ジャンク・ボンド 第三章 4
「……?」
意識を失っていたエルザが、ようやく目を覚ました。まだ、ぼやけている視線の先には、砂混じりの空が陽の光を呑み込もうと重く垂れ込めていた。
そんな空が、円形に切り取られている。
視界の端がどうも薄暗い。
首を左右に動かして、その疑問が解消された。
どうやら、穴の中にいるらしい。
あの化物が開けた穴だ。その証拠に、彼女の脇で、ムカデが無惨な姿で横たわっていた。
現に、頭部だけ残して文字通り死んだ目で、こちらを見つめていた。
「……」
そんなムカデに見つめられ、エルザは背筋を凍らせるしかなかった。
何しろ、目の前にいるのは、化物だ。もしかしたら頭だけでも、飛び掛かってくるかもしれない。――そんな可能性も捨て切れなかったからだ。
――か、体は……?
エルザが慌てて起き上がった。首をさらに忙しなく振り始めた。
そんな彼女に気付いたのは、レッドと一緒に何かを手にしていたユズハだった。
何故か、口をモゴモゴさせている。
「あ。お目覚めですか?」
こちらに近付いてきた彼女の手には、肉塊が握られていたことに、ようやく気がついた。
「……」
状況を把握できないエルザ。
いや、実際はユズハの持っている肉塊が何であるかは、薄々気付いたらしい。
それでも、恐る恐る指さして聞かざるを得なかった。
「これって……」
彼女の言葉に、“待ってました”と言わんばかりに目を輝かせるユズハ。
「これが、高級食材としても知られる“サンディピート”の肉ですよ!」
――やっぱり……。
高級食材といわれても、大きなムカデの“死骸”を目の当たりにしては、食欲が失せるのも無理はない。
そして、ついにエルザは意識を……失ってしまった。その体が、まるで棒のように硬直し、地面に倒れ込んだ。
そんな彼女を一瞥したレッドは、肉を頬張りながら鼻を鳴らした。
「ふん。これだから貴族は……」
その言葉が、一度沈んだエルザの意識を引き上げた。
「!」
何と、弾かれたように目を開いたと同時に、勢いよく飛び起きたのだ。
それほど、レッドから馬鹿にされるのが、我慢できなかったらしい。
まるで条件反射だ。
さらに、興奮しているのか、顔を紅潮させながら、横たわっているムカデの肉体の前まで、迫った。
「……」
その肉をじっと見つめる。
唾や息を呑み込むのさえ、やっとだ。どうやら興奮していたのではないらしい。
目の前の未知の食材と呼べるかどうかさえ怪しい肉塊を、食べられるかどうか――そのことに対する恐怖のようだ。
しかし、彼女の生来の負けず嫌いが作用して、右手が勝手に、切り取られた肉塊を掴んでしまった。
『……』
そんな彼女につられて、レッドやユズハも動きを止めてしまった。思わず、エルザの動きに注目してしまった。
果たして、彼女は食べるのか――。
次の瞬間――、「い、いやあぁぁ!」と叫び、涙を流しながらも無理矢理口に放り込み、やっとの思いで胃へ押し込んだ。
しばらく沈黙が漂っていた。
エルザは、ギュッと目を瞑っている。体が小刻みに震えているようにさえ、見えた。
次の瞬間、彼女の顔が一気に明るくなった。
今度は喜びの涙を流している。
「お、美味しい!」
「……忙しい奴だな」
そんな彼女を目にして、レッドが口元をわずかに綻ばせた。
ちなみに、バグと野生の生物とは、明らかな違いがある。それは、人間を襲う“意思”があるかどうかだ。
もちろん野生の場合も、人から危害を加えられれば、身を守ろうと襲うことはある。
しかしバグは違う。人に気付くなり、闘争心を露わにするのだ。まるで、そうプログラムされているようだ。
要するに、大ムカデはユズハに刺激されなければ、ただ砂の中で泳いでいた訳だ。
そんなことは百も承知で、ユズハ達はムカデの肉を夢中になって食べていた。
生物は、別の生物を摂らなければ生きていけない――。
ユズハ達にとっては当たり前のことだが、食糧に困ったことのないエルザにとっては、衝撃的なことだった。
まあ。その衝撃は、ムカデの“美味しさ”には勝てなかった訳だが……。
三人は――テレーゼは食べない――そんなことを気にせず、いや逆に我先にとムカデの骸に食いついていた。
「これは私のものよ!」
エルザも急に逞しくなったようだ。
「何を言っているんだ! これだから貴族は!」
レッドの言葉に、エルザが頬を膨らませる。
「貴族、貴族って。馬鹿の一つ覚えみたいに!」
「馬鹿だと!」
今度はレッドが顔を赤らめる。
そんな二人のやり取りを後目に、ユズハが黙って自分の取り分を増やしていく。
「へへへ」と気味悪い笑みを浮かべている。
一方今まで黙っていた刀が、騒がしい二人に対し、「おい。肉泥棒がいるぞ」と、ユズハのことを教えてきた。
その言葉に、二人が瞬時に反応する。
『何!?』
ついでに、目も鋭くなっていく。殺気が籠もっているようだ。
二人の殺気を背後に感じたユズハの手が、ピタリと止まる。
『…………』
ジワジワと迫る二人に対し、ユズハが何か言い訳をしなければいけないと、頭を回転させる。
――こ、殺される!
何故か、確信してしまった。
そして突然、ユズハが「それで――」と、エルザに向かって口を開いた。もうこれしか話題がなかった。
いや、実際聞きたいことだった。
「お宝は一体何処に?」
期待を膨らませたような笑顔を、エルザに近づけていく。
「……」
一方エルザは、ユズハの笑顔を視界の端に入れたものの、黙って肉を食べていた。
まるで、話したくないようだった。
ユズハはというと、そんな彼女の反応に気付かないのか、それよりも宝の在り処を聞き出すことの方が重要と考えたのか、なおも食い下がる。
さらに顔を近づけた。
「だから、お宝――」
「……」
今度は、エルザの耳元で大声で叫んでみる。
「だ・か・ら! お・た・か・ら!」
ムカデの作った洞窟が、揺さぶられてしまった。
おかげで、小動物がパニックを起こし、逃げ惑う。
絶対、聴覚が麻痺しただろうと思うのだが、エルザはやはり黙したままだった。
逆にレッドの方が耳を塞ぐ始末だ。
「ハァ。ハァ。ハァ……」
一方ユズハは、しばらく呼吸を整えながら、エルザの出方を待ってみた。
彼女が何かを隠していることだけは分かったからだ。
――まだ、私たちを信用してないのかしら……。
なぜか、寂しい気分になってしまった。ただの依頼人なのに、だ。
もしかしたら、彼女の過去話に同情しているのかも。
――私が……?
「……」
そんなユズハに対し、エルザは沈黙を保っていた。
いや、視線がようやくユズハに向けられた。
そして、小さく息を吐いた。それは溜息のようにも聞こえた。
「確かに宝はあるわ」
「嘘じゃないのね!」
「……けれど、多分あなたが思っているようなものじゃない」
エルザの視線と言霊が、足下に沈んでいく。その表情は、心なしか悲しみを帯びていた。
そんな、いつもと違う彼女の言動を目にし、ユズハは静かに肩を落とした。
それは、彼女に嘘を吐かれたためではない。――やはりこれは、信用されなかったことに対してだ。
今自分の気持ちに向き合えた気がした。
ユズハが気取られまいと、無意識にいつも通りに振る舞った。
「えっ。私を騙したの!?」
いや、わずかにいつもより声が怒っていた。“演技”が過剰だったか?
ユズハの顔が、わずかに弛緩した。
それは、直感が当たったことによる喜びか、それとも自分のことを信用してくれなかったという落胆か。――まぁ。元々、自分は他人を信用せずに、金だけを信用してきた。
今更、何故感情が揺れ動くのか。
そんな彼女の心の変化に気付かないのか、エルザは神妙な面持ちで続けた。
「でも、そうしないと助けてくれないでしょ」
エルザの鋭い視線が、ユズハに突き刺さった。
「それは……」
何故か、言葉に詰まるユズハ。
――そうね。私って、そういう人間よ。今更、人助けのつもり?
そんな彼女のやりとりを、今まで黙って聞いていたレッドが口を開いた。
「それは違うだろ」
「えっ?」
その呟きに、エルザが振り返った。
「俺達は、金で繋がっている関係。だったら、騙す、騙される関係もない。――金をもらうかどうか。それだけだろ? そもそも信頼関係なんかないんだよ」
「だから――」
「だから、お宝は何処にあるんだ。それだけ分かれば……用はない」
『!?』
エルザだけでなく、ユズハも目を見開いた。
レッドの冷たい言霊が、周囲をじわじわと凍り付かせていく。
息苦しい沈黙を破ったのは、やはりアイツだった。
「――どうした。急にヒール気取りか? おめぇらしくねぇぞ」
砕封魔だ。
冗談めかして言っているようにも聞こえるが、何処かで諫めるようにも聞こえる。
「いや別に。ただ俺も、いつまでも“ぶら下げられた人参”だけで、働かされるのがまっぴらなだけだ」
レッドが吐き捨てるように発した。
一体、どうしてこんなに苛ついているのだろうか……。
果たして、自分が欲しい“人参”とは、何のことを指しているのか。
「いちいち苛立つんじゃねぇよ。それじゃあ。馬以下だぜぇ? ――いや、バグ以下か」
「何!? お前だって、バグだろうが!」
「だから言ってんだろうが!」
「!」
「別に相手を信用しなくても良いじゃねぇか。元々そういう関係なんだろ? だったら、結局おめぇがどうしたいかじゃねぇのか。お宝を目当てでついて来た。だがお宝は、もしかしたら予想と違うかもしれねぇ。――だったら、話は簡単だ。ここで街に戻るか、ここから“自分の足”で付いてくるか……のニ択だ」
「……」
砕封魔の問いに、何故かレッドが沈黙を貫いてしまった。まるで、鉛を飲まされたようだった。
「良いか? おめぇは、今まで人のせいにして生きてきたんだろ。それでも構わねぇ。だがな。なら、黙って長いものに巻かれていろ。今更吠えるな!」
刀の鋭い言葉に、レッドが力一杯拳を握った。
「……」
レッド達のやりとりを見ていたエルザの表情が、さらに沈んでいく。
元を辿れば、自分の発言が発端だ。罪悪感、とは違う……多分。でも後味が悪い。
その時だった――。
知らぬ間に“誰か”が背後に現れたのだ。