ジャンク・ボンド 第三章 8
誰かと誰かが会話している。両方とも、聞き覚えるのある声だ。
「――まぁ。要するによぉ。動きの早かったコイツを乗っ取った方が、あの場合最善の選択だったって訳だ」
砕封魔だ。
誰かに説明している。“コイツ”って誰だ?
「確かに、すばしっこい敵にはちょうど良いかも。それにしても、爆発させるなら、一言欲しかったわよ。そして、疑問がもう一つあるわ。――あの時のレッド、何かおかしかったよね?」
ユズハか。
俺がおかしかったって、どういう意味だ?
「……あぁ。あれは、コイツの人格が邪魔で、動かしにくかったからな。あの時、気を失っていたから、ちょうど良かったぜ」
コイツって、俺のことか?
もしかして、俺気を失っていたのか?
頭が重い。
瞼が重い。
いや、それどころか体全体に力が入らない。まるで、自分の体じゃないみたいだ。
「……」
レッドが、ようやく息を深く吐き出した。
どうやら思い出したようだ。――エルザを守ろうとして、結局失敗したことを。
――何をやっているんだ、俺は……。
そして、瞼をゆっくりと開けた。
「目を覚ましたわ!」
視界に飛び込んできたのは、煉瓦の天井とレッドの顔を覗き込むエルザだった。
泣き腫らした顔に、笑みがこぼれていた。
――何だかんだ言って、泣き虫なんだな……。
「……」
レッドが、幼さを残したエルザの顔を見つめていた。
自分を黙って見つめるレッドに対し、その視線に気まずさを覚えたエルザ。――何故か、顔を赤らめる。
「ち、ちょっと!」
何故かエルザが慌てて飛び退いた。
「……?」
一方、不思議がるレッド。
何故か呼吸が荒くなるエルザ。
「ハァ。ハァ。ハァ……。アンタ! 本当は最初から起きていたんでしょ!」
何故か、遠くからレッドに指さしながら怒っている。
そんな彼女の右腕には包帯が巻かれていた。
そこへ、彼女の隣にいるテレーゼいや、砕封魔が何故か嬉しそうに話しかけた。
「だから言ってるだろ。コイツは年中女の尻を追っかけているような男だぞ。何されるか分からねぇから、近づくなって」
――偉い言われようだな。まぁ。否定できない部分もあるのだが……。
「お前なぁ」とレッドが反論しながら、起き上がろうとしたが、体中に激痛が走りベッドに沈んでしまった。
「痛たたた……」
覚えてないが、相当無理をしたようだ。
いや、“させられた”と言った方が正しいか。
それにしても、ここは何処だろうか。
さっきまで下水道にいたような気がしたが。
レッドが改めて周囲を見渡した。
室内は、白い煉瓦で構成されていた。普段から掃除しているのだろう。
その白さには、くすみは見られなかった。
大きな窓からの陽光が、その白さをさらに際立たせていた。
逆に言えば、他のめぼしい調度品がない。
現に窓にもカーテンがないから、眩しいほどの光が入ってくる。
ベッド脇にサイドボードぐらいあっても良さそうなものだが、何もない。
いや、床に目を落とせば、昔は様々な家具類が置かれていたのであろう、跡がくっきり残っている。
良く見れば、その壁や床も老朽化している。
部屋の広さと造りからして、家主は多分かつては豪勢な暮らしをしていたに違いない。
だが、今は見る影もない。盛者必衰、といったところか。
「お目覚めでしょうか」
そこへ、聞き覚えのない声が、穏やかに割り込んできた。
男の声だ。
口調からすると、年輩の男性だ。感情の起伏の少ない、落ち着いた声だ。
レッドが、声の主に目を向けると、まさに声から聞いた印象そのものの人物が、扉の前に立っていた。
白髪や白髭も、きちんと手入れしており、清潔感が漂っていた。
身につけた燕尾服も、少々くたびれていて、デザインも古いようだが、皺一つない。
男が、深々と頭を下げた。その所作も、無駄がない。
体格は、良く見ると年齢の割に、筋肉がついているようだ。
だが、それは優雅に振る舞うために、必要な程度だ。
その男――この屋敷の執事だろう――に気づいたエルザの顔が、まるで懐かしい者をみるように緩んだ。
「“ブラウン”。助かったわ」
彼女の言葉に、ブラウンと呼ばれた執事は、再び上品にお辞儀した。
「いえ。“お嬢様”のご友人とあらば、助けて差し上げるのが当然でしょう」
――ご友人? お嬢様?
どうやら、助けてくれたのが、この執事らしい男のようだ。
だが、それしか分からない。
レッドの頭の中が、疑問符で満杯になる中、砕封魔が感心したように発した。
「執事の鑑だねぇ。こんな嬢ちゃんにも仕えていたんだもんな」
「どういう意味?」という、睨みつけるエルザの視線を無視し、砕封魔がレッドに話しかけた。
「とにかく、命に別状はねぇようだ。それにしても、あの状況の中、大した火傷もせずにいるとは、おめぇの体やっぱり普通じゃねぇな」
その言葉に、レッドが妙に納得してしまった。確かに大した手当をしてもらっていないのに、見える手足は火傷がほとんどない。
気づけば、自分の服装も変わっている。
上下共に上等なものだ。
上は肌触りの良いシルクのシャツ。
ズボンも、労働者階級が履くものとは違い、丈夫さよりも、着心地を重視した、ふんわりとした生地だった。
たぶん、気を失った時、服が下水で汚れてしまったからだろう。
あの独特の下水の臭いも、自身からしないことからすると、もしかして体を洗ってくれたのかもしれない。
――本当に有り難い話だ。
ふと、視線を移動させると、エルザの隣に立っているユズハは、体が包帯で幾分か覆われていた。
ちなみに、テレーゼは無傷のようだ。手当されているようには見えなかったからだ。
確かにあの狭いトンネルで、爆発が起きれば、相当な火傷を負うのが普通だ。
――もしかして、俺ってすごい?
根拠のない優越感に浸っていたレッドに、砕封魔の鋭い言葉が突き刺さる。
「まぁ。それよりも頭の中が普通じゃねぇもんな」
「どういう意味だよ!」
レッドが、思わず起き上がりツッコんだ。
直後、結局痛みで体を震わせる。
「くぅぅぅ……!」
「忙しいヤツだね。まったく」
砕封魔が溜息を吐いた。
そんな二人のやり取りを、しばらく黙って見ていたブラウンが、一旦会話が終わったのを見ると、すかさず、それでいて上品に会話に割り込んだ。
「そろそろ、お食事はいかがでしょうか」
その言葉に、今まで会話に参加していなかったユズハが、目を輝かせて声を上げた。
「良かった。お腹ペコペコだったの!」
その後、執事は、銀色のワゴンを室内へと運び入れた。
その棚には、幾つかの皿や椀が並んでいた。
その皿には、わずかばかりの干し肉の塊。
椀には、具が一切入っていないスープが入っていた。
「え。これだけ!?」
ユズハが驚きの声を上げた。
目を丸くする彼女の言葉に対し、申し訳なさそうに眉尻を下げるブラウン。
さらにお辞儀して謝罪の言葉を発した。
「申し訳ございません。今は、これだけしかありません」
「どうしてよ」
「……この家は、いやこの街は……もう、死んでいるのです」
レッドが、ふと窓の外へと目を向けた。
「これは、一体……」
思わず、声が漏れた。
窓の向こうは、街の体裁すら整わない、廃墟の塊だった。
かつては石畳だったであったでろう地面は荒れ果て、砂漠が浸食していた。
建物も、壁や屋根は崩れ落ち、そこを砂を含んだ乾いた風が通り過ぎていく。
動物どころか、草もろくに生えていない。
街の中央に目を転じれば、使い物にならない噴水の女神像の首が、地面に落ちていた。
彼女の空虚な双眸が、灼けつける太陽を見つめていた。
一方、ブラウンとエルザは、悔しさと悲しみで体を震わせていた。
そして、ブラウンがゆっくりと説明してくれた。
「かつては、この“シェルター家”は、大陸でも屈指の家柄でした。もちろん、その富も莫大なものでした」