ジャンク・ボンド 第一章 2
「この村は、見ての通り貧しくてな」と話し出したのは長老だった。自身の家で、レッド達に依頼の経緯を話していた。
「――それでも、先祖代々の土地。農作物もロクに育たなくても、逃げずに細々と生きていたんじゃが……」
「そこへ、奴らが現れたと?」
レッドの問いに、長老が頷いた。
「そう。バグが現れた」
長老の声は、微かに震えていた。それは怒りか、悲しみか……。
「奴らは、いつともなくやって来て、村人達を次々に襲っていくんじゃ」
「なるほど。いつ来るかも分からない訳ですね。それで、特徴とか何かないですか?」
レッドの言葉に、長老が「う~ん」と悩み始める。
「それが、誰もその姿を見た者がいないんじゃ」
「というと?」
「村の者が一人のときを狙って現れるから、誰も見ておらんのじゃ」
「不思議ですね。目撃者がいないのに何でバグの仕業だって分かったんですか?」
「それは、この雪じゃ」
「雪?」
「この村は見ての通り、雪に囲まれている。もし獣が来たら、その足跡で、大体特定できるんじゃが……」
「つまり、どれにもあてはまらない訳ですか。――で、どんな足跡なんですか?」
「足跡が八つなんじゃ」
「八つ?」
「そう。しかも大きい。足跡一つ取っても、熊の足の二、三倍はあるんじゃ。そんな大きさなら、普通足音もするだろう。それなのに足音なく、人間に近づくことができている。そんな獣、儂はこの村で生まれてから見たことも聞いたこともない」
「なるほど。それで依頼して来たと?」
レッドが納得したように大きく頷いた。
ちなみにテレーゼは、やはりずっと黙ったままだ。
一方長老は居住まいを正した。
「そうです。何とぞ、よろしくお願いします。礼はあまり出せないが、代わりに村の名物料理を腹一杯食べて下さい」
そして深々と頭を下げた。
*
その後、長老が案内したのは、こんな寂れた村の中では、まともな建物だった。どうやら集会場のようで、一〇人ぐらいが集まれる程には広かった。
だからといって、まともなのは広さだけで、壁や床の板は穴だらけ。すきま風が遠慮なく入ってくる。下手したら外と変わらない。
テーブルもない。暖房もない。照明は、蝋燭数本だけ……。
でも、村人達が作ってくれた料理が、体を温めてくれるので、少しはマシだった。
多分、雪の降る前に保存食として取っておいた山菜だろう。スープの具として、食欲をそそる湯気と共に浮かんでいた。それを掬い、フーフーと冷ます。
口に放り込むと、独特の苦みと塩気のスープが、雪山を苦労して上ってきた疲労を労ってくれた。
シンプルな味が、逆に緊張の糸を解してくれたようだ。
「う、旨い!」
器を床に置いた途端、レッドの顔が、一気に綻んだ。
ついさっきまで、依頼料を払えるのか、心配していたのが嘘のようだ。
「……」
一方テレーゼは、目の前に出されても、スープに手も触れない。というより、ずっと虚空を見つめていた。
そんな彼女に気付かないのか、レッドは鍋ごと掴み、中身を豪快に口に放り込んでいた。
あっという間に平らげてしまった。
「ふぅー。ごっつぉさん!」
満腹になり、機嫌が良くなったレッドが、床に寝転んだ。ここでようやく、テレーゼが一口も食べていないことに気付いた。
「あれ? 食べないんですか? なら俺が……」
まだ食い足りないのか。レッドが、テレーゼの分に手を伸ばした時だった。
何かが聞こえたのは。
「まったく。食い意地が張ってやがる。食いたきゃ食えよ」
「……?」
全然聞いたことのない声だった。
村人達は、既に家に帰って行ったから、ここにはテレーゼ以外いないはずなのだが……。
「どうせコイツは、何も食わねぇからよ」
レッドが周囲を見渡していると、テレーゼの脇に置いている刀がカタカタと笑っていた。
本当に笑っているのだ。
「か、刀が喋った!?」
レッドが血相を変えて、声を裏返した。その場から逃げようとしたが、慌てて壁に激突した。室内に何かが倒れる音が響いた。
「五月蝿ぇなぁ。刀だって喋るだろ」
何故か偉そうな刀に対し、無様に逆さになったレッドが必死に反論した。
「喋らないよ! たとえ天地がひっくり返っても喋らないよ!」
「おめぇは、現にひっくり返ってるじゃねぇか」
刀のツッコみで、自分の恰好悪さに気付いたのか、レッドが慌てて起き上がる。赤面しながら、負けじと発した。
「い、今更何で喋るんだよ! 喋られるんだったら、さっさと喋ろよ!」
「何で用もないのに、喋る必要があるんだ? それに一度喋ってるだろ?」
刀がカタカタと笑ってみせた。
「それって喋ったことになるのか? 普通、鞘の中で揺れただけって思うだろ!」
「おめぇが普通か?」
「アンタは普通か?」
レッドは刀を睨み付けた。多分、刀にも目があったら睨み返しているだろう。暫く、重苦しい空気が周囲を包み込んでいく。
時だけが過ぎていった。
そんな彼らのやりとりを、テレーゼは眉一つ動かさず見ていた。
「…………」
暫くして、彼女の空っぽの視線に気付いたのか、気まずさを覚え、レッドが大袈裟に咳払いする。
「おっほん。テレーゼさんは、何でこんな刀と一緒にいるんですか? 別に武器なんて喋る必要ないでしょ? ていうか五月蝿いでしょ? ていうかウザいでしょ?」
テレーゼの代わりに、刀が「ていうか、おめぇがムカつくでしょ」ツッコんだ。
「な――」
「それよりおかしくねぇか?」
その言葉に何か言いたそうなレッドだったが、刀がさっきまでとは裏腹に声のトーンが真剣になる。――結局、その雰囲気に押され、レッドも話に合わせるしかなかった。
「な、何がだよ」
「……スープだけ出して、飯がねぇ」
レッドの体から、一気に力が抜ける。
「アンタは食べないだろっ!」
「いや食べるぞ。――人とかな」
「あー。ヤバい。めまいしてきた。というか、何で俺刀と喧嘩してんだ?」
「それより、おかしくねぇか?」
「もう、その手には乗ら――」
直後、レッドの言葉を遮るように、テレーゼが素早く抜刀――刃を床に突き立てた。
「!」
レッドが再び引っくり返る。おかげで、会話はストップ。刀が話を続けられる訳だ。
「人間生きていくのがやっとのご時世。なのに、ご先祖さんの土地だから逃げないって、馬鹿げてる。狂気の沙汰としか思えねぇ」
刀の言うことも一理ある。何しろ、バグがこの大陸を跋扈して、人間が次々に命を落としている。
ましてや、ここ最近、天変地異の前触れか、天候も不順。作物なんかろくに育たない。
物取りや強盗、殺人――人間も、バグに負けず劣らず、逞しく生き残るしかないこのご時世。
ご先祖を大事にしたところで、腹が膨れる訳でもない。
レッドが、テレーゼの顔色を窺いながら、「だから、俺達を呼んだんだろ」と一応ツッコむ。
「もう一つある。雪があるのに、村人達の足跡がねぇ。――さっき帰ったはずなのに」
「そんなの。上から雪が降れば消えるだろ」
「雪なんて降ってねぇぞ。それにもう一つ。――何で村人達は、俺達が名乗ってねぇのに、リュウランゼって分かったんだ?」
不審な点を次々に指摘して来る刀の話を聞いているうちに、レッドの顔も徐々に強張っていく。どうやら、言わんとしていることが理解できたようだ。
それでも、確かめたくて仕様がなかった。
「……何が言いたいんだよ」
「……俺達、ハメられたんじゃねぇかって」
「何の目的――」
レッドの言葉が急に途切れてしまった。何故か大きな鼾をかいている。だらしなく涎も出ている。
そんなレッドを眺めながら、刀が溜息を吐いた。
「……まったく。食い意地張ってるからだ」
どうやら、あのスープに睡眠薬が入っていたようだ。
*
ユズハは、ただ今遅刻の真っ最中だった。深紅の単車に乗って、山中を疾走していた。
進路を次々に遮る木々の隙間を、器用に抜けながら、目的地を目指している。
動体視力だけでなく、身体能力もなかなかだ。でなければ、今頃木にぶつかって目を回している頃だろう。
まあ。夜中に、吸血鬼一体を始末したのだ。当然か。
ちなみに単車といっても、タイヤはない。僅かに宙に浮いている。まさに風になったような乗り心地だ。
意外と高級だったりする。その理由は、燃料だ。“モジュール”と呼ばれる、琥珀色の石を使用しているのだが、これが高いのだ。
しかし、長時間持ち、しかも高出力なため、金持ちはこぞって購入している。
それに対し、庶民は蒸気機関――石炭を使用している。
では、そのモジュールはどうやって手に入れるのか。実は、ほとんど謎だ。いや、正確には違う。
“回収屋”が“仕入れて”来るのだ。
つまり、ユズハのような人間が、“何処ともなく”回収して来て、元締めであるホウセンカに渡し、そしてホウセンカが、値を吊り上げて売る。
ホウセンカは二足の草鞋を履いているという訳だ。
「……」
風を顔に浴びているのに、その顔から冷汗が流れていた。
――とにかく早く着かなきゃ……!
クビになっちゃう!
「ホウセンカに殺される!」
クビというのは、文字通り首だけにされてしまうこと。モジュールの出所を知られる訳にはいかないからだ。
ちなみに単車は、ホウセンカからの支給品だ。モジュールを運んでもらうためだ。自分に利益になることなら、金も惜しまず支給する。そんな連中だ。
そんなことを説明している暇はない。――ユズハがスロットルを上げた。速度が上がり、視界に映る木の大群もさらに速く通り過ぎていく。
「――!」
こんな時に、前触れもなく、めまいがする。視界が不安定に揺れる。
多分、吸血鬼に血を吸われたからだろう。
貧血を起こしているに違いない。
重くなる意識と闘いながら、慌てて頭を下げる。たった今、太い枝が頭上を掠めていった。タイミングがずれれば、首を持って行かれている。
「クビ、ね」口元を歪ませるので精一杯だ。
今度は、急上昇。地面に大きな岩が、雪によってカムフラージュされていたのだ。突然、胸を掬うような浮遊感が襲い、貧血を増長させる。
視界の周囲が黒くぼやけていく。
「……っ!」
何とか岩をやり過ごしたユズハは、スロットルを絞り、高度を下げた。再度森の中を走り出す。
山の上を走れば障害物を気にせずに走れるが、エネルギーも消費するし、何よりバグに気付かれるリスクも増えるからだ。
つまり、ユズハが目指すはバグの居所。――その死体が、モジュールの素という訳だ。
「!」
今度は急に視界が開けた。どうやら森が一部途切れたらしい。
いや、村だ。雪に埋もれているが、木造の小屋が群れを成している。
――ここね。
目的地に到着できたようだ。――などと、胸を撫で下ろしている暇はない。
「え。嘘……!」
今度は、ブレーキが壊れていたのだ。協会は、点検もせず支給したのか。
ユズハは目を力一杯瞑った。
――誰か助けて!
一体、誰に頼ろうというのか。
目の前に、恐怖という名の暗闇が口を広げていた……。
できるだけ毎日(12時台または13時台)に投稿していきたいと思います。
ーーって、誰も読んでないか(笑)。