ジャンク・ボンド 第三章 17
それでもテレーゼは、苦痛に表情を歪ませることはなかった。
テレーゼの足が、ジェットの足を絡めて倒そうとするが、相手の動きが一瞬速かった。
ジェットが素早くバックステップしながら、触手たちを放ち、彼女の足を絡めて動きを封じたのだ。
おかげで、立つこともままならない。
仕方なく、今度は刀で触手を切断しようとしたが、なぜかその手が止まってしまう。
どうやら、ためらいが出たようだ。
なぜか。
実は、なんと彼女とジェットの間にエルザがいたのだ。
正確には、テレーゼの上半身にしがみ付いている。
そして、這うようにして顔面まで迫ってきていた。
視界一杯に広がる、感情の抜け落ちたような表情のエルザ。
「……」
さすがのテレーゼも、動きを止めてしまった。
そんな彼女を目の当たりにして、見下すように嘲笑うジェット。
「ガハハハ……! 予想通り、手も足も出まい。この子を捨てた親に感謝せねばな。――いやぁ。良い手駒が手に入った!」
そして、テレーゼの足を触手でさらに絞り上げていく。
このままいけば、骨が折れるのは確実だろう。
一方で、エルザがテレーゼの首筋めがけて牙を剥いた。
ただ眺めているしかなかったレッドが、思わず声を上げる。
「や、やめてくれっ!」
直後、刀の柄頭がエルザの横面を勢いよく弾いた。
おかげで、エルザの体が錐揉みしながら吹き飛ばされてしまった。
「残念だのぉ。大事な手駒なのに……。でも、これでとうとう本性がわかったわい。いくら親しかろうと、結局我が身が可愛いと。情けないのぉ」
ジェットが大袈裟に眉尻を下げた。
その言葉に、刀が「五月蝿ぇ」と反論を試みようとしたが、それどころではなかった。
身動きの取れなくなった両足を何とかするのが、先決だからだ。
触手を切るため刀を振るおうとしたが、別の触手が右腕の動きを封じてしまった。
それに加え、さらに別の触手が上半身を突き刺し、地面に縫い付けてしまった。
「さぁ。どうする? もう一度“あの方”のところに戻るか? そうすれば許してやる」
レッドが眉を顰める。
「あの方?」
ジェットが、レッドに白い歯を見せつけながら答えてくれた。
「――この大陸を統べる者」
「まさか……」
「そう。帝――その名も“サイト”帝!」
ジェットの言葉が波及していくと、その場にいた誰もの表情が驚いたまま凍り付いた。
帝とバグが繋がっていることに驚き、
助けに来てくれたらしい女性もまた、かつて帝の手下だということに驚き、
そして何よりも、その女性が今明らかに不利な状況に立たされていることに、驚きと落胆の色を隠せなかった。
一方砕封魔は、「誰が、あんなヤツに……」と苦々しく呟しかなかった。
それを聞いたジェットは、「そうか。ならば死ね!」と、彼女の上半身を串刺しにしていた触手で、テレーゼの体を天高く持ち上げてしまった。
「さぁ。何度叩きつけられたら、その減らず口は消えるかのぉ。ガハハハ……!」
直後、宙に浮いていた体が、突然重力に引き寄せられ、地面に向かって急降下――激突してしまった。
「一回!」
そして、もう一度持ち上げる。
もう一度落とす。
「二回!」
再び持ち上げる。
再び落とす。
落下する度に、大きな音と共に、砕けた地面の破片が飛び散った。拡散する埃も相まって、みんなの瞼が自然と閉じていった。
それでも、ジェットの攻撃は止むことはなかった。
「三回!」
また持ち上げる。
また落と――せなかった。
「――!」
なぜか、落下音の代わりに、ジェットの呻き声が聞こえた。
よくみると、みぞおちを手で押さえて苦しそうに蹲っている。
そんなジェットが見上げた視線の先には、なんとレッドが立っていた。
しかし、レッドの方も自身の右手に目を向けながら、かなり動揺していた。
「えぇ!? 嘘っ!?」
困惑の色を隠せないレッドの右手には、砕封魔を納める鞘が握られていたのだ。
どうやら、砕封魔が鞘を使って、レッドを操り、相手のみぞおちに叩き込んだようだ。
直後、テレーゼを突き刺していた触手が抜け、瞬く間にジェットの体に回収されてしまった。
「……?」
レッドは、未だに信じられないとでもいうように、自分の手を大袈裟に覗き込んでいた。
「ぐ……ぅ……」
一方ジェットは腹部を押さえながら、それでも覚束ない足取りで、レッドの元へと歩いていった。
そんな彼に気づいたレッドは、無理矢理笑顔をつくろうと、口元の片方を強制的に吊し上げたが、傍からみていると痙攣しているようにしか見えなかった。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよぉ。そんなに怒んなくても。スマイル。スマイル。ハハハ……」
「……」
それに対し、ジェットは一切表情を崩さず、尚もレッドに迫ってきていた。
「俺じゃないんですよぉ。アイツですよぉ。あの、傲慢で偉そうなカタナが――」
と言っている傍から、レッドの鞘の先がジェットに向けられてしまう。
もちろん、レッドの意思ではない。
他方、刀が何かを呟いた。
「誰が偉そうだって?」
「えっ? いや、そんなぁ。誰がそんなこと言いました? このオッサンが――」
レッドが、弁解しようと砕封魔に向けていた視線を戻すと、目の前にジェットの憤怒の表情が肉迫していた。
「うわっ!」
「俺がどうしたって?」
「あれ? どうかしました? ハハハ……」
あまりの迫力に押され、レッドはヘラヘラ笑うしかなかった。
そんなレッドに、ユズハがツッコんだ。
「アンタ、一体どっちの味方よ! 彼女を助けたいんでしょ!」
ちなみにユズハは糸で膜を作り、バグから他の人間たちから守っていた。
「!」
彼女の言葉で我に変えるレッド。
全身が恐怖で震えるなか、それでも腕の筋肉に鞭を打って、鞘を構え出した。
そんなレッドを見るなり、ジェットが口元を綻ばせた。
「ほう。やる気か」
「や、やる気? ――って、どんな字だったかな? ハハハ……」
ジェットの気迫に押され、結局レッドの目は泳いでいた。
その視線は、どこかに救難信号を飛ばしているようだが、誰も受け取ってくれないらしい。
そんな時に、ジェットの背後から声が聞こえた。
「字もわかんねぇだろうなぁ。おめぇの頭のなかは煩悩だらけで、容量足りねぇもんな」
そこには刀を構えるテレーゼが立っていた。――と気づくのも束の間、刃をジェットの背中に突き立てようとしていた。
しかし、それは叶わなかった。
背中の皮膚があまりにも硬く、跳ね返されてしまったのだ。甲高い音だけが虚しく響いてしまった。
「イテテ……。どんだけ硬ぇんだよ」
直後、ジェットの背中を覆っていた触手が後方に飛び出した。
狙いはもちろんテレーゼだ。
それらを回避しながら切り払う砕封魔。
同時に、ジェットの目を盗むようにして、文字通りレッドが鞘に振り回されながら攻撃を仕掛ける。
だが、それも触手という名の絶対防御の壁に阻まれてしまう。
それどころか、レッドに到達した触手が体をがんじがらめにして絞り上げていった。
さらに首も締まり、酸欠に陥ってしまったのか、とうとう気を失ってしまった。
一方砕封魔も窮地に立たされていた。
今のレッドの状況に気を取られた透きに、死角からきた触手にテレーゼの足を縛られ、そのまま吊し上げられてしまったのだ。
その場にいた誰もが嘆息を漏らす中、ジェットだけが身動きできない二人を笑い飛ばしていた。
「二人で挑んできたというのに、情けないのぉ。ガハハハ……!」
その時だった。
急に笑い声が止まったのは。
ふくらはぎに鋭い痛みが走ったのだ。
自身の足元に視線を落としたジェットの顔が、驚きに変わった。
次でいよいよ第三章が終わります。
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