ジャンク・ボンド 第四章 1
砕封魔の場合――。
ある日、テレーゼは雨の降る森の中を歩いていた。
真昼のはずなのに、空を遮る葉を茂らせた木々の下のためか、それとも重く垂れ込める雨雲のためか、まるで夜のような闇の帳が下りていた。
雨音は激しいが、幾重にも重なった葉によって、彼女の体に触れる頃には雨粒が小さくなっていた。
あの日から――エルザの一件から数日後、砕封魔はレッドを追うことはせず、ただ当てもなく彷徨っていた。
いや、帝の追っ手から逃れようとしていた、という方が正しいか。
「……」
雨宿りの意味合いで森の中に逃げ込んでしまったが、こんなに木が生えていると、身を隠すところが多くて正直面倒くさい。
どこから敵が襲いかかってくるか分からないからだ。
砕封魔が、周囲に気を配っていると、何かの音が耳朶に触れた。
どうやら人間のようだ。呻き声のようだ。
「ウ、ウッ……」
声がする方へ目を転じると、樹齢何百年も生きていそうな太い幹にもたれ掛けて、胸を押さえながら、苦しそうに息をしている男がいた。
「……」
砕封魔は不審に思い、男に近づこうとはしなかった。
何しろ、追っ手かもしれないのだ。
こっちが助けようとした瞬間に、グサリ――ということも充分有り得る。用心に越したことはない。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
思いの外静かに降る雨音のためか、男の苦しそうな息の根が妙にはっきり聞こえた。
そんな男に対し、テレーゼは機械的に踵を返した。そして遠ざかろう足を前を出したところで、結局止まってしまう。
「……」
なぜか、こんな時に限って“アイツ”のことを思い出す。
――アイツなら、何だかんだいって、コイツを助けようとするんだろうなぁ……。
「……はぁ」
刀はため息を吐いてから、ゆっくりと振り返った。そしてその足は、男の方に近づいていった。
自分でも信じられない行動だった。
今まで人を助けようとしたことなど、一度もなかったからだ。下手をしたら、人を憎んでいる時でさえあった。
昔なら、誰がくたばろうが、自分には関心のないことだった。
それなのに……。
ふと、必死にエルザを助けようとするアイツの顔が浮かんだ。直後、砕封魔は舌打ちしかできなかった。
――たくっ。あんなヤツ、もう関係ねぇってのによぉ。
そんなことが頭から離れないなか、男に声をかけた。その声には、少し棘があった。
「おい。大丈夫……じゃなさそうだな」
「……ぁ」
男が、ぎこちなく頷いた。
「胸が苦しいようだな。病気か?」
その言葉に、男が首を横に振ったが、それ以上は言葉は出てこなかった。
徐々に意識が薄れていったようで、胸を押さえる手の力も失い、無造作に地に落ちた。目も今にも閉じようとしている。
良くみると、呼吸しようとしているが、胸が膨らんでいない。
――肺に空気が入っていねぇのか?
テレーゼが、おもむろに男の服を破り、胸に触れた。
すると、男が息を吸おうとするタイミングで胸が“バリバリ”と音を立てていた。
――こりゃあ。どこかで胸を打ったな。
多分、今もたれ掛かっている木から落下した衝撃で、肋骨が肺に刺さり穴を開けたらしい。
いわゆる“外傷性気胸”という奴だ。
――とにかく、肺に溜まった血を抜かねぇと。
恐らく、男の穴の空いた肺に血液が溜まり、酸素が入らない状態になっているのだろう。
「……」
男がとうとう気を失ってしまった。
だが好都合だ。
何しろ、これから行う処置は激痛が伴う。もちろん麻酔なんてない。気を失ってくれれば、痛みも感じなく済む確率が高くなる。
「……そのまま気を失ってろよ?」
といいながら、砕封魔は刀を抜き、切先を男の胸に向けた。
そして、何とさっき音がした胸の部分に、突き刺したのだ。
「う……!」
結局、あまりの痛さに男の目がカッと見開いた。
「我慢しろっ!」
直後、男の胸から血液が勢いよく噴き出した。テレーゼの体が赤く染まってしまった。
すると、男が息を吸う度に胸が膨らもうとする。
ただし、今作った穴からすぐに空気が漏れるので、あっという間に萎んでしまった。
今度は、その穴から空気が入っていかないように、弁を作らなければならない。
だが、ここは森の中――。
そんなもの、簡単に手に入る訳がない。
――あんまり、やりたくはねぇが……。
テレーゼが急に立ち上がり、周囲を見回した。
すると、人間の小指ほどの太さの茎の草を、手で折った。
その後、茎の中を覗き込んだ。
茎の中は空洞で、強度もそれなりにある。一応、雨水で中を濯いでおく。
そして、男の胸の穴に差し込んだ。
角度を間違えると、肺ではなく腹腔に入ってしまうため、ここは慎重に事を進めなければならない。
「……」
しばらくすると、硬い感触に当たった。
――ここか?
さらに奥に差し込んだ。
「――!」
男が、さらなる痛みに体を力の限りバタ吐かせる。
「じっとしてろ!」
そして、ようやく肺に到達したようだ。茎から空気が漏れてきたのだ。
もちろん、これだけではすぐに茎が抜けるので、テレーゼが袖の一部を切り取って傷の上を押さえ、木の蔓で胸を何重に縛り上げた。
――とりあえず、これで何とかなるだろう。
あとは、医者のいるところに連れて行って、ちゃんとした手術をしてもらわなければならない。
テレーゼは、男は森の奥へと消えて行った……。
約1ヶ月振りです。だいぶ待たせてしまいましたが、(誰も待ってないって?)今後もよろしくお願いします。




