ジャンク・ボンド 第四章 2
ユズハの場合――。
ユズハは、草原を歩いていた。膝下までしか伸びていない草の絨毯の上を、忙しなく周囲を見渡しながら進んでいく。
一体、何に怯えているのか。
――何で、私が巻き込まれなきゃならないのよ……。
確かに、“あの時”お宝に目が眩んでしまった自分はいたが、結局空振りに終わるどころか、“帝の追手”という重い十字架を背負う羽目になろうとは。
いつ何時襲ってくるか分からないため、こうして少しでも見通しの良い草原を歩いていたのだ。たとえ匍匐前進で来たとして、音がすれば気づく手立てにはなる、そう考えたのだ。
「……」
溜息も、無闇に吐けない。敵に気づかれてしまうかもしれない。そんな恐怖が彼女を支配していた。
――本当なら、呑気にモジュール回収してたんだけどなぁ……。
平穏無事な日常が、ちょっと前には当たり前のように存在してはずなのに。
休みの日には、好きなものを食べたり、買い物したり、ちょっと気弱な男の子をいじめてみたり、していたのに。
――気弱な男の子ねぇ。
本当にそんな毎日が良かったのだろうか。
あの時、エルザの一件の時、帝やバグの秘密を知らなかったら、果たしてあの日々は戻っただろうか。
もしかしたら、いずれ秘密を知ったかもしれない。
そうしたら、結局浪々の旅をしていたかもしれない。
いつもここで、思考が止まってしまう。堂々巡りだ。
しばらく歩くと、少し開けたところに出た。
どうやら沼のようだが、その水質は濁り、中の様子は分からない。
それどころか、ガスが溜まっているのか、水面に気泡が断続的に浮かんでいた。
ユズハは休憩しようと、そのほとりに腰を下ろした。
その時だった。
物音がしたのだ。草を分け入るような音だ。
一見すると、腹を空かせた狼が人を襲いに来た――という構図だろうか。だが良く見ると、そのシルエットは何かが違う。
上顎の二本の牙の長さが尋常ではなく、まるでマンモスのように反り返った挙句、何と自身の両肩を突き刺していたのだ。
だがそれは身を守る為に進化したらしく、牙の形状は平らだった。さらに厄介なのは、両肩を震わせることにより、牙達が擦り合わさり、火花が明滅。それだけなら、まだ良いのだが――。
「……」
そんな狼から視線を外さずに、ユズハはじわりざりと後退っていく。
瞬間、狼の周囲で何かが爆発し、目を射るような閃光が突然出現した。身を焦がすような熱風も一緒になって、彼女に襲い掛かった。
「嘘……」
閃光が、エルザの驚きの表情を照らし出す。
実はこの辺りの土深くには、石油が多く眠っており、それを吸い成長する草が茂っており、狼の火花が引火し、爆発を起こす“自然現象”が頻発していた。
といっても、ユズハはそのことを知らずに、この草原に来たようだが……。
ちなみに沼のガスは天然ガスのようだ。
などという野暮な説明はいらず、現に爆発。――しかも今度は三連続。
立て続けに目が眩むほどの閃光。それを追い抜かんばかりに熱風が顔を出す。最後に爆発だと証明するかのように、腹の底から響く重低音が疾走していく。
「!」
あまりの出来事に、逃げることを忘れて地面に縫い付けられるユズハ。
刹那、左前方の草むらが爆発音という悲鳴を上げ、まるで助けを求めるが如く、炎を宿した風が凄まじい速度でユズハの頬を掠め――なかった。
彼女の視界に、誰かが立ち塞がったのだ。
男だ。
ショーテルという独特の反りが入った剣を手にして、狼の前に対峙している。
「……アァァァ……」
一方ベルクは、そんな彼に透きがないのを感じたのか、まるで警戒するかのように低音で唸りながら、頭を低くしていく。
その儘重心は首より後ろ――背中、腰へと移動。そして最後に到達した後脚に全神経を集中させていく。
男に向かって眼光を鋭くさせながら、後脚を力の限りバネのように折り畳んでいったのだ。
まさに、弓を引いている状態だ。
標的は、呼吸一つ乱れない眼前の男ただ一人――。
何かに気付いたユズハが、思わず声を上げた。
「――来たっ!」