49、”義理”も”恩”も
渋咲は2人に歩み寄ると、どこか物思いにふけっていた目をつむった。
「たった今、あなたたちのことを見て、橋本があなたをここへ呼んだ理由が分かった気がしました」
「理由?」
「彼があなたをここへ呼んだのは、単に霧に溶けなかった特異体質という理由だけではないのかもしれません。何か、それ以上に大きな可能性を秘めていると」
「考えすぎですよ」
具視は瞼を半分閉じながら言った。
「――確かに橋本さんは、俺に払霧師としての資質があるのだと言いました。その理由を聞いた時、彼はこう答えたんです。人と違い、霧に耐性を持っている。ただ、それだけだと。だからそれ以上の理由なんてありません」
渋咲は具視の言葉を聞いても納得した表情は見せなかった。
「具視さん。武器を選ぶ前に、一つ忠告しておきましょう。これから先、大学で学んでいくために必要となる心構えとして」
具視は聞く姿勢を示した。
「あなたは優遇されたのです」
思ってもみない言葉に具視は眉をひそめた。優遇、という言葉には違和感を感じずにはいられなかった。一般の守護影審査を受けて、筆記試験を受けてまで合格した払霧師大学。何もひいきを受けた記憶なんてなかった。
「3年前にあなたの名前が挙がった時。払霧師協会は、波江具視を危険な存在としてみなしました」
(危険?)
「なぜだかお分かりですね。あなたは霧を吸っても溶けなかった。紫奇霧人に類似した共通点から観察処分という決定が下され、東京を離れることを余儀なくされた。仮にも払霧師になりたいと思った時、大学としてはあなたを払霧師として育てるなど論外として、議会は判断を下しました」
「祖母は、知っているんですか」
「いいえ」
「なら、どうして――」
「審議が行われた中、ただ一人異を唱える者がいました。それが橋本です。あなたを払霧師として育てたいと、そう言ったのです。全会一致でなければ可決されませんから、結局この話は否決されました。彼が手を上げなければ、あなたは今ここにはいないでしょう。だから具視さん、あなたは可能性を認められた人として、頑張らなくてはいけません。必ずしも、ここがあなたにとって居心地がいい場所とは限りませんが、彼のように可能性を見いだそうとしてくれた人のためにも。そして、残りの判断が間違っていたのだと、行動で示してください」
具視はどこか遠い場所に投げ捨てられた気分になった。自分の知らないところで、こんなにも話が進んでいて、しかも、村で受けた扱いと似たようなことを――
(結局俺は、どこに行っても同じなんだな)
それほどまでに、霧を吸っても死なないというのは常識外れということだ。少し考えれば分かることだ。専門的に払霧師を育成する払霧師大学で、紫奇霧人と類似した異端者が入学するというのはリスクを抱えることと同じ意味だと。
ただ、村で経験した疎外感とはまた別のものも感じる。味方がいるということだ。この件を座長の龍太郎が知っているかどうかは分からないが、彼は家に住まわせてくれ、也草は偏見なく接してくれる。そして――
”最強の払霧師になれ”
そう言った橋本南薺という男。この話を聞けば、彼がどうしてここまで具視を払霧師にしたいのかが分かる。議会定数の中でたった1人反対の声を上げ、具視をここまで導いた。大多数の中で異なることが、どれだけ勇気のいることか具視には分かる。疎外感だけじゃない。回りを敵にしてまで戦う覚悟がなければ心は簡単に砕けてしまうからだ。
あの鋭く冷たい黄土色の瞳がよみがえる。
一方で、その動機は不明だ。
どうしてそこまでするのか。
そもそも具視は、あの男をよく知らない。彼と会ったのは霞が関が初めてだし、それは彼もまったく同じのはず。だからこそ、内輪を敵に回してまでも、手を差し伸べる動機が見当たらないのだ。
そうする”義理”も、”恩”もないじゃないか。