第十集 空の下
馬市四日目。周辺の城からも、かなりの人出が増え始めた。
周辺、と言っても、馬市に来るのに最短で三日以上かかる距離なので、今日からが交渉の正念場と言えるだろう。
草原の民たちも、ここぞとばかりに良い馬を追加している。
「ウルナ殿ぉ」
「おお、霓瓏か。どうだ、盛り上がってきただろう」
「すごいですねぇ。昨日から屋台も増えていますし。わたしは食べ歩きに忙しいです」
「……お前は馬を選ばないのか?」
「わたしは普段これに乗って移動しているので」
霓瓏は空から太桃矢を出して見せた。
「お、おおお! すごいな!」
「結晶化した桃の木で出来ているんですよ」
「なんて美しい……。本当に仙子なんだな、霓瓏は。普段話していると、どうも胡散臭い薬術師にしか見えないから」
「な! ウルナ殿までそんな失礼なことを言うのですか!」
「あはははは」
ウルナは豪快に笑いながら「じゃぁ、またあとでな」と競り会場へ行ってしまった。
「ぐぬぬ……。あ、昼の診察に行かないと」
のんびりと歩きながらイヨヒキの天幕へと向かうと、とても嫌な雰囲気を持った人物が入口の外に立っていた。
「……あの、通っていいですか? 診察に来たんです」
「……お前が父上を救ったという仙子か。母上から聞いたぞ」
「……どちらさまですか?」
「俺のことは知らない方が馬市を楽しめるぞ。じゃぁな」
そう言ってガタイの良い男性は去って行った。
腕にいくつもの文様が入っていたが、見覚えがあった。
(あれは呪術に使う文様だ。何者なんだ……)
一応、姿が見えなくなるまで目で追い、それから天幕の中へと入った。
「ごきげんよう、族長殿」
「おお! 診察ですな。では、今起きますぞ」
だいぶ良くなってきたようだ。顔色が良い。
咳も落ち着き、体重も少しずつ戻ってきている。
「昨日の夜、夜風の中を少し妻と散歩したのですが、とても気持ちがよかったです」
「それはなにより。本当に、内功が強くていらっしゃいますね。これなら、今日からひき肉料理を食べてもいいですよ」
「まことに! おおお! 久しぶりの肉だ!」
「ただ、刺激的な香辛料は無しで。食後に山査子のお茶を飲めば完璧です」
「とても嬉しいです。ついさっき、ソオイが牛肉をもって見舞いに来てくれたので、食べたいなぁと思っていたところなのです」
「……ソオイ、様……。というと、長子様ですか?」
「ええ、そうです」
祁旌が危険だと言っていた人物だ。『各一族の長子たちを集めて、慧国のみならず、この中原全土を手に入れようと画策している』と。
「仲がよろしいのですね」
「……少し複雑な関係ではあります。慧国の、それも朱燕軍の軍医の方には話しづらいのですが……。ソオイの中原に対する激情は、親である私でもどうしようもないほどに膨れ上がっているのです。少し薄情かもしれませんが、私は戦で戦士たちが命を落とすのは覚悟の上だと受け入れています。それは勝負の世界。そんな中で、一人でも救おうと朱燕軍主師は我らに手を差し伸べてくれました。恨みが無いと言えば嘘になりますが、でも、非戦闘員を保護し、ウルナを助けてくれた恩義を忘れたことはありません。私は草原の民の今と未来のために力を尽くしたい。過去は引きずるものではなく、学ぶものだと思うのです」
これが、クハルゥ族の長。〈光〉という意味の名を持つ者。
度量が違う。
「英明だと思います。ただ、その、朱燕軍は嫌われていると聞いていたので、今驚いています」
「ああ、それは……。ソオイのせいでしょう。同じような恨みを抱く者を集めるために、あちこちで吹聴……、いや、演説のようなことをしているようです」
「そうなのですね。跡継ぎではないとはいえ、草原の盟主と名高いイヨヒキ様の長子の言うことならば、説得力もありましょう」
「私が病に倒れてからは、余計に息子の発言が重さを増してしまったようで……。霓瓏殿に頂いたこの命で、どうにか草原全体の考え方を変えられれば……」
「ご無理なさらないでください。心労は万病のもと……。まずは快復が先決です」
「そうでしたな。ありがとうございます」
「では、何かありましたらお呼びください」
「そうします」
霓瓏は天幕を出て広い空の下に出た。
気持ちのいい風が服の中まで駆け抜ける。
(族長殿はああ言ってたけど……。若き草原は戦いを求めているのかな)
予想もしたくない未来が、この中原に迫っているのはなんとなく感じてはいる
(戦いたくない。それは、自分が怠惰だから。でも、それだけでそう思っているわけじゃない)
霓瓏が妖精女王、太陰星君嫦娥からもらった〈薬霓空華〉がこの世界に顕現したのは、初めてではない。
霓瓏で二人目という、とても珍しい能力だ。珍しい、というのには、理由がある。
何万年も前、この能力を授かった仙子は、人間が築いた都市を文明ごと丸々一つ消し去ってしまったのだ。
(破壊兵器になりたくない)
「強くなりたくないなんて、贅沢なことだとはわかってるさ。あぁあ。鳥でさえ自分の使命をわかって生きているこんな世界、なんて息苦しいんだ」
自由に生きるには自分に対する責任とは別に、自由にさせてくれる周囲への敬意が必要不可欠だ。
どんなにもがいても、泣いて頼んでも、〈自由〉は代償を求めてくる。
それなら、自分が好きだと思える場所で、素晴らしい人たちのために、力を使いたい。
「美味しいご飯を食べるために、頑張ろぉ」
幾つもの屋台から漂ってくる良い匂いに鼻を動かし、霓瓏は朱燕軍の料理番の元へと向かった。
屋台の食事はおやつ。
ごはんはやはり、祁旌が味付けしたものがいい。
「さぁ、ごはんごはん!」




