夕陽の中のダンスホール
古臭い、少しガラついたチャイムの音が鳴り響く。少しずつ、校内に響く声が少なくなってきていた。
段ボールに詰められていく紙の花は、次第に増えて、今では溢れかえって周りに散らばっている。
「理沙ちゃん、そっち終わった?」
「ええ、これで今日の分は最後。奈波もそれが最後?」
「うん。あぁ~、疲れた。大分、進んだね」
「そうね、何とか明日で仕上がりそう」
廊下に飾る分は、今日で達成していた。残るは、表にあるアーチにつける分だけだ。この分なら、明日作れば余裕で明後日の文化祭には間に合う。
首を回すと、こきりっと小気味良い音がなった。ずっと下を向いての作業だったため、首から肩からすっかりこってしまっていた。隣に座る奈波も大きく肩を回している。
「あぁ~、私の文化祭はお花作りで終わりそうだよ」
「あら、文化祭は明後日が本番よ」
「そうだけど……」
不服そうに、奈波がサーモン色の唇を尖らせる。リップも何も塗っていないのに、ぷくりとした唇。つい、視線で追ってしまったことに気がつき、悪いことをしている気がして、理沙は視線を反らせた。
「文化祭ってさ、準備からが文化祭じゃん?」
「まぁ、そうね」
「こう、“重そうだな、荷物持ってやるよ”とか、“奈波さんって、可愛らしい子なんだね”とかさ!」
「あぁ……」
確かに、小さな手をきゅっと握りしめて、熱弁する姿は可愛らしい。
奈波は生粋の少女マンガ好きだ。この歳の少女は概ね、こんなものかもしれないが、絶賛、恋に恋する乙女の歳だった。
「“あの時から、先輩のことが好きでした”とか今の感じだと出来ないじゃん」
「あら、奈波は私と準備するのは楽しくない?」
「違う、違う! 理沙ちゃんと文化祭の準備することはすっっっっごく楽しいよ!」
理沙がわざとらしく唇を尖らせて言うと、慌てて奈波は首を振った。後ろでひとつに纏められた髪の毛が、子犬の尻尾のようで愛らしい。
そう言ってもらう為のずるい言葉なのに、奈波は全力で否定してくれる。ずるい女だな、と自嘲気味に笑う理沙を見て更に勘違いしたようで、奈波は慌てて飛び付いてきた。ぎゅっと抱き締められる。
「違うの! 私も理沙ちゃんと準備が出来て嬉しいんだから」
「私も? 私は別に、奈波と準備が出来て楽しいとは言ってないけど」
「……ずるーい」
狙いどおり、奈波はそっと離れていった。気付かれなかっただろうか。耳の端がそっと熱くなる。
「うそ。波波と準備が出来て、私は楽しいわ」
「もう。私だって楽しいよ。でもね、それとこれとは別って言うか、理沙ちゃんともこんな風に準備がしたいけど、素敵な男の子とも思い出を作りたいって言うか」
作りかけの花を完成させて、ぽいっと箱に投げ入れる。崩れかけの山は案の定花をいくつか箱の外に転がり出した。
「最終日のさ、ダンスがあるじゃない」
不意に立ち上がった奈波の白い足からさっと視線を反らせる。
「あれ、誰とおどろーってならない?」
「ならないわ。別に、踊らなくたっていいんだもの」
「えーー、やだやだ。一生に一度の青春だよ。踊らなきゃ損じゃん」
「そうかしら」
「そんなもんだよ。なのにさ、練習時間とか殆どなくて、彼氏彼女もちだけが放課後とかに練習してるんだよ。私みたいなのは、いざその時がきても、踊れないじゃん。踊れなくて、“あ、やっぱり無かったことに”なんてなったら辛いよ~」
きっと、そんなことはないだろう。理沙であれば、むしろ拙いダンスがまた可愛らしいと思ってしまう。それに、その時踊る相手はきっと、同じように練習は出来ていなくて、拙いダンスになるだろう。
「なら、私と練習しておく?」
「理沙ちゃんと?」
理沙はさっと立ち上がると、奈波の手をとり、腰に手を回した。遠くで今日もカップルたちが練習しているのか、音楽が聞こえる。
「はい、右、左」
「え、え、理沙ちゃん踊れるの?」
「これぐらい、何度か見ていれば踊れるわ」
体育の授業で練習したり、カップルたちが踊る姿を何度か見てきた。何度か見てきて、奈波と踊れたらと、陰ながら練習してきたダンス。
今、顔は赤くなっていないだろうか。窓から射し込む、夕陽が救いだ。
「ほら、くるっと回って」
「うわっ」
拙いダンスを披露するどっかの男子生徒より、ずっと自分の方が奈波を愛らしく回せる。
「はい、腰に手を当てて」
「うふふっ」
「どうしたの?」
「理沙ちゃんは何でも出来るなぁって。こんな練習までしてくれて、私は果報者だよ~」
「現金な子ね」
くるくる回る度にどんどん笑顔が広がる奈波。
こんな顔をさせてあげれる自分を選べばいいのに。誰より、奈波のことを分かっている自分と踊ればいいのに。
「こんな風に、私も今年は踊れるかなぁ」
「……そうね」
嘘だ。
きっと奈波だから、拙いダンスも笑って許すんだろう。足を踏んでしまっても、回る向きを間違えても、それもいい思い出だと笑い飛ばすんだ。
「奈波と踊れる人は、幸せだと思うわ」
「有り難う!」
遠くで音楽が鳴り止み、そっと二人の間にいつもの距離が出来上がる。
下校のチャイムの音が寂しげに響いた。
「さ、帰りましょうか」
「ね、ね」
いつもの距離がすっと縮まり、奈波の腕が理沙の腕に巻かれた。
「理沙ちゃんと踊れる人も、私は幸せだと思うなぁ」
「っ……」
思いがけない言葉に、つんっと目の奥が熱くなった。
貴女は、幸せでしたか。楽しかったですか。
「どうしたの、理沙ちゃん」
「……何でもないわ。夕陽が目に染みたの。さ、帰りましょう」
荷物を纏めると、そっと準備室の扉を閉めた。