表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

34/67

ジャンク・ボンド 第三章 7

 テレーゼに従い、何度か分かれ道に行くにつれて、徐々に地面や壁が湿っていることに気がついた。


 気づくと、足跡がくっきりつくようになっていた。

 壁もしっかりと固まり、まるで人工物のようだ。


 いや、“まるで”じゃない。本当に人工物だ。煉瓦のようだ。


 どうやら、少なくとも人がいるところまで近づいたようだ。


 明かり一つない、長く、冷たい洞窟。というより下水道といったほうが正しいようだ。


 そこを、ただ前へ前へと進むしかなかった。 


 「なんか、いやーなところね」ユズハが、湿った洞窟の壁を伝いながら、呟いた。その声が、不規則に反響する。


 「下水道に通じていたとはな」という砕封魔の呟きに対し、


 「お前の勘も大したことはないな」


 と、レッドが嬉しそうにツッコんだ。


 足元には、地下水が溜まっており、歩く度に掻き混ぜられていた。


 「何とかならないの。レッド」


 一方エルザは、淀んだ水のせいか、異臭に鼻を摘みながら、爪先で歩いていく。


 「何とかって、どうすれば良いんだよ」


 その言葉に、顔を歪めたレッドが聞き返す。


 「私を背負え」


 「はぁ!?」


 ユズハが慌てて顔を近づけた。


 「宝よ! いっときの辛抱よ!」


 「あのな。俺は、ここに来るまで相当辛抱してると思うけどなぁ」


 「“若い内は、苦労は買ってでもしろ”って言うでしょ」


 「少なくとも、お前より年上だよ!」


 レッドの声が大きく反響した。――その時だった。


 彼の声が、洞窟の奥に届いたらしい。何かが反応したようだ。


 まずは、音だった。羽ばたくような音が、複数。耳朶に触れる――前に、空気がうねる。


 『キキキ――ッ!』


 直後、時間差で鋭い鳴き声と共に、何かが一斉に飛び掛かって来たのだ。

 蝙蝠の大群だ。


 「何よ。蝙蝠じゃな――」言い終わらない内に、ユズハの言葉が止まり、表情が固まった。


 蝙蝠が彼女を通り過ぎていったのだ。


 直後、その頬からは、血が垂れていた。


 「……?」


 ユズハが、不思議そうに自分の頬を触り、手で拭った血を視界に入れた。


 呆然としているユズハを無視し、蝙蝠達は何度も飛翔を繰り返している。

 その軌跡は、刃物のように鋭かった。


 暗くて見えないが、目を凝らすと蝙蝠が通過する最中に、火花が連続で散る。その度に周囲が明るくなった。


 蝙蝠の翼がトンネルの壁を削っていたのだ。


 どうやら相当の硬度を持っているらしい。――などど分析できる余裕など与えてくれなかった。


 『――!』


 慌てたレッドやエルザが逃げようと踵を返した。――その背中を、遅れてしまったユズハが必死に掴んだ。


 「ち、ちょっと!」


 「五月蝿い! 放せ!」レッドが振り解こうとする。――そんな二人の間を蝙蝠が通り過ぎていく。


 『……』


 ――助かった?


 レッドとユズハが顔を見合わせた。時間差で緩んだ。


 ところが、二人の体は何か見えない力によって吹き飛ばされていた。


 トンネル内に、複数の風切り音が轟音となり、駆け抜けたのだ。


 「な、何だ!?」


 無様に転んだレッドの問に、砕封魔が珍しく緊張した声色で答えた。


 「“かまいたち”――空気の刃だ!」


 目の前の真空の渦に、体が持って行かれそうになっていた。


 「嘘だろぉぉぉ!」


 真空の渦に巻き込まれまいと、レッドが必死に壁に掴まった。

 悲鳴すら、風切り音に掻き消されていた。


 「五月蝿いっ!」


 一方ユズハは、転倒して地下水に身を沈めながら、糸を瞬く間にトンネル内に張り巡らせた。

 といっても、流されるほどの水深ではないが。


 そんな糸の集合体が、レッドの体を絡め取り、瞬く間に包み込んでいく。


 レッドの「俺を殺す気か!」という文句に、ユズハが「五月蝿いっ!」と反撃する。


 二人が言い合っている内に、かまいたちが目前に迫って来ていた。


 強風に煽られたレッドが「本当に死ぬ!」と喚き散らす。


 しかしレッドが喚いたところで、かまいたちは止まるわけでもなく――。

 むしろ、周囲の蝙蝠や下水を巻き込み、勢力を拡大させる。


 もはやレッドは、細切れになる自分しか想像出来なくなっていた。


 「!」


 ところが、彼の体は幾分か風で煽られたものの、痛みは一切感じなかった。


 実はレッドの体を、ユズハの糸が守ってくれたのだ。

 直後、糸が解けて、レッドの体が下水道に投げ出されてしまった。


 「……あれ? 助かった?」と、呆然とするレッドの側で、ユズハの糸が空気の刃によって次々に切り落とされていた。


 「また、出費がかさむ!」


 何とか上体を起こしたユズハの嘆きが聞こえた。


 別に助かった訳ではない。

 ただ、かまいたちからは逃げることが出来たに過ぎないのだ。


 「……」


 他方テレーゼは、網をくぐり抜けて来た蝙蝠を、立て続けに斬り落としていた。


 蝙蝠が、狭い空間を自由に滑空する。


 その軌跡は、トンネルの天井を沿うように円を描いたかと思うと、自身を絞り上げ、螺旋状に回転しながら、レッド達に狙いを定めるに至っていた。


 まるで銃弾だ。


 もちろん、一匹や二匹の話じゃない――。


 群れの一つはトンネルの壁を削り、別の群れは水面すれすれに飛翔していた。

 おかげで、周囲を火花と水柱、そして旋風が突き抜けていく。


 「……」


 テレーゼの視線は、蝙蝠の動きに反応する気もなかった。

 ただ、前を見ている。


 その代わりに、右手だけは激しく振られていた。


 ちなみに狭いトンネル内では、刀を振り回せば、壁に当たり、弾かれてしまう。


 彼女は、いや砕封魔はそこまで計算して、動きを最小限にして刀を振るっていた。


 『キキッ!』


 たった今、数匹が右頭上から頭目がけて急降下してきた。


 しかし、彼女は黒目を動かすこともなく、その進入ルートへ刃を滑り込ませた。――ように“見えた”。


 その刃が、蝙蝠の翼によって弾かれてしまったのだ。


 「!」


 テレーゼの目が思わず丸くなる。


 「痛てっ!」という刀の声すらも、連なる風切り音に吸い込まれていった。


 それだけは終わらなかった。


 刀だけでなく、女の腕を“空気の刃”が斬り付けていったのだ。


 どうやら、目の前を通過する群れの一つに気を取られていたらしい。――足元の水柱の先を飛ぶ蝙蝠に反応するのに、ワンテンポ遅れてしまったのだ。


 飛び退ろうとするふくらはぎを、翼と空気が斬り付けた。しかも間断なく、次々と――。


 「ちょっと、大丈夫!?」というユズハも声を掛けるだけで精一杯だった。

 ちなみに、すでに立ち上がり、視線と糸が蝙蝠を追跡していた。


 何しろ、糸で絡め取ることができるのは、一度に数匹が関の山。きりがない。


 一方ユズハの問いに、テレーゼが答える代わりに怪我をしたふくらはぎが悲鳴を上げる。


 体が痛くない方へと自然と傾く――その透きを狙うが如く、再び蝙蝠の群れが反対側の足を急襲する。


 思わず膝が折れてしまう。


 彼女の体が、勢い良く崩れ落ちた。


 他方、レッドはエルザの体を庇うようにして覆った。


 「ちょっと! 離れて!」と、ジタバタともがく彼女の耳が、通過する激しい風切り音を捉えた。――刹那、眩しい閃光が辺りを飲み込んだ。


 「!」


 時間差で、爆風と共にレッドの低い呻き声が、聴覚を刺激した。


 爆風と閃光が収まり、目をゆっくりと開けると、そこには体中斬り傷に覆われ薄れゆく意識の中、それでも自分を守ろうとするレッドの姿があった。


 どうやら、トンネル内にメタンガスが溜まっていたようだ。それに火花が引火したらしい。

 でも今は、そんなことはどうでも良い。


 「え。嘘……」これ以上、エルザの口からは言葉が出ることはなかった。


 ――ボロボロになってまで、私を守る? 普通……。

 あれほど、私を嫌ってたのに――。


 「……」


 ついに意識を失ったレッドが、エルザの小さな体に無造作に凭れ掛かってしまった。

 水温に冷やされる中、彼の体が沈まないように必死に支えた。


 その間も、蝙蝠の攻撃は止むことはなかった――。


 折角、眼前の男が守ってくれたというのに、エルザの体も少しずつ傷つけられていく。――今右肩をやられた。


 痛みが、レッドを支えた右腕まで伝わり、今にも落としそうだ。――いや、今度は右腕を斬り付けられ、結局落とす結果になってしまった。


 「あっ!」


 エルザの声が、トンネル内に反響した。唇を噛み締めた。


 水深はせいぜい膝下ぐらいまでだから、彼の体が流されるほどでもない。

 だからといって、顔面が水面に浸かっている。――溺死するのは、時間の問題だ。


 「ハァ。ハァ……。んしょ!」


 非力なエルザが、必死にレッドの体を引き上げようとする。


 しかし、そのか細い腕は、彼を数センチ浮かせたところで、すぐに音を上げてしまった。


 おかげで、その勢いのまま尻もちをついてしまった。


 しかし、自分の無力さを恨む暇など、神様は与えてくれてなかった。

 視界の向こうから、蝙蝠が一匹――彼女目がけて突っ込んできたのだ。


 「嬢ちゃん、伏せろっ!」声の主を確かめる術もなく、エルザが思わず蹲る。


 その際、水面に浮かんだのは、男が立ち上がる姿だった。


 ――え。嘘……。でも、良かった。


 頭を抱えて目を瞑ったエルザの顔は、何故か笑みを浮かべていた。


 直後、駆け抜けたのは風切音ではなく、蝙蝠の断末魔だった――。


 そこには、手にした砕封魔を縦横無尽に振り回すレッドが立っていた。


 その勢いは尋常ではなく、蝙蝠の起こした旋風ですら、レッドを捉えることができないほど、その動きは速かった。


 たった今、自分に向かってきた蝙蝠を、撫で切りにした。

 鳴く暇すら与えられず、水中に落下した。


 まさに、目にも留まらないほどに――だ。


 「……」


 しかし、いつもの彼とは様子が違っていた。その証拠に目が虚ろというか、生気がないというか……。


 『キキキキキキッッッ……!』


 しかしそんな異変に気付けないほど、レッドに蝙蝠の大群が一斉に飛び掛かってきた。


 野生の本能か。


 多分、今その場にいる中で、危険なのがレッドだと悟ったのだろう。まずは、この男を始末しないと――と思ったのか。


 トンネル中が蝙蝠の鳴き声、旋風、爆発、水柱――それぞれが、無秩序に発生し、五感がすべて麻痺する。


 「……」


 しかしレッドは怯むどころか、眉一つ動かさずに、蝙蝠を次々に斬り伏せていく。


 その剣閃は、硬い翼ではなく、胴体に狙い定めていた。

 次々に襲いかかって来るなかで、そんな芸当が出来るとは、神業といっても良い。


 まるでテレーゼのようだった。


 少なくとも、ユズハはそういう印象を受けていた。


 いや、それ以上だ――。


 今度はレッドが、刀を握っていない左手で、蝙蝠を鷲掴みにし、それを力尽くで壁に投げつけた。


 それも、立ち止まらず、壁や天井を駆け抜けながら、だ。


 もはや、人間の動きではなかった。


 そんな姿を呆然と見ていたユズハが、何かを思い出した。


 大蜘蛛との戦いだ。


 ――もしかして、刀が操ってるの!?


 それにしては、前とは違い、理性が飛んでいる。一体、何が……。


 ユズハはそんなことを頭に浮かべながらも、エルザを抱えて、レッドから飛び退いた。

 もちろん、彼女を危険から遠ざけるためだ。


 「ねぇ! 大丈夫なの?」というエルザの問いかけに、ユズハが視線を合わせずに答えた。


 「――さぁ。でも、あの様子だと、蝙蝠を心配した方が良いかもね」


 ユズハの視線は、レッドに向けられていた。口元を歪ませながら。


 視線の向こうで、レッドの活躍は終わらなかった。

 未だにトンネル内を縦横無尽に走り回っていた。


 それだけじゃない。


 走りながら、壁や天井を切りつけていたのだ。


 「痛って!」という刀の声が聞こえた気がした。


 だが、レッドを操っているのが砕封魔だとしたら、何故わざわざ自分を痛い目に遭わせるのか――?


 刹那、火花が不規則に、断続的に、明滅する。


 そして刀が叫んだ。


 「糸を出せ!」

   

 「!」


 突然の命令に関わらず、エルザの体が勝手に反応していた。

 両手を真横に広げた瞬間、無数の糸がトンネル内に広がった。


 時間差で、火花が糸を伝って、瞬く間に燃え広がっていく。


 瞬間、「皆、伏せろぉぉぉ……!」という、刀の叫び声とともに、辺りに火炎地獄が広がった。


 爆音と爆風、熱波がトンネル内を埋め尽くした――。 

何とか、10万字いきました。

果たして、都市伝説の〝10万字ブースト〟あるのか?

面白かったら、ブックマークお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ