。

 そこで、もっとも信頼していた三人の人間に、その子の命運を託すことにしたのだ。

 その三人こそが、若き慧国皇帝と祁光(きこう)、そして、簫安君(しょうあんくん)だった。

 子供は、なかなか子を授からずに悩んでいた簫安君(しょうあんくん)世子(せし)に養子として渡された。誰の子かは告げられずに。

 玲国第一皇子が皇帝になった後も、この秘密が口外されることはなかった。

 つい、最近までは。

「と、いう経緯です……。祁旌(きせい)殿はどうやって知ったのですか?」

「これだ」

 そう言って祁旌(きせい)が懐から取り出したのは、一通の書簡だった。

――お前の父親は噓つきだ。彼は知っている。簫 慈志(しょう じし)が、玲国皇帝と夜佳(やか)族、優苑公主(ゆうえんこうしゅ)の落胤だということを。

「いつこれが?」

「一週間前だ。最初は嘘だと思い、燃やそうとしたのだが……。胸騒ぎがしてな。何日か考えてから、父上に問うたのだ。間違っていると、言ってほしくて……」

「でも、本当のことだったのですね」

「ああ。真実だった」

 祁旌(きせい)霓瓏(げいろう)の足から手を放し、懇願するような目で見つめてきた。

「何が起こっているのか、俺も知りたい。大切な友人なんだ、慈志(じし)は」

「……わかりました。でも、どんな結末が待っていたとしても、後悔しないでくださいね」

「……承知した」

 霓瓏(げいろう)太桃矢(タイタオシー)の後ろに祁旌(きせい)を乗せ、夜の街へと飛び立った。

 目くらましの(まじな)いをかけているから、眼下の人々からは二人を視認することは出来ない。

 霓瓏(げいろう)祁旌(きせい)は、そのまま慈志(じし)がいる簫候府(しょうこうふ)へと向かった。


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