ジャンク・ボンド 第二章 18
ヤツは、こちらが準備をする暇など与えてくれなかった――。
気づいたら、リュウランゼが吹き飛ばされ、壁に激突していた。そのまま気を失ってしまった。
直後、鎌のない左腕がアイザックに向かっていく。
それを木刀で塞ぐも、視界の外からきた右鎌が左肩を傷つけてしまった。
「!」
痛みに気を削がれたアイザックの首に、左前腕が再度飛びかかる。
「危ない!」
それに気づいたレッドの言葉に、アイザックがあえてバグの懐に上半身を潜り込ませて、鎌の軌道をすり抜けた。――同時に、木刀の切っ先をカマキリの首に押し込んだ。
カマキリが大きなうめき声を上げる。
おかげで、鎌や足が無秩序に暴れ回り、洞窟のなかを破壊していく。
そんな鎌だけでなく、雨のように降ってくる瓦礫すらも、凄まじい反応速度で回避していくアイザック。
「す、すごい……」レッドが思わず呟いた。
アイザックがバックステップし、一旦間合いを広げた。
しばらくすると、カマキリも冷静を取り戻したのか、アイザックに対して鎌を構えて黙り始めた。
アイザックも同様に木刀を構えた。
『…………』
沈黙が、お互いを包み込んだ。
向き合って、互いの動きに注視するだけで、しばらく動けなかった。
そのときだった。
カマキリの背後に新たな影が一つ――。
さっきまで気を失っていたリュウランゼだ。「死ねっ!」と叫びながら、武器を振り上げたのだ。
しかし、カマキリは驚くことなく、首を一八〇度回転させた。そして――鋭い顎の餌食になってしまった。
折れたハルバートと、リュウランゼが地面に転がった。
意識は辛うじて保っているようだが、出血がひどく、荒くなった呼吸とともに、胸が赤く染まっていた。
その透きを突こうと、アイザックが音もなく近づいたが、カマキリは本能で鎌を振るい、木刀を切り払った。
直後、アイザックが吹き飛ばされ、壁に激突してしまった。
「グハッ!」
吐血し、気を失うアイザック。
「アイザックさんっ!」
今まで、戦闘を傍観しているしかなかったレッドが、アイザックに慌てて駆け寄った。
そして、闇市で買った傷薬を塗り始めたが、果たして効くのかどうか。
だが、今はこんなものに頼らざるを得なかった。
塗り終わったレッドが、後ろを振り返ったが、ある光景を目の当たりにして、結局唇を噛みしめることしかできなかった。
自分の力では解決できない事態が起こっていたからだ。
満身創痍のリュウランゼが、カマキリの“おもちゃ”にされていた。あえて切り刻まず、鎌で弾いていたのだ。
そんな光景に、レッドは激しく後悔してしまった。拳を力一杯硬くし、身を震わせた。
――こんなときに、アイツがいてくれたら……。
柱に縛り付けたのは、自分だというのに。なんて身勝手な話だろうか。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
――どうする?
理性を失い、ただ暴れているカマキリを、レッドは呆然と見ているしかなかった。
いや。何か、この状況を打開できるものはないか周囲を見回したが、あるのは折れた木刀とハルバートだけだった。
一瞬、それを拾って応戦しようかと思ったが、そんな暇すら与えてくれなかった。
すでに動かなくなっていたリュウランゼ達に飽きたらしく、挙動不審のレッドにカマキリの関心が移ったのだ。
直後、リュウランゼ達が、無造作に投げ捨てられてしまった。
彼らは、岩肌に激突しても、やはり動きをみせてくれなかった。
リュウランゼの虚ろな目が、青ざめていくレッドを見つめていた。
「う、うわぁぁぁ……!」
ようやく声を上げられたレッドの恐怖の声すら、カマキリの起こした轟音によって掻き消されてしまった。
同時に、岩壁に囲まれた空間が、崩れ始めていた。
迫りくるカマキリ――。
あっという間に、緑の巨体が視界いっぱいに広がっていた。
「!」
レッドが慌てて踵を返した。とりあえず、元来た道を戻るしかなかった。
間髪を入れず飛び出した。
刹那、背後で大きな音がした。振り返ると、すぐ後ろで大きな鎌が地面を砕いていた。
飛び出すタイミングが遅れていれば、レッドの背中に直撃していただろう……。
「……」
ほっとしている一方で、自分のことを無様だと思っていた。
我が身可愛さで、仲間を助けない自分が情けなかった。
――“仲間”……?
最近おかしいぞ、自分。ただの同僚だろ。自分の命を冒してまで、助けようとしている? おかしいだろ。
――無力なクセに……。
それでも、やっぱり足は逃げ道を探そうと駆けていた。
そんなレッドの背後、いや、彼を追い掛けているカマキリの背に声が投げかけられた。
直後、化物の足がピタリと止まる。
「……ち、ちょっと待て。相手が違うだろ」
アイザックだ。満身創痍で呼吸も覚束ないというのに、その眼光には殺気がみなぎっていた。
その姿は、普段の温和な彼とは、あまりにも掛け離れていた。
体に触っただけでも、殺される。――そう思わせるような、危険な空気を纏っていた。
こっちは、仲間を助ける気はないようだ。目の前に、何度夢見たかわからない宿敵がいるのだ。当然だ。
そんな彼の手には、先祖伝来の剣が握られていた。
『……』
黙って振り返るカマキリ。
静かに構えるアイザック。
さっきまでの轟音が嘘のように、まるで水を打ったように静まり返っていた。
そして、しばらく互いを見つめ合い、静止してしまった。耳を澄まさなければ、息すら聞こえない程だ。
いや、違う。
岩に突き刺さっていた卵が、豪快に音を立てながら落下し、割れてしまったのだ。
それが、合図になった――。
互いに飛び出した、と思ったが、アイザックの方がワンテンポ遅れてしまった。
それに気づかないのか、カマキリはすでに跳び上がっていた。
「……」
頭上の化物を捉えながらも、アイザックは何故かさらに屈んだ。
それだけでなく、カマキリの下を滑るように移動し、切っ先を腹部に突き立てた。
そのまま後方へ抜けて、傷口をさらに広げた。
「……!」
腹部に一直線。
大きな傷ができたカマキリが、体液を撒き散らしながら、辺り構わず悶え苦しみだした。
――まだだ。相手に反撃の透きを与えるなっ!
何度、シミュレーションしたことか。コイツを殺す方法を。
アイザックが、地面でのた打ち回る化物の腹に、さらに刃を突き立てようと、全力で跳躍した。
「とどめだ!」
しかしそれは叶わなかった。
カマキリが羽をバタつかせながら、地を低空でスライドしていったのだ。
刃が、すんでのところで地面に突き刺さり、アイザックが着地に失敗してしまった。
「!」
カマキリの右鎌が、驚くアイザックの横っ面を引っぱ叩いた。刹那、彼の体が錐揉みしながら吹き飛ばされてしまった。
「アイザックさんっ!」
突如として巻き上がった粉塵の幕から、レッドが投げ出されてしまった。
おかげで幕の中が見えない。
果たして、アイザックは生きているのか。
未だに暴れ回る化物のせいで、音や気配で生存を確認することができなかった。
だが、レッドも他人の身を案じてばかりではいられなかった。
カマキリの興味が、いつこちらに向くか分からないからだ。
「……」
レッドがカマキリに目を向けながら、折れたハルバートに手を掛けた。
その時だった。
「――!」
突然カマキリが咆哮を上げたのだ。しかもその眼光が、レッドに向けられていた。
――殺されるっ!
とりあえずハルバートを構えるレッドだったが、その切っ先は恐怖で乱れに乱れていた。
化物が首だけでなく、体ごと振り返り、右鎌を振り上げた。
しかし、なぜか鎌は一向に振り下ろされる気配はなかった。
「……?」
恐怖で閉じそうになっているレッドの目に、何かが映り込んだ。
「ア、アイザックさんっ!」
何とそこには、化物の右肘に突き刺した剣にぶら下がるアイザックがいた。
この時になって初めて、レッドはあることに気づいた。
――もしかして、試験用のマシンとの戦闘の動きは、この時のための練習!?
直後、カマキリの右鎌が切り落とされてしまった。
落下し地面に激突し、大きな音が響いた。
さっきの化物の咆哮は、実はアイザックの攻撃に対しての悲鳴だったのだ。
右腕から体液を撒き散らしながら、カマキリが羽ばたいて逃走を図るが、なぜかバランスを崩して大きく傾き――無様に転がってしまった。
よく見ると、さっきまであった右足の膝から下がなくなっている。
実はアイザックが、鎌を切り落とした後に、着地したと同時に化物の足を切り払ったのだ。
――これも、試験の時と同じだ!
レッドが目を丸くする。そんな彼の脳裏に、マシンの戦闘時に、相手の右脛に斬りかかるアイザックの姿が再生された。
――これなら、倒せるかもしれない!
目を輝かせるレッドだったが、その光は一瞬にして消えてしまった。
「そ、そんな……」
なんと、アイザックの握っていた剣が折れてしまったのだ。
「!」
予想外の出来事に、歪に折れた刀身を見つめるアイザック。――一瞬、化物から気が逸れてしまった。
刹那、そんな彼の透きを突くように、化物が今度こそ羽を使って飛び退った。
二人の間に距離が空いてしまった。
『……』
しばらく、互いを見合いながら押し黙る二人。
一体、どちらが先に仕掛けるか――。
剣が折れてしまい、武器を失ったアイザック。
武器が、片足と顎しか残っていないカマキリ。
どちらも、相手の動きを読み誤れば、必ず自分が不利になるだろう。
うかつに手を出せないでいた……。
それでも足は、地を蹴っていた。同時に飛び出し、距離を縮めようとする一人と一匹――。
いや、そうじゃないようだ。なぜかアイザックだけが動きを止めていた。驚いた顔を、ある方向に向けて。
「父ちゃんっ!」
視線の先には、テレーゼに抱えられながら、息を荒くするライナスがいた。
「ライナス!? ――来……」
力いっぱい叫ぶアイザック。――そんな彼の声が突然途切れてしまった。
実は、すでに彼の眼前に到達したカマキリの顎が、アイザックの上半身に突き刺さっていたのだ。
いよいよ、次で第二章終わります。
面白かったら、ブックマークお願いします。