ジャンク・ボンド 第三章 3
「何で俺って、いっつもこんな目に遭うんだぁぁぁ……!」
街の外の広大な大地で、レッドは縛られていた。何故か、視界が目まぐるしく通り過ぎていく。
「五月蝿いわね。一緒に来るの!」
ユズハだ。新しく支給された単車に乗っている。
その後ろには、木造の荷車が取り付けられており、テレーゼとエルザが乗っていた。
しかしレッドは――、
「だからって、引き摺らなくて良いだろ!」
荷台にスペースがないという理由で、荷車の後ろからユズハの糸に繋がれていたのだ。
おかげで、レッドの体が乾いた砂塵に包まれながら、涙目になるハメに……。
そんな彼に対し、ユズハは唇を尖らせた。
「だってぇ。こうしないと逃げるでしょ」
「当たり前だ! 何で俺が“引き回しの刑”を受けな――ゴホッ。ゴホッ!」
「あんまり喋ると、口に砂が入るわよ」
ユズハの言葉に、エルザが同意する。
「そうよ。アナタは、地べたを引き摺られている方がお似合いよ」
「何を!? 目薬で騙したクセに!」
「アナタが勝手に勘違いしたんでしょ。私、目が乾きやすいの」
「その前に、乾き切った心を何とかしろよ!」
レッドのツッコみ虚しく、エルザは「乾いたわね。――喉が。お腹も空いた」と、何処吹く風。
一応レッドが、再度ツッコもうとした瞬間、頭部に強い鈍痛を覚え、言葉を呑み込んでしまった。
実は、ユズハがブレーキを掛け、バイクと荷車が急停止――そこへ勢い余ったレッドの頭がぶつかってしまったのだ。
「!」
思わず舌を噛んでしまったレッドを尻目に、ユズハは営業スマイルで振り返った。
「では、少し早いですが食事にしましょうか」
彼女の言葉に、エルザの顔は一瞬綻んだが、荷車を見回し怪訝な面持ちへと変化させた。
「食糧なんて、何もないじゃない」
「これから調達するんですよぉ」
「調達……?」
エルザは眉を顰めた。調達とは、つまり食糧をその場で探すこと。――といっても、視界に入るのは、砂と青空と白い雲のみ。果たして、こんなところに食べ物なんてあるのだろうか。
しかしユズハは、何故か自信たっぷりだ。
バイクを降りたかと思うと、指先から何本かの糸を垂らし始めた。――まるで“何か”が来るのを待っているようだ。
最初は風のいたずらかと思ったが、空気の流れがおかしかった。
足元に穴がないのに、風が下から上へ吹き上がってきたからだ。
「グオォォォ……ン!」
ついでに言えば、“吠え”て“震える”地面もない。
得体の知れない咆哮を耳にするなり、ユズハは白い歯を覗かせた。
すると、指先から伸びた糸が撚り合わさり、太いロープへと変貌させた。――刹那、その先に何かが食いついた。
「掛かった!」
彼女の声は、地面から飛び出してきた巨大な影によって打ち消されてしまった。
それは、まるで空と地を繋ぐ梯子のような、大きさと形をしていた。
赤銅色の長い胴体に、その両側からは不規則に蠢く無数の足。
そして頭部からは、何物をもの食いちぎらんばかりの鋭い顎肢が生えていた。
巨大なムカデだ。
豪快に全身を震わせながら、地上へと躍り出たのだ。
砂や土塊を巻き上げ、時間差でそれらが激しい雨となって降り注ぐ。
「……」
砂の幕で覆われ、視界がほぼ効かないなか、ユズハがムカデの咆哮を頼りに糸を網に変化させて投入する。
彼女の風の流れの読みは見事のようで、ムカデの頭部にしっかり引っ掛かった。
「グオォォ……ン!」
本能で危険を察知したのか、ムカデは慌てて潜ろうとする。
同時に、顎肢が網を断ち切ろうと開閉を繰り返す。
最初はユズハも「簡単には切れないわよ」と余裕だったが、ムカデの顎がたった二回開閉しただけであっさり切れたのには、さすがに閉口するしかなかった。
その間、ムカデの頭部が既に潜っていた。――その背に刀が勢い良く突き刺さる。
テレーゼだ。
刺傷から噴き出る緑の血を浴びても、その顔に感情が宿ることはなかった。
「グッ、オーー!」
鋭い痛みを覚えたムカデが、巨体をのた打ち回らせる。その勢いを使って、テレーゼを振り解こうとするも、刀を握った手はなかなか離れなかった。
痺れを切らしたムカデは、テレーゼに構わず周囲のものを呑み込みながら、潜ってしまった。バイクも荷車も一緒だ。
それどころか、「何で俺だけぇ!」レッドも巻き込まれていた。
地震のような地響きと轟音が、嘘のように鳴りを潜めてしまった。
突然、耳が痛くなるほどの静寂が出現した。
『…………』
しばらく、地響きが体から抜けなかった二人。
何の変哲のない砂を、呆然と砂まみれの顔で見つめていた。
最初に口を開いたのは、ユズハだった。
「……あれ? もしかして失敗?」
彼女は、悪びれるどころか、清々しいほどの笑顔をエルザに向けた。
「失敗って、まさか……」一方エルザは血相を変えた。
「つまり。私達の方が餌になっちゃうってことかなぁ。ハハハ……」
「嘘ぉー!」と頭を抱えるエルザ。
悲鳴に近い彼女の声が、微風に撫でられる大地の表皮を滑っていく。
同時に、その表面が僅かに震えた。
いや、少し様子が違うようだ。
微動だと思っていた大地の揺れは、明らかに足から頭へと体全体へと伝わるほど大きくなっていた。
もちろん、原因は一つしかない――。
地面が生物のように、うねり、次々に捲り上がっていく。
その波形がエルザの足元に到達すると、地表が音を立てながら大きく裂け出した。
亀裂がジグザグに走り抜ける。
「――!」
急に足元がなくなったエルザが、悲鳴と共に落下していく。――その下には、ムカデが今や遅しと口を開けて待っていた。
「グオォォォ……ン!」
化物が咆哮を、直下してくるエルザの体に浴びせる。
一方エルザは、体全体が恐怖で粟立つ中、彼女の視界には、ムカデのグロテスクな顔が急接近。
もう、食べられてしまうと確信した瞬間――意識が途切れてしまった。
力を失った小さな体は、それでも落下を続けていた。
他方、何故かムカデの咆哮が急に止んでしまった。
といっても、口は開いたままだ。
間もなく、気を失ったエルザが――たった今、吸い込まれてしまった。
そんな衝撃的な光景を覗くハメになったというのに、ユズハは別の心配をしていた。
「お宝どうするの!」
ユズハの言霊が穴に反響する。
しかし、その反響すらムカデの大きな口が呑み込んだ――かに見えた。
その口から、突然多量の緑の血が噴き出るまでは……。
覗き込んだ顔に血を浴びてしまったユズハが、慌てて拭った。その視界に飛び込んできたのは、エルザを小脇に抱えた血塗れのテレーゼだった。
「……」
テレーゼが勢い良く跳び上がり、何事もなかったかのように、地面に降り立った。
直後、彼女の背後で大ムカデが縦に真っ二つに割れ、再び轟音を響かせながら穴へ沈んでしまった。
まるで豪華客船の沈没だ。
穴から天に向かって土が舞い上がる。
火山の噴火のようだった。
粉塵が突風となって襲い掛かる寸前、ユズハが大きな瓦礫に糸を絡ませ――その陰に隠れた。
暴風が、ユズハの頭上を通り過ぎていく。
粉塵が入るのを防ぐために、瞼や鼻、口を掌で押さえて、全てが収まるのをただひたすら待った。
息がどこまで続くか心配だったが、それどころではなかった。今は、吹き飛ばされるかもしれない、という心配にも意識を向けなければならないからだ。
「…………」
どれほど続いただろうか。
数分も経っていないのかもしれない。だが、早くも脳が酸素を欲しがっていた。それでも我慢我慢。
まだ瞼を開けるのは、まだ早い……いや、静かになってきた。
そろそろ、収まったか?
「……」
恐る恐る、瓦礫の上から覗き込むユズハ。
その視界には、さっきの場所から一歩も動かず立つテレーゼと、その小脇に抱えられ気を失ったままのエルザが映っていた。
いや、もう一人いた。
「何て俺は不幸な男なんだ! ゴホッ。ゴホッ」
レッドだ。
いつの間にかテレーゼの足元に横たわりながら、何かを喚いている。
良く見ると、テレーゼの右手に糸が絡まっている。どうやら彼女が、その糸を使ってレッドを引き上げたらしい。