ジャンク・ボンド 第四章 7
ユズハは、時折顔に当たる冷たい感触で目を覚ました。
「……?」
上体を起こして辺りを見回していると、今度は頭頂部が冷たい。不思議に思いながら見上げると、その原因に気づき、納得した。
どうやら、ここは洞窟の中のようだ。
見渡す限り、黒々とした岩肌と、そこにへばり付く苔が広がっている。そして、顔や頭に当たる冷たい感触は、天井から“ぽたり”と落ちる地下水の雫だった。
そこで、ユズハは何かに気づいた。
それにしても、ここは洞窟の途中――出入口が近くになく陽の光が入ってこないというのに、なぜ周囲が見えるほど明るいのか。
さらに周囲を見渡し、再び納得した。
彼女の隣で、焚火が赤々と燃えていたのだ。枝が爆ぜる音が、洞窟内で反響していた。
逆に言えば、誰かが自分を助けて、しかも焚火で体を温めてくれたことになる。
――一体、誰が?
どのくらい寝ていたのかわからないが、重い頭とともに気分が沈みながら、さらに不安定な足取りと意識に鞭を打って、洞窟内を歩き出した。
それでも、決して整備されていない地面のためか、よろけそうになり、結局岩壁を伝いながら進むしかなかった。
その後、どのくらい歩いただろうか。体感的には、一〇分ほどだろうか。
急に、目を射るほどの強い光が突然姿を現したのだ。
「!」
思わず目を瞑りそうになったが、洞窟の出入口付近で座る人物が、視界に入り、何とか目を閉じないように我慢した。
――あの人……。
そこには、ユズハがベルクに襲われたときに助けてくれた男が、まるで瞑想するかのように静かに目を瞑っていた。
「……」
そんなユズハに気づいたのか、男は片目を開けたが、何も発することはなかった。それどころか、またすぐに目を瞑ってしまった。
そんな男の素っ気ない態度に、腹が立ったのか、ユズハは彼の前で大きな声を出した。
「助けてくれて、ありがと!」
「……」
しかし、男の瞼は一向に開かない。
いや、代わりに口が僅かに開いた。
「……目を覚ましたのなら、どこへなりとも出て行け」
その言葉が、さらに彼女の逆鱗に触れてしまった。その後、屈んで男の顔に自分の怒った顔を近づけた。
「いいえ。帰りません!」
「……好きにしろ」
「そうさせて貰います!」
と、興奮して声を荒らげてしまってから、ユズハが一旦冷静になる。
一体、自分は何を言っているのだろうか。
この男のこともロクに知らないのに、一体ここで何をしているのか。さっさと、おさらばした方が賢明な気もするのだが。
――まるで、押し掛け女房じゃない……。
そんなことを考え、なぜか彼女の顔が赤くなった。
そこで平静を呼び覚ました。
目の前の男は、自分を助けてくれた時、なぜあの場所にいたのか。
ぶっきらぼうな態度で、言葉は少ないが悪い人間ではなさそうだ。
ユズハは、男の隣に座ってみた。
「……ねぇ。何で私を助けてくれたの?」
「……」
しかし男の方は、相変わらず口を開いてはくれなかった。
「ねぇ」
一方ユズハは、何とか男の口を割らせようと、さらに食い下がった。
「……」
「ねぇって」
「……」
「ねぇってば!」
「……お前を助けた訳ではない」
男がようやく口を開いたが、目は開けてくれなかった。
「そっか。違うのかぁ……。じゃあ、何してたの?」
「……ベルクを助けたんだ」
「どういうこと?」
「むやみに、他の生き物を殺す罪を背負ってほしくない」
「……なんか、会話が疲れそうね」
ユズハが溜息を吐くと、男は初めて“ふっ”と口を綻ばせた。
「確かに、疲れるかもしれないな」
「何だ。笑えるじゃない。私はてっきり、機械か何かかと思ったわよ」
「……いや、俺は復讐に取り憑かれた機械だ」
そういうと、男は瞼を開けて遠くを見つめ始めた。その視線の先には、まさに天にも届きそうなほどの大樹がそびえ立っていた。
そんな彼の視線に気づいたユズハが疑問を口にした。少し口元を綻ばせながら。
「まさか。あの木に復讐とか、言わないよね?」
「そのまさかだ」
「あの木がどうしたって言うのよ。まさか。誰かを殺されたって言うの?」
「……だから、そのまさかなんだ」
男の目線が、ユズハに向けられた。そんな男の目は、とても冗談をいっているようには見えなかった。
「俺は、その会話の疲れる女に出会った……」
男はそう言うと、昔話を語ってくれた。
ちなみに男は、“レーツェル”と名乗った。