ジャンク・ボンド 第四章 4
レッドの場合――。
レッドは、エルザの一件以来ショックを受け――ていなかった。
――いやあ。あの尻は良いな。いや、こっちの尻もいいな……。
何故か、鼻の下が伸びている。顔の他のパーツも締まりがなくなっている割には、視線だけはあっちこっちに飛んでいく。
少し大きめの街だ。大陸で二〇番以内には入る大きさだ。
そのためか、一応協会の支部はあるのだが、本部の命令を守るより、この街で権威を笠に着て私腹を肥やすことの方が大事な連中だ。
もし仮にレッドの手配書が出回っていたとしても、まぁ、真剣に探すとは思えない。
レッドはその街の激しい雑踏の中で、行き交う人間――というか女性ばかりを目で追っていた。特に尻を、だ。
「良い街だ。うんうん」
一人で勝手に納得している。
しかし、そんな表情も一時的なものだった。
締まりのなくなった顔を、もう一度引き締めて街中を彷徨い始めた。どうやら何かを探しているようだ。
「ええっと、まずは住む場所だな」
しかも、人通りが少なく、新規の者などに関心のない土地が良い。
家賃も安いに越したことはない。
そんなことを考えながら歩いていると、突然誰かが肩にぶかった。その勢いに負けて、レッドが無様に地面に転がった。
「痛ったぁ」
「申し訳ありません。お怪我は?」
女の声だ。
レッドが片目を開けて女の顔を見るなり、まるでバネのように体を弾いて立ち上がる。
直立不動だ。
目を爛々と輝かせている。
何しろ目の前にいるのは、まるで雪のように白い肌をし、柳のようにほっそりとしたしなやかな腰つき、か細い腕など可憐で弱々しい要素を詰め込んだような美人だ。
そんな彼女が、何かに困っているような素振りを見せている。その表情がまた、陰あるというか、妙にそそるというか……。
レッドが女の色香に惚けていると、慌てていた相手の方が話しかけてきた。
「申し訳ありません。お怪我はありませんか?」
「……は? あっ。はい! ぼ、僕はもう丈夫だけが取り柄ですから。ハハハ……!」
レッドの方は、何を張り切ったのか、両腕をブンブンと振り回し出した。
しかし女の方はというと、レッドの返事を聞くなり、まるで何かに追われているのかすぐに逃げ去ろうとしていた。
「そうですか」
しかし、その足はすぐに止まってしまう。
背後から聞こえた声が、女の足を止めてしまったのだ。
「おい。いたぞ!」
目つきが怖いガラの悪い連中が、レッドたちをあっという間に取り囲んでしまったのだ。
「助けてください!」
なぜか、女がレッドの後ろに隠れてしまう。
「え、え?」
レッドが戸惑っていると、連中の一人が睨みつけながら顔を近づけてきた。
「ああ? 何だ。てめぇは」
「何だって言われても……」
レッドが言葉に詰まっていると、背後の女がとんでもないことを呟いた。
「私の彼氏です」
「何さらっと、とんでもないこと言ってんの!? そんな告白いらないよ!」
「しっ。話に合わせてください」
「“しっ”、じゃないよ!」
そんな二人のやりとりに気づかないのか、顔を近づけてきた男の目つきがさらに鋭くなる。
「彼氏だぁ?」
「い、いえ。違います。ただの通りすがりの――」
「何!? 通り過ぎるだけで彼女ができるのか! 一体どんな手を使った!」
「めっちゃ食いついてるよ! もしかして、ホントはただ彼女が欲しいチェリーボーイだった!?」
レッドの言葉に、なぜか男が、恥ずかしそうにしながら目線を外した。
「チ、チェリーなんかじゃねぇーし」
「何、顔赤らめてんの!」
「うるせぇ!」
男の声が合図になった。
連中がそれぞれの得物を構えだしたのだ。
一方レッドは、刃物たちに囲まれ弁解しようと慌て出す。
「ちょ、ちょっと待って! お、俺は無関係――」
「関係大ありだ! この“シェリー”親衛隊長を無視して、彼氏だと。許せん!」
親衛隊長と名乗った男は、突然鉢巻きを締め始めた。その鉢巻きには、“シェリーLOVE”と書かれていた。
それに合わせて、ほかの連中も締めたかと思うと、まるで軍隊のように隊列を組んで大きな声で名乗りだした。
『我ら、この街のアイドル、“シェリー”親衛隊!』
「どんな親衛隊!? ていうか、衛ってないよ! 殺しにきてるよ!」
隊長が反論した。
「違う。殺すのは悪い虫だけだ」
「いや悪い虫じゃないよ! アメンボだって、ミミズだって生きているよ!」
「ミミズは虫じゃねぇ!」と言いながら、連中が飛び掛かった。
一方レッドは「そこじゃないだろっ!」とツッコミながら、刃を器用に避けていく。
他方女はレッドの背後に隠れながら、なぜか涙を流していた。
「や、やめてください! 私のために争わないで!」
「だったら逃がしてくれよ! ていうか、なに勝手にヒロイン気取ってんの!」
女の代わりに答えたのは、親衛隊長だった。
「逃がしてたまるか!」
親衛隊長の刃が、レッドの胸めがけて飛んできた。
それを、レッドが右に避ける。
しかし、それ以上動けなかった。ほかの隊員たちが、レッドの両腕を掴み、動きを封じたのだ。
「ヘヘヘ……。今度こそ、逃がさんぞ!」
笑みを浮かべた親衛隊長が、今度こそ標的から外れまいと刃物を両手に持ち替え、再度飛び出した。
「う、うわぁ!」
そんな刃物の軌跡を、レッドは首や足を動かすことで、ギリギリのところで回避する。
「この!」
なかなか攻撃が当たらないことに苛立つ親衛隊長。
「うわぁ!」
「この!」
「うわぁ!」
「この!」
「うわぁ!」
「この!」
何度、同じ展開を繰り返すのか。
いくら刃物を振り回しても、結局レッドの体に掠りもしない。
結局、二人の呼吸を乱すだけで、何も進展しなかった。
いや、違う。
避けようとしていたレッドの足が、運よく親衛隊長の脛に当たってしまったのだ。
「あひっ!?」
予想外の痛みに、親衛隊長が自身の脛をさすりながら、片足でピョンピョンと跳ね回りだした。
その透きに、レッドが隊員たちの手から逃れ、女の手を掴み走り出した。
「ま、待てぇ……!」
背後から、親衛隊長たちの声が聞こえたが、レッド達は振り返ることはしなかった。