第十二集 美麗
宵の宴も終わり、次の日、族長たちに挨拶も終えて出発した祁旌と霓瓏。
家に帰れるとあり、朱燕軍も兵部侍郎の一団も、足取りが軽かった。
祁旌は警戒していたが、兵部侍郎は特に朱燕軍に嫌がらせすることもなく、道中は大人しく過ごしていた。
それもそのはず、霓瓏が「草原の民の女性から兵部侍郎殿に渡してほしいと頼まれました」と嘘をついて渡した香袋には、精神を鎮静させる効果のある薬草を入れておいた。
さすがに食事に薬を混ぜるのは卑怯すぎるかなと思い、やめたのだ。
五日後の朝、無事に都に到着。
祁旌は兵部侍郎とともに陛下に報告へ行くために皇宮へ。
霓瓏は先に家へと戻った。
「あら、おかえりなさいませ、霓瓏様。お一人ですか?」
祁旌の屋敷を切り盛りしている侍従長の万が出迎えに来てくれた。
「祁旌殿は陛下のところへ……」
「もしや、また甲冑のまま⁉」
「ちゃんと正装に着替えていましたよ。そうしないと万さんに怒られますからね」
「ふぅ。安心いたしました」
「わたしは部屋に戻るところなのですが、何か困ったことはありませんか?」
「いえ。頂いた関節痛に効く軟膏はまだありますし、よく効いているので元気です。いつもありがとうございます」
「いえいえ」
霓瓏は万へ「では」と会釈し、部屋へと戻ろうとしたその時、前から来た美麗な男性に肩を掴まれた。
「な! 祁禮殿!」
「霓瓏に仕事を持ってきたぞ!」
「ひぃえ……」
祁禮は祁旌の兄で、朱家の世子――跡継ぎだ。
母親に似たのか、甘い顔立ちはどこぞの姫のように美しい。
幼い頃はよく女児に間違われていたようで、他国の貴族から「ぜひ息子の嫁に!」と求婚されたこともあったほどだという。
「な、なな、何のお仕事ですか? 薬術師として? それとも仙子としてでしょうか?」
「もちろん、仙子だ!」
「ひぃえ……」
祁禮はとても勘が鋭く、頭も良い。
祁旌が霓瓏を連れて帰って来た時、なぜかすぐに仙子だと祁禮には露見してしまったほどだ。
「お仕事はまぁ、いいのですが……。何故弟君の屋敷に?」
「祁旌と霓瓏に会いに来たに決まっているだろ」
「は、はあ……、左様ですか」
「まぁ、会いに来たというのは建前で、祁旌からは直接馬市のことを聞きたいし、お前には頼みたい仕事がある。会いに来ればいっぺんに済んで簡単だろう?」
「そ、そうですねぇ」
「それで、だ。私の親友が営んでいる妓楼、玉梓楼で妙な事件が多発している」
「ぎ、ぎぎ、妓楼⁉」
霓瓏はたちまち顔を真っ赤にして狼狽えだした。
「おい、まさか行ったことが無いのか」
「な、ないですよ! お給金もそこまで多くないですし、そ、そんな、び、びび、美女だらけの高級な場所、目もお財布も疲れてしまいそうです!」
「あはははは! お前、初心だなぁ。あの祁旌ですら、私と一緒に数回行ったことがあるのに」
祁禮の言葉が心の中の何かに引っかかったのか、霓瓏はとたんに真顔になった。
「そりゃ、色男が腕を組んでいけば妓女のみなさんも嬉しいでしょうね!」
「なんだよいきなり、拗ねるな霓瓏。仕事の話をさせろ」
「え、あ、はい……」
祁禮に扇子でぴしゃりと額を叩かれ、不服ながらも大人しくなった霓瓏。
祁禮は霓瓏の不満げな表情などお構いなしに、話し始めた。
「怪異だ」
「怪異? 幽霊は、まぁ、そりゃ出るでしょうね。どこにでも出入りできるようになったら、まずは妓楼に行くって奴もいるでしょうから」
「いや、それがな、実体があるようなんだ」
「では、妖怪の類でしょうか」
「それはわからないが……。まだ褥に入るような稽古を終えていない新人の妓女が、三人も妊娠したのだ。ちなみに、三人とも購入したばかりの生娘だったらしい」
「……え。まだ客もとっていないのに、ですか? それでも、妓楼なんですから堕胎薬があるでしょう?」
「飲んでもダメだったらしい。月のものが一向にくる気配が無く、お腹も膨らんできているのだとか」
「では、手術は?」
「そこがさらに奇妙でな。堕胎手術をしようと専門の医師を呼び、妊娠した妓女に近づいたら、どういうわけか全員熱病に侵されてしまったのだ」
原因不明の妊娠に、熱病。霓瓏の好奇心が揺り動かされた
「……通常の薬が効かない異常な妊娠で、さらにはなんらかの呪がついている、ということですね。その、失礼なことを聞くようですが、本当に生娘だったんですか? 故郷の恋人か誰かとの間に秘密裏に子供を作っていたとかではなく?」
「それは保証できるそうだ。なんせ、元貴族の娘たちだからな」
「……ああ、親が投獄されてしまったから、国が管理する奴婢となってしまった女性たちなのですね」
「そうだ。貴族が大罪を犯せば、成人している男は皆牢獄へ。女性と子供は皇宮のすぐ近くにある寒扇廷に幽閉され、奴隷としての仕事を教え込まれる。掃除洗濯とかな。その中でも、見目の良い者は男女年齢関係なく歌や踊りを訓練され、宴に彩を添える役割につく。妓楼に売られたり、貴族に情人として買われることも多いな」
「……わかりました。調査に行きましょう」
「頼んだぞ!」
「……え? 祁禮殿は行かないのですか?」
「私は忙しいからな」
「ぐぬぬ……」
たしかに、祁禮は忙しい。なにせ、朱燕軍の軍師にして世子。
それはもう、あらゆるところから仕事が舞い込んでくる。
「で、では、一人で妓楼に行けと?」
「私の親友が案内してくれるから安心しろ」
「では、いつ……」
「今夜頼む」
「こ、今夜⁉」
「ああ。じゃぁ、親友には言っておくから! 私は祁旌を迎えに皇宮へでも行くとするかな」
「え、え!」
「ほら、いろいろ準備があるだろう? 昼寝とかもしておかないとな!」
「ひぃええ……」
爽やかな美しい笑顔で去って行く祁禮。
(なんなんだ! 顔の良い奴っていうのは、人生で断られたことが無いんだろうね! けっ!)
心の中で悪態をつきつつ、霓瓏は離れへと向かった。
言われたとおり、準備しなくてはならない。
人間の女性を生殖行為無しで妊娠させ、病を操る怪異はきっと手ごわい。
服も良い物を用意しなくては。
初の妓楼。
霓瓏とて、少しくらいちやほやされてみたいのだ。




